異世界人はこの世界を愛してるⅠ
MACK
第一章 異世界に来た自衛官
第1話 異世界人登録局
「フレイア、今日の午後にゴゼのは村に落ちてきた者が、こちらに到着する予定のようだ」
赤毛でショートカットの気の強そうな女性が、椅子に深く腰掛けながら読んでいた届けられたばかりの書簡から目を上げて、日誌を整理していた目の前の女性……少女という年齢だろうか……に声をかけた。
日誌と書類に埋もれた堅苦しい場所にいるのが不釣り合いに見える幼顔でありながら、赤毛の女性に向ける知的な眼差しがアンバランスで、不思議な魅力。
「今年に入って二人目ですか。去年よりペースが遅いですね」
冬から春に移り変わるこの季節。
彼女は豊かで艶やかな黒髪を片側で三つ編みにし、肩から胸に向かって流している。彼女らが着ている局員の制服は騎士の礼服に少し似ていて、スカートではなくあまり女性向きのデザインではなかったけれど、生真面目そうなこの女性には似合っていた。幼いと言われる顔立ちだが、童顔なだけだで立派な大人だと本人は言う。
「おまえと同じ黒髪で黒い目らしい。もしかしたら同郷かもしれないよ。男性だが、年も近そうだ。気が合うかもしれないね」
赤毛の女性はクスリと軽く笑う。少し含みもあるようだ。
フレイアと呼ばれた少女はその含みを過敏に感じ取ったが、あえてそれを無視し肩をすくめながらふんわり笑って応えてみせる。
「局長は、登録者が男性のたびにそう言うんですね」
普段から男性に興味を示す事のない奥手なこの娘に、上司は目を細める。この子がこの世界に来た時……と、昔を思い出したところに、部屋にノックの音が響いた。
「相談がありまして、今よろしいでしょうか」
おずおずとした年配の女性の声が続いた。
フレイアは立ち上がり扉を開け、やさしく微笑みながら扉の外にいた女性を部屋に招き入れた。女性は明るい金髪を後で無造作に結い上げていて、年の頃は五十代といったところ。庶民のおかみさんといった感じの、質素だけど動きやすい服装をしている。
「クローディアさん、何かお困りごとが?」
手慣れた手つきで部屋の隅にある椅子に誘い、ノートを広げ準備を整えた。
世間話をしながらお茶を淹れ自身も椅子に座り、リラックスした雰囲気を作りだしてから要件を聞き始めた。
ここはエステリア王国異世界人登録局。局長を含めた局員五名で回しているが、外回りや非番で全員が局室にそろう事は少ない。
この世界では異世界から時々、人が落ちて来る。ランダムで落とし穴のように世界と世界を繋ぐゲートが開いている、という感じであろうか。今のところ元の世界に戻す方法は見つかっていない。
この魔法に頼り切りの世界では、いわゆる科学・化学の類が全く進歩しなかったため、その方面は中世ヨーロッパレベル。
元の世界では一般人でも、こちらでは目を見張るような技術や知識の保有者だったりする事から、随分その存在は重宝されている。
例えばだが、距離の単位や重さの単位は、異世界からの知識からメートル法が採用されているといった感じだ。
特に際立った知識や技能がなくても、異世界出身だからとこれといって一般の人々に差別意識があるわけではなく、他国からの移民と同様の扱いがなされている。
ただ世界観が大きく異なる事から、元の世界の常識が通用しない部分もあり、そもそも魔法というものに面食らう人も多いので、この世界を知り馴染むまでは、国の機関でサポートしているというわけだ。
エステリア王国内では、年間でいうと五人から十人ほどは異世界からやってくるが、やはり元の世界との違いから精神を病む者も多く、戻れない事を知った絶望からの自殺者も多かった。
そのため異世界人登録局は存在を登録するだけではなく、細やかな相談にも応じ色々なサポートを行っている。
赤毛の局長エリセはもともとは騎士団出身で、勇猛果敢な数少ない女性分隊長であったが、隣国ゴートワナ帝国との国境での戦闘で右膝を負傷。長時間の行軍に耐えられなくなった事もあり、こちらの部署に異動となった。
面倒見がよく姉御肌なところが局員・登録者双方に慕われており、良い人事だったと評価されている。年齢は三十歳になったところで、男勝りが災いしているのか未婚。
「ありがとうございました!」
相談を終え、すっきりとした表情を浮かべている。来た時の不安はすべて解消されたようで、足取りも軽く帰途につく女性をフレイアは見送って扉を閉める。
「フレイアが局員になってもう二年か。もうすっかりベテランだな」
「月日が経つのは、本当にあっという間ですね」
相談ノートを棚に戻しながら、ついでに他の書類も軽く整理する。
