第47話「幸せな時間」

 スーパーから帰ってくると、子供たちがタタタッと音を立てて駆け寄ってきた。

 ろくに遊び相手もせずに買い物に行っていたから待っていたんだろう。


「みゆおねえちゃんあそぼ~」

「ままごと~」


 しかし、子供たちの目当ては俺や春野先輩ではなく、美優さんだった。

 春野先輩は初めてここに来ている人だから遠慮して甘えられないのだろう。


 だけど、昔から面倒を見ていた俺に目もくれないのはどうなのかな?

 さすがにショックだぞ。

 美優さんがいなかったら俺の傍から離れないくせに……。


 まぁよく俺はここに顔を出すのに対して、美優さんは中々顔を出さないから物珍しさで彼女に近寄っているだけだと思っておこう。

 それに、まなの件で落ち込んでいた美優さんが途端に嬉しそうな笑みを浮かべたので結果オーライだ。


「あの、冬月君? なんだか悔しそうな顔してるけど大丈夫?」

「なんの事でしょうか? それよりも、俺は一人で料理を作ってくるのでまなの遊び相手をお願いしますね」


 一緒に料理を作る予定だった美優さんが子供たちに捕まってしまった事で俺は一人調理場へと足を運ぶ。

 美優さんの手を借りれなくても、普段は俺一人で作っているのだから何も問題はない。

 職員さんには俺が来た時くらいゆっくりしてもらいたいから、このままいつも通り俺一人で料理は作ろう。


 そう思って調理場に向かっていたのだけど、なぜか春野先輩は俺の後を付いて来ていた。

 その腕の中にはすっぽりとまなが収まっており、先輩の柔らかいクッションがお気に入りなのかとても満足げな表情を浮かべている。

 あれは男には無い物だから仕方ないのだけど、まなが男の子じゃなくてよかったとも思った。


「どうしました?」

「一人じゃ大変だよね? 私も手伝うよ」

「えっ……」


 どうやら春野先輩は料理の手伝いに来てくれたらしい。

 だけど、白雪先輩が春野先輩は料理ができないと言っていたような……?


「あっ、その目は酷い……! だからお母さんがやらせてくれないだけで、私はやろうと思えばできるんだよ?」


 いったい俺はどんな目をしていたのか。

 それは自分自身ではわからないけど、やればできるという言葉ほど信用できないと思っているのは俺だけだろうか?


 でも、頬を膨らませた先輩をここで跳ね除けるともっと拗ねそうだしなぁ……。


「それじゃあ、お皿の準備でも――」

「私、そんなに信用できない……?」

「うっ……」


 一番無難な作業であるお皿の準備などをしてもらおうと思ったら、捨てられた仔犬のような目を向けられてしまった。

 信用できないかって言われれば料理をする姿を見た事がないため信用できない。

 俺は誰であろうと料理をする姿を見ない限りは信用しないと決めている。

 だけど、こんな目をされたら断れるわけがないじゃないか。


「えっと、それじゃあサラダを作るので野菜を切ってもらえますか?」

「うん!」


 仕方なく、俺は野菜を切ってもらう事にした。

 火は使わないし、野菜を切るくらいなら学校の調理自習でした事があるだろうから大丈夫なはずだ。


「あっ、まなちゃんはどうしよう?」


 料理をするのにまなを抱きかかえた状態でできるわけがない。

 その事に気がついた春野先輩が聞いてきたけど、別にその事に関しては問題はなかった。


「んっ、いす」

「椅子?」

「んっ」


 答えたのは俺ではなくまなで、春野先輩はまなの言葉数が少ない内容に首を傾げる。

 これだけでわかる人は職員さんか俺、もしくは美優さんくらいだろう。


「調理場に子供椅子が一つ置いてあるんです。まなはそこに座らせておいたらいいですよ」

「どうして一つなの?」

「俺が料理をしている時はまなはその椅子に座って見てるんです。自分じゃできないとわかっているからか、座らせてさえいれば大人しく料理をする姿を眺めてますので、連れてきて大丈夫ですよ。……逆に、別室でみんなと遊ばせておこうと思ったら泣きやまなくて言う事を聞いてくれないですし」


