無力なウチでも、あのヒーローに尽くしたい -ヒロインズ・グラフィティ-

オリーブドラブ

無力なウチでも、あのヒーローに尽くしたい -ヒロインズ・グラフィティ-


 轟音が天を衝き、巨大な足がアスファルトを踏み砕く。振るわれた尾がビルを薙ぎ倒し、埃と衝撃音、そして爆音が人々の悲鳴を飲み込んでいく。

 しかしそれはもはや、非日常であって非日常ではない。地底より出し邪悪な怪獣「ダイノロド」の襲来は、今に始まったことではないのだから。


『スピンリベンジャー・パァンチッ!』


 そして、その暴走を阻止せんと立ちはだかる、全長30mのスーパーロボット――「ジャイガリンGグレート」の登場も、これが初めてではない。

 の巨人は太く逞しい鉄腕を振るい、肘から先を切り離した鉄拳で、怪獣の身体を一撃の元に貫いていく。爆炎に崩れ落ちていく巨躯に、人々が歓声を上げたのはその直後だった。


「うっ……うおぉーっ! すっげぇー!」

「俺、生の戦闘初めて見たわ! 写真写真!」

「やばっ、ガチのマジでやばっ! もうこんなの撮るしかないじゃん、これ絶対バズるやつっ!」


 命からがら安全圏まで逃げ延びた民衆は、手放しに巨人の勇姿を称賛する。現場に居合わせ、一時は怪獣に踏み潰される寸前だった女子大生のグループも、つい先程まで自分達が死に瀕していたことさえ忘れていた。


「と、都民の皆さん! ここはまだ危険です、速やかに避難を!」

「うっさいなー、今アップで忙しいんですけど!」

「こんなに近くで撮れるチャンスなんて滅多にないんだぜ!? 邪魔すんな役立たずの防衛軍!」


 眼前で繰り広げられた激戦による、高揚感。その一時の感情に浮かされた彼らは、防衛軍の避難誘導にも耳を貸さず、ジャイガリンGの巨体に携帯を向け続けている。命の危機が去った今、彼らにとってはバズる・・・1枚の方がよほど重要なのだ。


「アンタら……いい加減にしなッ! 防衛軍がさっさと逃げろっつってんだろッ! べらべら喋ってないでさっさと歩け、携帯踏み壊すぞゴルァッ!」

「ひっ……!?」


 しかし、その時。戦いが終わってからも、どこか剣呑な面持ちでジャイガリンGを仰いでいた1人の女子大生が――突如金髪を振り乱し、怒号を上げて大衆を一瞬のうちに黙らせてしまった。

 現場に居合わせていた女子大生グループのリーダーだった彼女は、自分の後輩達にも厳しい視線を向け、無言のうちに「携帯しまえ、ちゃんと防衛軍の言うことを聞け」と命じている。ナイフよりも鋭いその眼光を前に、後輩の女子大生達は青ざめた表情で携帯を隠し始めていた。


 他の大人達も皆、彼女の眼差しには本能的に抗えず、言われるがままに撮影を中断していく。目を付けられたらやばい、という直感が、彼らをそうさせていた。


「ご、ご協力ありがとうございます。いやはや、まさか都民の方にこの場を収めて頂けるとは」

「……いえ、こちらこそ声を荒げてしまって申し訳ありません。避難誘導、引き続きお願いします」

「りょ……了解しました」


 その一方で、お礼を言いに駆け寄ってきた防衛軍の隊員に対しては、穏やかな口調で恭しく頭を下げている。褐色の肌を持ち、いかにもな「黒ギャル」といった印象を与えている容姿からは、想像も付かない佇まいであった。

 そんな自分に面食らっている隊員を尻目に、彼女――沢宮瑞希さわみやみずきは、憂いを帯びた切なげな表情で、去りゆくジャイガリンGの背を見送っている。


「……ぶっきー」


 艶やかな唇から呟かれた一言は、彼女の後輩――不吹竜史郎ふぶきりゅうしろうを指す渾名であった。彼女は一介の民間人でありながら、知っていたのである。


 ――その青年こそがジャイガリンGを駆り、自分達を守るために命を賭け続けているパイロットなのだということを。


 ◇


 地上征服を目論み、地底の底から次々と怪獣ダイノロドを差し向ける「グロスロウ帝国」。その猛威に敢然と立ち向かう、正義のスーパーロボット「ジャイガリンG」。

 彼らの戦いが始まってからもうじき1ヶ月になるが、未だに鎮静化する気配は見えず、むしろ戦闘の激しさは日増しに高まっているようにも見える。グロスロウ帝国がジャイガリンGと防衛軍の抵抗に業を煮やして、より強力な怪獣を差し向けているせいなのかも知れない。