「昼食はどうする? 久々に一緒に食べるか」
「今日はローウィンさんが非番で、シェリさんは町に出てますし、マンセルさんは……来る時間が読めなさそうですね」
本当に真面目だなと、エリセは軽く溜息をつく。
「まあ相談に来たら誰もいませんでした、っていうのは確かに困りものだな。私が先に昼食を片付けて来るから、後で交代しよう。それまでにマンセルがきたら、フレイアも食堂においで」
「はい」
上着を手に取って、さっそうとエリセは部屋を出た。
フレイアは散らかったままのエリセの机を簡単に整頓し、午後からくる登録者の準備を始めた。
昼前に出勤するはずのマンセルはまだ来ていない。時間にルーズなのがあの男の最大の欠点だとエリセ局長は言うけれど、フレイアはあまりその部分を欠点だと思ってはいなかった。大らかで明るい性格に、随分救われてきたと思う。
軽いノックの音が響く。
「少し早めですが、登録希望者が到着しました」
いつも案内を担当している騎士の声にフレイアは軽く身支度を整え、扉を開ける。
「どうぞ、お待ちしておりました」
騎士の後ろにいた男性は二十台前半といったところだろうか。フレイアと同じ黒髪に黒い目。髪は坊主頭とは言わないけど、随分短く刈られていた。促され、部屋に緊張の面持ちで恐る恐る入ってきた。着替えさせられたのか、こちらの世界の服をすでに着ているのが若干気になる。発見された時点で服がボロボロだったりする事もあるから、特別おかしい事でもないのだけど。
騎士の役目はここまで案内する事だけなので、フレイアが「ご苦労さま」と声をかけると、軽く一礼をし踵を返しかけたが、ふと気づいたように振り返り、
「もしかして今、お一人でしたか。自分、こちらに控えておきましょうか?」
稀に暴れる異世界人もいるため、さすがに女性一人に対応させるべきではないと思ったようだ。今いるのが局長のエリセなら、例え一人であっても気にはしないのだが。
エリセに比べるまでもなく、フレイアは線が細く、体も小さくてか弱い雰囲気があった。護身術ぐらいは習っているはずだが、今まで一人で対応しているところは見かけた事がない。他局員が彼女を守るように気遣っている節もある。
「ありがとう、もうすぐ他の局員も来るので大丈夫です」
控えめだけど愛らしい笑顔を返す彼女に、別の心配もあるのでは?という事も兵士の脳裏をよぎったが、その時バタバタと足音が聞こえてきた。
「いやーーーごめん! 遅刻した!!」
「あっ、来ましたね」
ボサボサの金茶の髪の青年が駆け寄ってくる姿をフレイアと騎士は、笑ながら確認した。
「では自分はこれにて」
「ご配慮を感謝します」
もう一度丁寧にお礼を言ったところで、マンセルが部屋に駆け込んできた。
「で、午後の登録者は来た? まだ? セーフだよね!?」
「残念、もういらしてます」
フレイアは新参の異世界の黒髪の青年に向き直る。
「お待たせしました。あと……お騒がせを」
「い、いえ」
青年はフレイアに促されて、木のテーブルの前の椅子に腰を下ろす。テーブルにはいくつかの書類が準備されていた。
「どうぞ」
手際よく淹れられたお茶が差し出された後ろで、マンセルと呼ばれた青年はバタバタと自分の机の引き出しを漁っていて騒がしいが、これぐらい砕けた雰囲気の方が緊張がゆるんで来る。
「ありがとう」
熱いお茶を一口飲んで、ふーーっと息を吐きだすと、より落ち着いてきた。紅茶だろうか、花のような香りがする。この香りが緊張感を和らげてくれた気がした。
対面の椅子に座った女性は彼が落ち着くのを待ってくれていたようだ。
「私はエステリア王国異世界人登録局、局員のフレイアです。本日担当させていただきます。私もあなたと同じ異世界からの移住者ですので、気楽にしてくださいね」
優しく微笑みながら、書類を数枚引き寄せ、ペンにインクをつける。
「まず元の世界でのお名前と年齢、職業をお伺いしてもよろしいですか?」
「佐々木 浩平、二十四歳、自衛官です」
書類に書き込むフレイアの手がピタリと止まる。
「日本人ですか?」
「えっ! あ! はい! そうです!!」
「ああ良かった。若い日本の方だととても説明がしやすくて。ここは、いわゆる剣と魔法の世界で、あなたは異世界人となります」
日本では異世界召喚や異世界転生をモチーフにした小説が数多くあり、アニメやゲームでもそういう設定が多いため、これらに親しむ世代にはこの説明で通じてしまう事が多い。
ただこの説明には問題もあり……。
「も、もしかして! 僕はこの世界で勇者だったり賢者だったり、その、英雄だったりするんでしょうか!? 特別な力があったり」
