短編小説集「少年から青年へ、少女から女性へ」

?がらくた

「お兄ちゃんの鎧」その1

立葵中学校2-Bにて


「おーい、恭。今日は中村くんたちと一緒にカラオケいくんだけど、どう?」

「あー、悪い。ちょっとヤボ用で」

「しょうがないな。じゃ、別の奴でも誘うとすっかな」

「いいって、別に。ダメ元で聞いただけだし」

「あんがとな、康人。暇な時教えるわ」


親友の伊高康人(いたか・やすひと)の誘いを断った俺は、帰りの荷物をまとめる。

オタク趣味の中村要(なかむら・かなめ)が嫌いというわけではない。

女子の目を気にせず馬鹿騒ぎするのは、いい息抜きになる。

俺が早退するのは、別の理由があった。

両親は共働きの家庭で、俺には年の離れた弟、昌(しょう)がいる。

小学生3年生で、まだまだ手のかかる年頃だ。

中学に上がってからというもの、両親に家事全般に押し付けられて正直迷惑なのだが、実の弟を無視できるほど俺の神経は図太くもなく、非情にもなりきれなかった。

不満はあるものの、この生活が家庭の役に立っているという充足感はあった。

けれど、時折考えることがある。

もし部活に入ったりしていれば、別の未来があったのかもしれないと。

自分の学園生活に如何ほどの価値があるのかと、なんだか無性に虚しくなってしまうのだ。

ないものねだりなのは重々承知だが、一人きりの時間はどうしても、心の底に押し込めていた仄暗い感情が鎌首をもたげる。

今頃他の生徒はスポーツに精を出して汗を流したり、彼女と買い食いでもして、ダラダラと帰っているのだろう。

俺の青春の心象風景は今日の空模様の如く、分厚い雲に覆われた曇天が広がっているに違いない。

自分の不運を嘆いても、しょうがあるまい。

やることは山ほどある。

さっさと濡れた洗濯物を取り込んで、乾かして……。

ああああ、もうダメだ。

時間があれば家事のことばかり考える自分が嫌になり、カバンを傘代わりにして雨を避けつつ、脇目も振らず、帰りのバスへと向かった。


「ムゥ……何作りゃ良いんだよ。秋だからおこわなんてどうだろう。鍋料理なら楽だし栄養も摂れるけど、昌は嫌いな野菜が多いしなぁ……。サンマは飽きたとか言い出すし贅沢なんだよ……ブツブツ……」