「昨日のアレ、凄かったよねー……。ウチ、結局一睡も出来なかったわぁ。レポートヤバいのに」

「あー、道理で。なんかあんた今日の化粧ノリ悪いし。まーウチもなんだけどさぁ」


 だが、常勝無敗のジャイガリンGの存在に安心しきっている東京都民は、喉元を過ぎた熱さを忘れ、安穏とした日々を過ごしている。それは瑞希が通う大学のテニスサークルにおいても、例外ではない。

 一通りの練習を終えて休憩時間に入った女子達は、昨日の戦闘を映した動画に夢中になっていた。その様子を一瞥する瑞希は、どこか浮かない様子でドリンクのストローに口を付けている。


「……」

「あ、会長! 昨日はスンませんでした、ウチらつい夢中になっちゃって……」

「いいよ、ウチもキツく言い過ぎちゃったし。練習終わったらサークルの皆で、カラオケ行こうよ。昨日のことなんかさっさと忘れて、パーっとさ」

「うぃーす!」

「あざーっす!」


 気まずそうに頭を下げるサークルメンバー達に、苦笑を零してひらひらと手を振りながら。彼女は女子達のフォームを丁寧に指摘している、1人の男子メンバーを見遣っていた。


「そうそう、その調子。あとはそれを習慣付けられるところまで行けば、自然に身体の動きも付いてくるようになるから」

「うん、ありがとう不吹君っ!」

「ねー不吹君、あたしにも教えてー!」

「あぁ、ちょっと待っててね」


 艶やかな黒髪と、翡翠のような瞳を持つ長身の美男子――不吹竜史郎。週に1、2回程度しか参加してこない幽霊部員でありながら、その甘いマスクで多くの女子部員を魅了している新1年生だ。


「あー、もしかして会長も不吹君狙いなクチですかぁ? ちょっと物静か過ぎるとこあるけど、カッコいいですもんねー! じゃあ今日は不吹君も……」

「……いいよ。ぶっきー、今日もバイト・・・で忙しいらしいから」

「えぇー……せっかく久々に顔出してくれたって思ってたのにぃ。貴重なウチらの目の保養がぁ……」

「会長、それで良いんですか? ここはサークルを代表して、先輩との付き合い方ってものを指導してあげるべきかとっ!」


 周囲の後輩達も黄色い抗議の声を上げている。しかし瑞希は遠巻きに竜史郎を一瞥するだけで、踏み込もうとはしない。ただ切なげな眼差しで、その横顔を見つめていた。

 そんな彼女の表情から、その胸中を慮っていた後輩達も、敬愛する先輩の背をなんとか押そうとしているのだが。当の本人はあくまで、遠くから見守るだけに留まっている。


 ――自分に出来ることなどないのだと、諦めているかのように。それは、常に勝ち気な瑞希らしからぬ佇まいであった。


 ◇


 1ヶ月前。都内の古代兵器博物館を襲撃した怪獣を迎え撃つべく、ジャイガリンGは初めて人々の前にその姿を現した。

 その日、たまたま近くのガソリンスタンドでバイト中だった瑞希も、戦闘に巻き込まれていたのである。そして、店長の指示に応じて避難している最中に――見てしまったのだ。


 巨人のパイロットらしき青年が、事切れて。その人物を看取った竜史郎が、後を継ぐようにジャイガリンGへと乗り込んでいく瞬間を。


 それから、竜史郎が搭乗する正義のスーパーロボットは怒涛の活躍で民衆の支持を集め。今ではその姿を模したグッズが、子供達を中心に人気を集めているのだという。

 もちろん大人達も、その戦いの推移には日々注目している。一体誰がパイロットなのか、という話題も頻繁にネットに上がっていた。


 つまり、竜史郎は正体を秘密にしている。少なくとも、明かせない理由がある。直に見た光景以上のことは何も分からない瑞希にとっても、それだけはハッキリしていた。

 今はきっと防衛軍の管轄下にあるだろうから、身内の人間なら何か知っているのかも。そう考えて、防衛軍将校を父に持つ、同級生の友人・唯川綾奈ゆいかわあやなにそれとなくカマをかけてみたこともあった。

 しかし、結果は空振り。将校クラスの娘である綾奈でさえも、ジャイガリンGの実態は全く分からないのだという。


 今にして思えば、聞くまでもないことだったのかも知れないと瑞希は考える。綾奈は中学時代から一途に竜史郎を想い続けてきた人物であり、日頃から彼のことで一喜一憂している繊細な一面もあるのだ。

