第16話「天然たらしと悪い一面」

「――お待たせしました」


 俺は先程と同じようにお刺身とハーブ焼き、そして白子をポン酢につけた料理を春野先輩の前に並べた。

 今度は一回目よりも出来がいいと自分では思う。

 後は春野先輩の口にあってくれればいいのだけど……。


 ちなみに、この時間帯で炭水化物をとるのは怖いらしく、白ご飯に関しては遠慮されてしまった。

 こちらとしてもご飯を炊く時間と手間が減ってありがたいのだけど、やはり白ご飯と一緒に食べるほうがよりおいしいと思うため少々残念ではある。


 春野先輩は顔を赤くしながらも、俺にお礼を言った後嬉しそうにお刺身に手をつけ始めた。

 そして口に含んで何度か刺身を噛むと、途端に綻んだ笑みを浮かべる。


「お、おいしい……! 今まで食べたどのお刺身よりもおいしいよ……!」


 口の中に入れたお刺身がなくなると、先輩は目を輝かせて俺に言ってくる。


「ありがとうございます。とはいっても、刺身はマゴチ本来の旨味が出てるだけであって、俺はただ切り分けただけですけどね」

「そ、そうなのかな……?」


 春野先輩は刺身と俺の顔を見ながら困ったように小首を傾げる。


 もしかして今俺は素っ気なくしてしまったのかな?

 普通に言ったつもりだったんだけど、先輩は困ったように愛想笑いをしていた。


「――分厚さ一つで歯ごたえや食感は変わるし、優君はみこちゃんが食べやすいようにわざと短めに切ってるよね? それに味が濃すぎないように醤油に天然水を少し混ぜて薄めてたし、さっぱり風味にするためにすだちもこっそりかけてる。それをただ切り分けただけっていうのは謙遜のしすぎだね。みこちゃんの感覚が正しいよ」