 そう言いつつ俺がまなに視線を向けると、まなはプイッと俺から視線を逸らした後先輩の胸へと顔を埋めてしまった。


『しらない』


 という言葉が聞こえてきた気がする。


「どうして泣きやまないの?」

「そうしたら自分の要求が通るって学習しちゃってるんですよ。他の子たちは言ったら大人しく待ってるんですけど、まなだけは本当にいいって言うまで泣き続けます」


 泣く事は自分の武器だ、その事をまなはしっかりと理解している。

 だから要求を通すためなら泣き続けるのだ。

 しかも、自分の要求が通らないとわかっている事なら駄々をこねる事すらしない。

 頑張れば要求が通ると理解している物にだけ泣き続けるという本当に困った子だ。


 結局そうなると俺を含めみんな『まだ幼いから』という事で許してしまう。

 駄目だとわかっていても、実際に泣かれるとかわいそうに思えて半分無意識に許してしまっていた。

 実際にこれは結構厄介な武器なのだ。


「本当にまなちゃんは頭がいいんだね」

「んっ!」


 優しく頭を撫でながら褒めてくれる先輩にまなは嬉しそうに大きく頷く。

 完全に確信犯の顔だった。


「甘やかさないでください。もうすぐ五歳になるのに、将来が心配になります」

「そういう冬月君が一番甘やかしてると思うけどね。まなちゃんもうすぐお誕生日なの?」


 確かに俺が一番まなを甘やかしているという事は否定できない。

 だから俺はその事には触れず、聞かれた質問にだけ答える事にした。


「三週間後の日曜日が誕生日ですね」

「そっかぁ、じゃあお祝いするの?」

「まぁ、少しだけ」


 ほんのささやかなものだけど、ちゃんと誕生日のお祝いはする。

 ケーキとプレゼントを用意するくらいでもまなは十分喜んでくれるだろう。


 しかし、春野先輩は何か考えているようだった


「どうかしましたか?」

「うぅん、なんでもないよ。あっ、ここが調理場なんだね」


 春野先輩は俺の質問を聞いて首を横に振ると、食器や料理器具などが置かれている部屋に到着した事に気が付く。

 雑談もここまでかな。


「それじゃあさっき言っていたようにお願いしますね」

「うん!」


 俺はまなを椅子に下ろす春野先輩を横目に、食材を置いて包丁などを準備する。

 そして先輩にはサラダ用の野菜を渡し、俺は別の料理に使う野菜を手元に置いた。


 しかし、すぐに水音が聞こえてきた事で春野先輩に視線を向ける。


「あっ、先輩。玉ねぎは洗わなくていいですよ」

「えっ? でも、汚れが……」

「皮を剥く食材は基本洗わなくていいです。中身しか使いませんので」

「じゃあキュウリは?」

「あぁ、キュウリは皮ごと食べますので洗ってくださって結構です」

「うん、わかった」


 先輩は素直でちゃんと俺の言った通り玉ねぎを洗うのはやめ、キュウリを洗い始める。

 これだけ素直なら料理にテンションを上げて暴走をする事もないだろうし、本当に今まで料理をさせてもらえなかっただけかもしれない。


 ――そう思った俺なのだけど、ちょっと甘く見ていた。

 というよりも、料理をさせてもらえなかったという意味をちゃんと理解できていなかったのかもしれない。


 洗う野菜と洗わない野菜、それらを仕分けて洗う野菜のみを洗った春野先輩は、いざ切り始めようとした際に添える左手をパーに開いていたのだ。

 切る時に添える手は、猫の手にする。

 その小学生でも知っているような常識をこの先輩は知らなかった。


「駄目ですよ、先輩」


 俺は驚かせないようにゆっくり近付いた後、優しく先輩が握る包丁の柄へと手を添えた。

 自分の手の上から俺に手を添えられた先輩は驚いたように俺の顔を見てきたけど、俺は優しく包丁をとりあげる。


「食材を切る時に添える手は猫の手です。もしかして知りませんでしたか?」


 この人は頭が凄くいい。

 今まで教わった事を忘れるような人ではないだろう。