 彼がジャイガリンGのパイロットとして、毎日のように怪獣と戦っていることを知っていたら、常に気が気でないはず。今頃はもう辞めてと泣きついているくらいかも知れない。

 つまり竜史郎がジャイガリンGに乗っているという事実は、防衛軍の関係者でも全く知らないほどの機密情報だということだ。


 友人の想い人。大学随一のイケメン。自分達のサークルメンバー。……ちょっとだけ口数が少なくて、すごく優しい男の子。

 それくらいの印象しかなかった竜史郎への見方が変わり始めたのは、その結論に思い至った頃からだった。


 サークルの一員として、なんとか自分達の仲間に迎え入れたくて、距離を少しでも縮めたくて。「ぶっきー」という気安い渾名を付け始めたのも、その辺りからになる。


(ぶっきーは……竜史郎君は、ずっと何も言えないまま。黙って、独りで戦い続けてる。ウチらを守るために、何も……何も言えずに)


 さすがにあのスーパーロボットを、自分独りだけで何もかも管理しているとも思えないが。身寄りがないという彼に、親身になれる理解者がどれほどいるのだろう。


 自分は全部知っている、辛いことがあるなら自分に打ち明けてくれて良い。そう声を掛けてあげたいと思ったのは、一度や二度ではない。

 だが、それはきっと許されない。彼は友人の想い人だし、無関係な一般人に正体が漏れていることが発覚したら、竜史郎にとって不利なことが起こる可能性もある。


(ごめんね……あやなん。ウチ、全部知ってるのに、分かってるのに……何も、何もしてあげられない)


 サークルの後輩達を連れて、カラオケで得意の歌声を披露している間は。誰にも何も悟られないよう、明るく勝ち気なギャルを演じているが。

 どこか憂いを帯びた瑞希の眼は、「バイト」と称して戦いに向かう竜史郎への想いに、揺れていた。


「……なんか今日の会長、ヘンじゃね」

「そう……だよね、やっぱり」

「うん。だって今まで、ロック系とかビジュアル系ばっかだったのに」

「今日の選曲、なんかどれも湿っぽいんだよね。片想い系みたいな、そんな感じの……」


 だが、付き合いの長い後輩達は。その僅かな機微の変化に気づき、心配げな表情を浮かべている。


「……やっぱ、不吹君も誘っとけば良かったね」

「それな……」


 ◇


 その日の夜。バイト・・・を終え、自宅のアパートに帰ってきた竜史郎を待っていたのは。カラオケ後にその足で訪れていた、瑞希だった。


「あれ? 会長じゃないですか、お疲れ様です」

「……」


 手摺りに豊満な尻を乗せ、すらりと伸びた脚を組んでいる長身のギャル。褐色の柔肌を強調しているその服装は、まるでこれから夜遊びにでも行くかのような格好だが。僅かに潤んだ瞳だけは、可憐な少女のような色を湛えている。