 どうフォローを入れたらいいんだろ、と困っていると、美優さんが優しくフォローをしてくれた。

 翔太といい、この姉弟は本当に頼りになる。


「みこちゃん、次は白子のポン酢和えを食べてごらん?」

「えっと……これですか?」

「そう、それ。食べた事ないでしょ?」

「そうですね、初めて見ます」


 白子は昔だと普通にお店でも売っていたらしいけど、最近は見かけなくなったと聞く。

 魚釣りをする人とか漁師の人が家族にいればまた違うのだろうけど、今や白子が何かを知らない人は多い。


 ……だからだろう。

 春野先輩が、白子を摘まみながら興味深げに聞いてきたのは。


「これはお魚のどの部位に当たるのですか?」


 そう質問をされた途端、美優さんがガチンッとブリキ人形のように固まる。

 そして口にするのはためらわれたのか、顔を赤くしながら俺に視線を向けてきた。

 どうやら俺に答えろと言ってるらしい。


「あ~、それよりも春野先輩、お味はどうですか?」


 俺は春野先輩の質問に答えるのではなく、話を誤魔化す方向で進める事にした。

 だって俺だって女の子に説明をするのは恥ずかしいんだから仕方ない。

 これが相手が男子だったら全く気にしないけど。


「あっ……うん、これも凄くおいしい……。クリーミーって言うのかな? 口のなかでとろんってなって、まろやかで本当においしいよ」


 どうやら味は気に入ってくれているようだし、余計な事は言わなくていいだろう。

 それにおいしくて体に害がないのだから何も問題はないんだし。


 春野先輩はその後もおいしそうに食べてくれて、俺は自分の胸が満たされる感覚を抱きながらホッと息をつくのだった。


「――じゃっ、今度こそ帰ろ帰ろ~」


 現在深夜2時頃。

 良い子はとっくに寝る時間で、良い子でなくても普通に寝ている時間の中美優さんが子供のように元気な声で車に乗り込む。

 指先で車の鍵をぐるぐると回していたし、随分ご機嫌なようだ。

 何やら春野先輩と二人だけで話していたようだし、新しい友達ができて喜んでいるのかもしれない。


「先輩、明日大丈夫ですか?」


 明日休みの美優さんは気にしなくて大丈夫だけど、春野先輩は俺と同じでバッチリと学校がある。

 しかも生徒会長だから何かと仕事が多いはずなので、正直かなり心配だ。


 ちなみに、今日遅くなる事自体は既に家の人に連絡してるらしく心配ないらしい。

 年頃の女の子が遅く帰る事を許すなんてちょっと信じられないけど、春野先輩だから親も信用してるんだろう。

 問題ないと春野先輩が言ってる以上俺がとやかく言うのはただのお節介だ。


「私は大丈夫だよ。その……冬月君こそ、大丈夫? 今日だってお仕事で頑張った後にここまで付き合ってくれてるわけだし……」


 春野先輩は両手を合わせて顔色を窺うように俺の顔を見上げてくる。

 自分の事よりも俺の事を心配してくれているようだ。


 まぁ確かに、正直言えば今凄くしんどい。

 俺は料理をする時普通の人に比べて集中しすぎてしまうようで、料理を終えると結構な疲労感に襲われるのだ。

 特にバイトの日なんて長時間料理をしているわけで、その分体力は奪われている。

 ましてやその後に二回も集中して料理をしたんだ。

 一回目は美優さんの技術を盗むために彼女の動きを注視し、二回目は春野先輩においしい料理を食べてほしくて普段以上に集中したと思う。

 多分帰ってシャワーを浴びたらすぐに寝てしまうくらいには疲れてる。


 だけど――。


「俺も大丈夫ですよ。春野先輩においしいと言ってもらえて、幸せそうな笑顔を見られたおかげで気力は回復しました」


 ここで疲れた様子を見せると春野先輩が気にしてしまうため、俺は笑顔で大丈夫だと伝える。


 まぁそれに、実際俺が料理をするのは他の人が食べておいしいと喜んでくれる姿を見たいからだ。

 だから今日の春野先輩のように喜んで食べてくれる姿を見られただけで気力が回復したというのもあながち嘘ではない。


 ただ――なんだか、春野先輩は顔を両手で覆って俯いてしまった。


 なんだろ?

 どうかしたのかな?


「お~い、そこの天然たらし~。さっさと乗って帰らないと明日寝坊して遅刻するよ~」

「あの、美優さん? なんだか凄く馬鹿にした言い方なんですけど、天然たらしって誰ですか?」

「誰って君しかいないでしょ。ねっ、みこちゃん?」

「は、はい……」


 若干楽しそうに声を弾ませている美優さんの声掛けに対して、春野先輩は少し震えている声で返事をしていた。

 どうやら彼女にとっても天然たらしという意味がわからない認識を持たれてしまったようなのだけど、俺はそんな変な事を言ってしまったのだろうか……?


「――で、君はなんで普通に助手席に乗ろうとしてるの?」


 さすがに少し不満を持ち、首を傾げながらいつも通り助手席のドアを開けようすると、心底物言いたげな表情で美優さんに質問をされた。

 美優さんに呆れた表情をされるのは初めてかもしれない。


「えっ?」

「『えっ?』じゃないよ、『えっ?』じゃ。ん、優君は後ろ」

「あぁ、春野先輩とまだ話したいって事ですか、先輩助手席にどうぞ」

「君、しばかれたいの?」

「――っ!?」


 春野先輩に助手席を譲ろうとすると、見た目に全く似合わないドスが効いた声ですごまれた。

 いつも翔太相手に怒ってる時の美優さんだ。

 さっきもそうだけど、こんな事を俺が言われるのは初めてになる。


 ――まぁ翔太はよく言われてるけど。


「ほら、折角彼女がいるんだから一緒に後ろに乗りなよ。女の子に対して鈍感なのは君の唯一の悪いところだよ」

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