 となると、知らなかったという可能性が濃厚になる。


 ……いや、知らないというのもよっぽどだとは思うけど。


「えっ、そうなの……?」


 やっぱり、春野先輩は知らなかったようだ。


「今まで調理実習の時はどうしていたんですか?」

「ふぶきがいつも全部してくれてたから……」


 白雪先輩、甘やかしすぎです。


 そう思ったけど、この場にいない人に言っても仕方がない。

 まぁ、いたとしても怖いので絶対に言わないのだけど。


 しかし困ったな。

 こんな事も知らないようだと本当に料理をさせる事が心配だ。

 俺が見ているならまだしも、こっちだって料理は進めないといけない。

 申し訳ないけど、春野先輩のフォローを全部する事はできないためご退場願おう。


 そう思って俺は視線を春野先輩へと向ける。

 春野先輩は悲しそうにシュンとしており、自分がもう料理をさせてもらえないと理解しているようだった。


 話が早くて助かる――そう思ったけど、春野先輩の様子から感じられるのは料理をしたかったという思い。

 今まで家で料理をさせてもらえなかったらしいし、今回は絶好のチャンスだったのだろう。

 そのチャンスすら失ってしまえば悲しんで当然だ。


 ……仕方ない、ね。


「春野先輩、包丁を持って頂けますか?」

「えっ? あっ、うん……」


 俺が包丁をまな板の上に置くと、春野先輩は不思議そうにしながらも言った通り包丁を握る。

 そして、彼女が包丁を握った事を確認した俺は、優しく彼女の手の上から包丁を握った。


「え? え?」


 いきなり手を握られたからか、春野先輩は困惑した表情で俺の顔を見てくる。

 だけど、俺は彼女の視線には答えず、今度は優しく彼女の左手を握った。


「折角の機会ですから、一緒に料理を作りましょうか。猫の手はこうするんですよ」

「~~~~~っ!」


 優しい力で春野先輩の左手を丸めながら耳元で囁くと、途端に春野先輩は変な声を出して顔を真っ赤にしてしまった。


 耳元で声をかけたのがよくなかったのかな?

 でも、右手では春野先輩の右手ごと包丁を握り、左手では春野先輩の左手を握っている。

 この体勢ではどうしても耳元で話しかけるのは仕方ないと思うのだけど……。


「嫌ならやめますけど……?」

「い、嫌じゃないよ! お、お願いします……!」


 左手を放そうとすると、逆に左手を握られてしまった。

 その行為と言葉、それに咄嗟に向けられた目からは離れるなと言っているように見える。

 どうやら余程料理がやりたかったようだ。

 やる気十分で助かる。


「――ごめんね、私も……いや、お邪魔みたいだね」

「んっ」

「ま、まなちゃん、そこで頷かれるのはちょっと……」

「んっ、いい」

「いいって、そんな……」


 料理を進めていると美優さんとまなの話をするような声が聞こえてきた気がしたけど、目を離すと春野先輩が危ないため気にするのはやめた。


 それから俺は、春野先輩の手を握って動かしながら、料理への注意ポイントを教えつつ料理を進めていく。

 たまにちゃんと聞いているのかな?

 と思うくらい反応が薄い時があったけど、春野先輩はとても嬉しそうに頬を緩ませていたから初めての料理が楽しかったのだろう。

 料理をするには楽しんでする事も大切なため、俺は余計な事を言うのはやめた。


 そして、いつの間にか俺はこの不思議と幸せな時間を噛みしめていた。


 こんな幸福に満ち溢れた時間は初めてかもしれない。

 それほどに幸せだった。


 ――ただ、料理が出来上がったのはかなり遅い時間になってしまい、ニヤニヤと笑みを浮かべている訳知り顔の美優さんと無表情のまなを除き、子供たち全員から大ブーイングを喰らったのはここだけの話。

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