停車したバスの中に乗車すると、俺は料理本と睨めっこした。

家事に時間を取られるとは即ち、間接的に勉強時間や遊ぶ時間を失っているに他ならない。

料理の勉強を学業に充てろと言われれば返す言葉がないし、家庭の事情を、勉強から逃げるために体のいい言い訳にしているだけなのかもしれない。

舐めるような視線を感じ、本を閉じて周囲に目を向けると、学ランを着た男子とチェックスカートの女子たちは一塊になって、ひそひそ話す。

俺が睨むと連中は耳打ちを止めたが、顔から厭らしい笑みは消えていなかった。

腕っぷしも強くなっている男子生徒など、警戒されて当たり前なのかもしれない。

成人した男が犯罪者か、バイ菌の如く扱われるのは知っているが、よりによって同じ学校の生徒に不審がられるのは悲しい。

ふと気になって窓から外を覗くと、立葵の制服の女子が目に映る。

同級生、真野里果(まの・りか)だ。

きのこの笠を彷彿とさせる髪型の小さく愛らしい女生徒で、俺と真野さんの共通の友人でもある中塚由香(なかつか・ゆか)によると、身長は150cmにも満たないらしい。

出会った当初は気弱で内気な印象だったが、心境の変化があったのか、徐々にクラスに打ち解けていき、今ではたまに話す程度の間柄だ。

彼女は俺の存在に気が付くと手を振り、バスに乗り込むや否や、空いていた隣の席に座る。


「真野さん、話す機会なかったけど、怪我大丈夫? 帰りのバスで一緒になるなんて珍しいね?」

「飼い犬に噛まれて破傷風の注射、受けにいくんだ。だから暫くは、部活お休みかな~」

「とんだ災難だね。濡れてるけどタオル使う?」

「じゃあ、貰おうかな。帰宅部なのにタオル持ってるなんて珍しいね」

「天気予報で雨だってやってたからさ。ここまで強く降るとは思ってなかったんだけど。雨とかホント最悪だよな~。だって、せ……」

「せ?」


うっかり洗濯物と言いかけて、俺はしまったと動揺する。

上手い誤魔化し方はないものか。

せから始まる言葉、せから始まる言葉……。

早鐘を打つ胸の鼓動を抑えようと深呼吸しつつ、脳味噌を働かせる。

せ、せい……。


「せ、晴天! そう、晴天が好きだから」

「明るい狭山くんは晴れが似合いそうだもんね~。あ、タオルどうも」


そういうと俺が手渡したタオルを、彼女は左手でぎこちなく握り締めた。

思い返すと右利きなはずの真野さんが、左手でカバンを持っていたのに気が付く。

包帯に覆われ、傷の程度は分からないものの、右手は痺れて思うように力が入らないのだろう。


「力入らないんじゃない? 俺が頭拭いてあげようか?」

「だっ、大丈夫だよ、そこまでされないでも。狭山くん、私のこと、ペットか何かだと思ってるでしょ」

「確かに要ンチのタロに似てるかも」

「タロ?」

「黒茶のミニチュアダックスフンド。目がクリクリしてて、すげー可愛いんだよ」

「へぇ~、画像ある?」

「ごめん、ない。要に直接見せて貰ったら?」

「な、中村くんと話したことないし、ちょっと怖いかな……」

「大丈夫だよ。ここだけの話、真野さんって結構男子に人気あるからさ。話しかけられたら、無碍にはできないって。何ならきっかけ作ろうか?」

「いいの!? すごく助かるよ~」


他愛のない会話に花を咲かせていると、彼女はスマホの画面を覗き込む。

ほんの一瞬の出来事だったが、髪から漂う仄かな香りが鼻腔をくすぐると、俺は幸福感に包まれていた。

どうして女子はいい匂いがするんだろうなぁ。


「狭山くん、考えごと?」

「いや、ボーッとしちゃった」


見惚れた俺を心配してか、上目遣いでこちらを見据える。

付き合っている訳でもないのに、可憐で純朴な彼女に嘘をつくのは、心が痛んだ。

クラスメイトには、康人以外に家事手伝いで苦労していることは話していない。

《いいお兄ちゃん》なんて柄でもないし、何より同級生に気を遣われるのは避けたかった。

人付き合いの悪い奴と扱われても、学級内ではバカなお調子者でいた方が気楽だったのである。

もし俺が頭のいい生徒だったら、成績が下がるだけで驚かれるに違いない。


「ところで、さっき何の本読んでたの? 狭山くん、読書するイメージないから気になっちゃった」

「いやぁ、こういうのは真野さんには早いって~」


頬を緩め、カバンに一瞬視線を落とした後、勿体振った言い回しで真野さんの方に視線を遣ると


「いや、いいよ。狭山くんも男の子なんだね」


と俺の思惑通り、頬っぺたを紅く染めて勘違いしてくれた。

ここまで徹底する必要はあるのだろうか。

いやいや、ここまで隠し通せているんだ。

最後まで貫こう。

料理趣味と好意的に捉えてくれる可能性もなくはないが、、そこから毎日早々と帰宅するのを詮索されないとも限らないからだ。


「私、ここで降りるね」

「怪我に響くし、無理しないようにね」


目的の停留所に着いた真野さんはまた明日ね、と微笑みかける。

彼女にとっては何気ないその一言は、学校に通う励みになるのだった。

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