 彼女が手にしている携帯には今日、東京郊外に出現した怪獣を撃破したという、ジャイガリンGの活躍を報じるニュースが映されていた。


「……おかえり、ぶっきー。今日もバイト……だったんだっけ。お疲れ様」

「あはは、いつもたまにしか顔を出せなくてすみません。今はちょっと忙しい時期なんですけど、もうしばらくしたらバイト先も落ち着いてくると思いますから」

「ふぅん……」


 その視線は、苦笑いを浮かべて頬を描く竜史郎の――腕に巻かれた包帯へと向けられていた。こうして怪我をして帰ってくるのも、最近では珍しいことではなくなってきている。

 本人はいつも、バイト先でちょっとヘマをしただけだと笑っているが。実態を知ってしまった瑞希の目には、それすらも痛ましく見えてしまう。


「最近は怪獣もしょっちゅう出てきてる感じですけど……まぁ、大丈夫ですよ。ジャイガリンGがなんとかしてくれますから、きっと」

「……そーだね」


 それに乗って、戦っているのは自分なのに。まるで他人事のように、竜史郎は一般人を演じながら、こうして傷を負って帰ってくる。何の心配もいらないのだと、虚勢を張って。


「……っ」


 その度に見せる華やかな笑顔が、痛いのだ。知っていながら何も出来ない自分には、痛くてたまらないのだ。

 そんな彼に少しでも惹かれている自分が、何も出来ないくせにと許せなくなるほどに。


「……ねぇ、ぶっきー。ジャイガリンGって、仲間とか居るのかな。近くで支えてくれる人、とかさ」

「え……? なんです、急に」

「いいから」

「う、うーん……まぁ、防衛軍と一緒に戦ってることもあったくらいですし。防衛軍の人達の中には、1人か2人くらい仲良い人とかも居るんじゃないですかね」

「……そっか」


 もはや、自然な流れで会話を切り出していく余裕もなく。瑞希は全てを吐き出してしまいそうな情動を堪え、竜史郎の口から、聞ける限りのことを聞き出そうとしていた。

 せめて何も知らない、ただの一般人として。苦闘を重ねる彼に、少しでも寄り添いたくて。


「……でも、やっぱ1番身体張らなきゃいけない立場だし。最後の最後だけは、独りで戦ってるんじゃ……ないでしょうか」

「……!」


 やがて、竜史郎の口からぽろりと。彼の胸中により近しい、感情を乗せた呟きが零れる。その一言を耳にした瑞希は、顔を背ける彼の様子に目を張り、唇をきゅっと結んでいた。


(嘘ばっか……! 竜史郎君ってば、いっつも嘘ばっか! 辛いんじゃん、やっぱ!)


 出来ることなら、感情に任せて抱き締めてしまいたい。よく頑張ったね、大変だったねと言ってあげたい。しかしそんな所業は、色んな意味で許されない。

 瑞希は体の芯で渦巻いている感情を冷静に処理すべく、扇情的な太腿に爪を立て、無関心を装う。どこか気まずげに竜史郎が顔を上げた頃には、なんとか瑞希も表情を持ち直せていた。


「って……あはは。何を知った風なこと言ってんですかね、オレ。気にしないでください、勝手な想像ですから」

「……」

「会長?」


 だが、取り繕えたのは上辺だけ。心の内はもう、耐えきれないところにまで来ている。辛うじて保っていた、澄まし顔の仮面すらも、剥がれかけていた。


 その異変に首を傾げた竜史郎が、心配げに歩み寄ってくる。近くで、今の貌を見られてしまったら。きっともう、バレてしまう。

 全部……バレてしまう。それだけは避けたい。いや、避けなくてはならない。そのために取れる道は、ただ一つ。


「……ぶっきー、何も食べてないでしょ。ご飯、作ってあげる」

「え……いやでも、悪いですよ」

「大丈夫、ウチこう見えて結構家庭的なとこあるから。台所借りるよ」

「は、はぁ」


 強引な話題転換。そして、手料理。

 この溢れ出しそうな感情が、暴発してしまう前に鎮めるには。竜史郎に気取られないようにするには。もはやこれしかないというのが、瑞希の結論であった。

 竜史郎も突然の展開に多少戸惑ってはいるが、自分の気持ちに気付いている気配はない。そこまでは良い。


(……やっば。やばいやばいやばいってこれ絶対やばいって。ウチ、勢いでここまで来ちゃったけど……ぶっちゃけ男子の部屋に上がるとか初めてなんですけど)


 問題なのは、ずかずかと竜史郎の部屋に押し入り、強気な雰囲気を装いながらも。茹で蛸のように貌を赤くしている、瑞希の表情であった。

 勝ち気で強引な先輩としての背中を見せていながら、その貌は「やってしまった」と言わんばかりに紅潮している。もはや思考能力を司る回路はショート済みであり、長年に渡る料理経験に基づく直感だけが、台所に向かう彼女の身体を動かしていた。


(ご、ごめん、あやなん。でも部屋に上がるだけだし、ちょっとご飯作ってあげるだけだし、ほんのちょっとでも竜史郎君に尽くしたいなってだけだし。別に……いいよね? これ別に略奪愛とかそーゆうのじゃないよね?)


 罪悪感と背徳感、そして衝き上がる高揚感に揺さぶられながら。瑞希はチラリと、竜史郎を一瞥する。


「あはは……じゃあ、オレも手伝いますよ。材料、あんまりないですけど」

「……!」


 その時の彼は、家に辿り着いたことで気が緩んだのか。いつもより少しだけ、自然な笑みを零していた。

 それを目にした瑞希の胸中からは、後悔の念だけが消え去り。


「……うん」


 冷蔵庫を開ける彼女の貌もまた、無意識のうちに綻んでいた。

 思い描いた形とは、少しだけ違う気もするが。彼女はようやく、見ることができたのである。


 竜史郎がほんの僅かでも、ヒーローとしての使命を忘れられた瞬間を――。


 ◇


「……ぶっきー」

「はい?」

「いつも、お疲れ様」

「……ありがとう、ございます」

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