いきなりテンションの上がった男性に、フレイアは一瞬怯んだ。このテンションを萎ませてしまう説明をしなければならないのが辛い。
「残念ながら、君は君のままだよ」
マンセルがぱっと机の横にやって来て、言いにくい事をサラっと言ってくれた。
「あっ、そうなんですか……」
一気にテンションが下がったのが手に取るようにわかる。
「積極的に異世界人を召喚している国もあり、そういう所では能力が高い異世界人を迎えている、という噂もありますが。この国に来るのは、偶然、事故的に飛び込んで来てしまった人ばかりで、特殊な能力をお持ちの方にはお会いしたことがないです。すみません……」
なぜだかものすごく申し訳ない気持ちになってしまう。
「まぁ、いきなり魔法が使えるようになる事もあるし、元の世界ではできないような体験はたくさんできると思うよ?」
マンセルの言葉に少しテンションが戻ったように見えた。
フレイア引き続き世界の説明を続けた。
「この世界に落ちて来る時に、言語の転換が行われるようで、言葉には不自由しないはずです。ただ元の世界で知らない単語は書けませんし読めません」
「言葉が通じたのは助かりました……」
なんとなく、不思議な間ができて二人は見つめ合ってしまう。
「あっそうそう、俺はマンセル。局員の一人だ」
今更ながらマンセルが自己紹介をした。くりくりとした茶色の瞳がいたずら者ぽい。なおかつぐいぐいと押しが強い。青年と彼女がいい雰囲気にならないように邪魔してるようにさえ思える。
「よ、よろしく」
マンセルとフレイアは代わる代わる、説明を続けた。仕事を自由に選ぶ事が出来る事、登録局がいろんなサポートをする事、他国に行く場合は申請が必要な事、そして元の世界に戻る方法がない事……。
「戻れないんですか」
最初は異世界にはしゃいでいた人間も、戻れない事を知ると気落ちする事が多い。
「生まれ変わったつもりで、心機一転でこの世界で暮らすって言うのが、一番精神衛生上はいいな。結婚して家庭を持った異世界人も多いよ」
「得意な事を仕事にするのもいいですよ。異世界人はどこでも歓迎されますし。ご希望があれば、私たちが就労のサポートもします」
白い指で書類の束を揃え、トントンと机に当てて整える。
色々と世間話のような話をしながら、そこから必要な情報を書き取り終えていたのだろうか。
「登録が完了しました。改めて、ようこそこの世界へ」
差し出された右手に、少し戸惑ったが、浩平改めコーヘイはおずおずとフレイアと握手を交わした。小さくて柔らかい手のひらにドキドキする。
「よろしくな、コーヘイ!」
満喫する間もなく続けざまにボサボサの髪の青年が右手を突き出す。マンセルと握手するのは、あまり緊張しなかった。さて、という雰囲気になったとき、ドアが開き、赤毛のショートカットの女性が入って来た。
「もう登録者が来てたのか。というかマンセル、また遅刻か」
「ヒッ、局長すみません!!」
ジロリとエリセは冷ややかすぎる視線でマンセルを睨んだ。
空気が悪くなりかけたので、慌ててフレイアが割って入る。
「登録は今しがた終了したところです」
エリセは怒りの表情を抑え、渡された書類を軽く確認しうなずくと、コーヘイの前に歩み寄った。背はコーヘイとほぼ同じぐらい。女性にしては高い方だと思われた。
「私がこの登録局の責任者、局長のエリセだ。君の生活が安定するまでしばらく付き合いがあるだろうからよろしく」
今日は握手してばかりだなと思いながら、エリセとも握手を交わす。
「こちらの世界でも、挨拶は握手なんですね」
コーヘイが少し嬉しそうに言う。
「正確にいうと少し違うかな。この握手による挨拶の文化は異世界人が持ち込んだものなんだ」
ふと閃いてフレイアの方に向き直る。
「ああそうだ、フレイア。お昼も随分まわってしまったし、この新参君を連れて一緒に食堂に行ってみてはどうだい? 異世界人が持ち込んだ文化を見ると、この世界への愛着も沸きやすいだろう」
「わかりました」
「あっ俺も昼めし!」
「遅刻してきてお前は何を言ってるんだ。マンセルは留守番に決まってるだろう?」
不満いっぱいのマンセルの頭をゴツンと殴って襟首をつかみ、椅子に無理やり座らせる。
「仕事をしろ!」
いつもの風景に思わずフレイアは笑みがこぼれる。
コーヘイにその笑顔のまま振り返り、
「行きましょうか」
「あ、はい」
黒髪の少女の後ろを、黒髪の青年がたどたどしくついて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます