僕は霧中で嘲笑う
朝倉春彦
0.プロローグ
短い人生を振り返ってみれば、僕は不自由のない暮らしをしてきたといえる。
子供の頃から病気もせず、周囲の人達とはいい関係を築けてきたと思ってる。
これといって得意な事があるわけでもないが、だからといって苦手なものがあるわけでもなかった。
学校に行けば話し相手に困らず過ごせて、学業成績は悪くない位置に身を置けたし…運動だって、目の覚めるような活躍をした覚えはないが、だからといって足手まといになったことは無い。
可もなく不可もなく…それなりにやることをやっておけば結果はそれなりに付いてきてくれる。
15年生きてきて、何となくだけどそれが理解出来た頃合いだった。
人と付き合う場所では波風の立たない位置に自分を置いているが、私生活は少し個性的と言われる事が多い。
趣味は映画鑑賞に読書…どんな時代のものでもいいから自分の中でピンときた物しか見ない。
専ら海外物が殆どで、英語はここから覚えているくらい…
それ以外には機械弄りが趣味だ。
父親の影響で、昔から車とバイクに触れることが多かった。
年頃の女の趣味趣向だといえば変な目で見られるかもしれない。
実際その通りで、僕の人付き合いは"表向き"だけの付き合いが多かった。
だが、他人の目はあまり気にならない性質だし、それらの趣味は僕の気持ちを落ち着かせるには十分。
必要以上に普遍な日々を求める僕にとっては丁度いい程度の非日常を感じられる手段だった。
僕の現状は、モットー通りだ。
敵を必要以上に作らない。
人付き合いは、必要以上に入れこまない。
ディープな感情は必要ないし、激しく燃え上がる情熱も要らない。
日々を平穏に過ごし、普通に生きて、少しだけ、趣味で非日常を得る。
夢がないといわれそうだが、僕は夢を追いかけるだけの労力は無駄だと切り捨てるタチだ。
そして、僕は高校生になる春を迎えた。
ただ近くにあったからといった理由で入った高校。
どうも進学校らしく、僕は中学時代と同じような日々を得るために勉学に励んだ。
そして、最初のテストで自分の立ち位置が中学校時代と変わらないと知ると、過去と同じく、微笑を顔に貼り付けて、平穏な日々を送っていた。
あの日までは。
僕の人生に転機が訪れたのは、高校1年の初夏の、何の変哲もない1日。
僕はその日、移動教室のため、人気の少ない校舎の4階にいた。
まだ昼休みだというのに、美術室に道具を置き、何かの用事のために教室を出た。
父に電話をかけていたのか…その用事に関しての詳細は忘れたが、教室の外…階段の側にあった水飲み場で携帯電話に気を取られているうちに、僕は背後から何かで殴られて昏倒した。
その弾みで階段から落ち、踊り場の壁に体を強打する。
その時点で、飛びそうになる意識をなんとか保たせて立ち上がると、追撃を図ろうとする襲撃者を一目見て保健室のある2階に降りて行った。
3階につくと、襲撃者は人目に付くことを恐れたのか4階に戻っていった。
2階につき、保健室が目の前に迫ったところで、僕の意識は閉じられた。
僕が目を覚ましたのは、それから3日後。
目を覚ました僕の周囲には親・警察・担任・そして何故か幼馴染の男子がいた。
全身に痛みが走り、包帯とガーゼだらけの僕の体は満足に動かなかった。
病室のベッドの上で、顛末を聞いているうちに、僕は彼らの戯言に耳を傾ける気がなくなっていく。
僕は吐き気も覚える感覚の中、表情を動かさずに話を聞く。
保身に次ぐ保身。
親も幼馴染も、それを感じ取ったのか、凄い形相で担任と警察に食って掛かった。
だが僕は、そんな様子を見て、どこか、何かが壊れたような錯覚を受ける。
警察や担任は相変わらず保身の入った戯言を言い、親と幼馴染はそれを責める。
当事者である襲撃者と僕を置いてきぼりにして。
「もう、いいよ」
小さく僕はそう言った。
平穏とかけ離れたその惨状に、僕は酷くペースを乱される。
僕はペースを乱されれば、途端に自分勝手な人間に変わる。
ペースを乱されることに酷く敏感だ。
だから、この状況に酷く怒りと苛立ちを覚える。
敵を必要以上に作らない。
人付き合いは、必要以上に入れこまない。
ディープな感情は必要ないし、激しく燃え上がる情熱も要らない。
これが僕のモットー。
この状況はそれに反していた。
その日、僕は人生でも数えるほどしか出していない金切り声のような叫び声とともに、怒りを面に出すことになる。
普段は女にしては少し低めの通らない声だけに、周囲は一言で静まり返った。
「…………」
それから、事態は一気に収束していった。
全てが終わった後、僕は向こう暫くは病院住まいになることを呪いつつ、それさえ気にしなければ、平穏な日々が待っていることに満足感を覚えていた。
警察には、被害届けを出した。
学校には、退学届けを出した。
晴れて、僕は無職となった。
だが、父母は僕を尊重してくれた。
リハビリを含めた3か月の病院住まいのあとで、僕は家に戻った。
僕の経験を重く受け止めてくれたのだろう。
父母は僕にとても良くしてくれた。
父母は僕にガレージで眠っていた車とバイクを譲ってくれた。
黒のSR400と黄色いフェアレディZ。共に父の若かりし頃の思い出の車だ。
自分で直して乗ることが前提だが、時間の有り余っている身とすれば大した問題ではない。
父母は僕の働き口に口添えしてくれた。
そして、僕は1週間で今後の身の振り方を定め、人生を再スタートさせた。
1週間のうち、3日間は喫茶店でウェイトレスを6時間。
残りの2日はボーリング場で受付を6時間。
1月の稼ぎは10万に満たないが、それでも十分だった。
とりあえず18歳になるまでは、家に居る。
親は要らないといったが、僕の意地で、家に3万は収めることにした。
残りは、自分で好きに使う。
毎日、夜や空いた時間は、趣味と身体づくりに精を出した。
バイクはすぐに直り、16歳になった9月以降乗り回すようになった。
車は故障箇所が多く、免許をとれるまで2年あるので、バラバラにして異常個所を直していった。
本は1週間に2冊ペースで読破していき、映画は1週間に3本ペースで見るようになった。
週に4度ジムに通い、リハビリで戻らなかった筋力と、手足の細かな感覚を取り戻せるように努力した。
そして、新生活にもすっかり慣れ切った10月。
僕は霧中の中、ジム帰りの道をバイクで走っていた。
キャブレターの調子が悪いのか、吹け上がりの悪いエンジンを気にしながら帰路を走る。
ライトが空気を照らし、涼しい風がヘルメット越しに入ってきた。
その日は休日だった。
昼前だというのに、空はどんよりとしており、この街特有の霧が包んでいる。
僕にとっては普段通りの1日となる予定だった。
午前中はジムで汗を流し、帰ったら夕方まで車を弄る。
そして、夜は借りた映画を見て過ごす。
そのつもりだった。
どこからか、僕はスーッと何かに飲まれる感覚を味わう。
目の前の景色は何時ものように流れ、僕も体を動かしているのにもかかわらず、僕は映画館のスクリーン越しに自分の視界を見ているような、そんな感覚に囚われた。
ただの視聴者になった僕の視界には、見たこともないナイフを手にした僕が見える。
その手は真っ赤に染まっていて…その先…僕の前には事切れて動かなくなった、人だった何かが映り込んでいた。
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