アンチマシーンの詩

亜木

屋上

「今までに無かった『思い』なんだ」

 彼は俺の弁当箱をじっと見つめたままそう呟いた。

「恨みでも妬みでもなく?」

「僕が彼女に不快感を抱く理由なんてない。ただ、この感覚はデータのどこにもないんだ」

「だからデータとか言うなってお前、もう少し人間ぽい表現の仕方あんだろ」


 昼休みは中盤に差し掛かっている。俺たちをさんざん焼き苦しめた夏はようやく過ぎ去り、屋上に昼食をとりにくる奴らもここ数日になってぽつぽつと増えはじめてきた。

 本来ここへの立ち入りは校則で禁止されていたはずだが。律儀に守る生徒というのは、悲しきかな、ひと握りであったようだ。教師陣もいよいよ手に負えなくなったのか、この場所まで咎めにくる奴はここ最近になってとうとういなくなってしまったようだ。俯瞰的に物言う俺──俺らも、例に漏れず校則違反の悪ガキ達であって。

 周りの連中は弁当箱を閉じ、そろそろ各自の教室に戻る頃である。この時間帯にもなって未だ箸を握っている奴なんて俺たち2人くらいだ。正確には、俺くらい。


「俺には分かる。お前その感情は間違いなくあれだ、恋ってやつだ。 あ、からあげ食う?」

 俺は弁当箱の端に1人寂しく鎮座していた大きなからあげを箸でひょいとつまみ上げ、彼に向けた。

「男はいつもそれだ」

「お前だって男だろうよ」

「……僕が彼女と関わった場面なんてなんてせいぜい体育祭でバトンの受け渡しをした時くらいだ。恋愛感情なんて持つはずがない。それに何度も言うが、僕は食事をしない」

 そう言うと彼は膝に手をかけ立ち上がり、くるりと後ろを向いてフェンスに寄りかかった。似合わない溜息が彼の口から零れる。


 1年半前、俺たちの入学と同時にうちのクラスに入ってきた、俺が「彼」と称しているこの男。皆がみなはじめましての状況で、互いが互いに興味の視線を向けあっていた──その中で1人、際立って異様な空気を放つ男がいた。

 男子にしては実に白い肌を持ち、針金を刺したかのように背筋が伸びきっていて。羨ましいかどうかは別として、それだけなら中学にも似たような奴はいたし、対して珍しくもなんともなかった。しかし教室以外の大体の場所で両脇にスーツを着た男たちを従えるその姿は、お世辞にも普通の男子高校生とは言い表せなかった。

 休み時間中は話しかけられない限りただその場でじっとしており、教科書の文は1文字たりとも詰まらず読み上げる。あとすごく滑舌が良い。


 早い話、彼は人間ではない。


 うちの学校から比較的近所にある研究施設で開発が進められていた、男子高校生型のアンドロイド。少子化が進むこの世の中で、政府はついにロボットを子供の中に混ぜてみようという安直で素晴らしい発想に至ってしまったらしい。施設のあらゆるテストをクリアし、晴れて最も近くのこの高校に実験として通うことが許されたというわけだ。聞かされた当時こそは、少しはこちらの都合というのも考慮して頂きたいとクラス揃って顔を顰めたものである。

 俺たち高校生に開発者から依頼された内容はただ1つ、彼を普通の男子高校生として扱ってやるということ。

 この「彼」がなかなかによくできていて、正面から向き合ってもロボットだと気づく者はまずいない。コミュニケーションも普通の人間と変わらずにとることが出来る。

 入学当初こそは彼の周りに人だかりができるのが常だった。だが、彼は良くも悪くも人間にあまりにも忠実に再現されている。ロボットと生活している実感が皆いまいち湧いてこなくなったのか、1人のクラスメートとして扱われるようになるまで時間は要らなかった。人の慣れとはつくづく恐ろしいものである。本来そうあるべきなので産みの親たちにとっては願ったり叶ったりなのかもしれないが、傍目から見ていてこう、どこか寂しさというか、もったいなさを感じていた。しかしそのおかげで、1年と少し経つ頃にはこうして2人だけで会話出来る時間も少しずつ増えてきていたのである。


 だからこそ彼が自分から女子の話題を持ちかけてきた時には、驚嘆のあまり俺の時間が一瞬止まった。

 ロボットが恋をしたことにではない。1年半傍に居続けてきて、恋愛とは無縁だと勝手に思い込んでいたこの男の口から、特定の女子の名前が挙がったことに対してである。

 

菜種未知なたねみちは僕の中でどこか特別なんだ。言葉にはできないけれど、確かに僕は彼女を他の女子に対するものとは違う目で見ている」

 魂が溶けたような顔でぼうっと遠くの景色を見つめるそれは誰がどう見ても恋する男子高校生そのものだ。彼の視線の先にあるのは錆びかけた緑色のフェンスと、その隙間の向こうの閑静な住宅街のみである。曇天、ほんの一瞬だけ、古びた瓦屋根が陽の光を反射してちかちかと光る。果たして彼の両目型レンズには今、俺と同じ景色が写っているのであろうか。


 彼の言葉に対し俺は「そうか」とだけ返して、残っていたからあげを一口に押し込んだ。


 同じ男子としてはもちろん彼を応援したい。彼の意識する菜種という女子は人当たりこそ良いものの、誰にでも平等に扱いすぎるその平和的な性格故か色恋に関する話はまだこちらの耳に届いていない。彼女とコイツが横に並んでいる光景、いつか拝んでみたいなと、俺も俺で漠然と考えるようになっていた。お節介なのは重々承知ではあるが。


 飲みかけのペットボトルの蓋を開け、残りを一気に流し込む。空になった口内には、まだ微かにからあげの冷えた香ばしさが残っていた。


 胡座を崩そうと地面に手を下ろした俺を彼が見下ろしてきた。その瞳はやはり、いつもよりどこか頼りなさげで。

「天気予報士は今日何と言っていた?」

「今日の天気か? んん……覚えてねえ。たぶん曇りのち晴れとか、そんなだろ。ここんとこそればっかだし。……何で?」

「……今日は日差しが眩しい」

 無遠慮に吹き出した俺に、冷気を伴った周囲の視線が突き刺さる。気づかぬ振りをして、真っ直ぐ伸ばされた自分の太ももを控えめにぺしぺし叩く。込み上げる笑いを必死に押し殺す。苦しい。

「おいおい、いよいよじゃねえか。世界が輝いて見えてんじゃん。自信持ちな。お前は今1人の女子に心を奪われてんだ」

「……君はなぜそこまでして僕と恋を結びつけたがる? それほど恋が良いものなのか、僕には甚だ疑問だ」

「良いものに決まってんだろお前。覚えておけ、俺たち学生の三本柱。一に席替え、二に恋愛、そして三に昼休みだ」

「初めて聞いた」

「俺も初めて言った」

 興奮していた神経が落ち着くのを待ってから、一つ息をついて前に向き直る。取り留めのないコイツとのお喋り。息が詰まるような堅苦しい授業と授業の間に挟まれた、俺の毎日の楽しみ。


 だが間もなく、俺の日常からこの重要なピースが引き抜かれるらしい。


 どこまでもアンドロイドとして優秀な彼。だがその彼には1つ、重大な欠陥があった。

 彼は俺たちと一緒に卒業することはできない。

 ロボットである以上、燃料は必ず必要になってくる。彼の場合はバッテリーで動いているらしい。

 俺はズボンのポケットの上から、硬いカバーで覆われた自分の携帯を撫でた。携帯を学校の敷地内で使用するのもまた校則違反である。

 携帯の側面、充電用プラグを刺すための穴が空いている。これがなければもちろん俺の携帯はいつか使えなくなる日が来る。しかし、限りなく人間に寄せられた彼にプラグを刺す穴はない。当然、充電は出来ない。

 開発者から受けた説明の中に、彼はもって2年、1年間なんの誤作動もなく動いてくれれば万々歳、といった内容のものがあった。最近になって彼は数秒間硬直する頻度が上がり、会話の受け答えも以前より遅れることが増えた。おまけにここ数日、入学してしばらく彼を監視していたスーツの男たちが再び学校に頻繁に現れるようになった。俺も1度、彼の調子について尋ねられた。


 つまり、そういうことなのだろう。


 ふと開発者の顔が頭をよぎる。急ぎ足で吹く風がカッターシャツの袖口を叩いた。俺はそれを払いのけるようにして、その場にすっくと立ち上がった。

「……伝えないとな」

「……何をだ?」

 真っ直ぐ彼と向き合う。やっぱり、どう見ても人間の顔だ。

「菜種にその気持ちをちゃんと知ってもらうんだよ」

 数秒、彼は真顔のまま硬直し、そして──

「……どうしてその必要がある? 僕が一方的に彼女を特別に思っていようと、それは彼女自身とは関係のない話だ」

 こいつに告白というデータはインプットされていないらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る