本棚邂逅
白浜維詠
第1話 本棚邂逅
メロン農家の娘の理世が第一志望の公立高校に受かり、入学の手続き諸々の書類を親に書いてもらうが、
自転車保険の書類だけは書くのを拒否された。
「えーと、自転車通学デビューが私の夢なんですけど」
「嫌だ」
と理世の母はきっぱり言い放って、
「見てて自転車乗りが下手くそなあんたが毎朝自転車通学?はっ、ダンプに巻き込まれて大怪我する絵面しか思い浮かばない」
と理世の母のトラウマ、
あれは理世が保育園の年長さんの頃。
一番仲の良かった友達の美香ちゃんが自転車で商店街の通りを走っていた時トラックにはねられて命は助かったものの…頭蓋骨骨折の重傷を負い小学校に入学してから半年間は頭の包帯が取れなかった事をいちいち引き合いに出しては、
理世が自転車に乗る事を許さなかったのだ。
理世がやっと自転車を買ってもらったのは12の誕生日の時。
田舎の農業地域に住んでいるので友達の家に遊びに行くにも不便だし自転車禁止が原因で友達が減る、というより…
リアルに遊び友達が居なくなる事態を母親が恐れたから渋々、という事情だった。
「自転車に乗れるんだし、ヘルメットと蛍光タスキで安全に気を付けるし」
と必死で説得したが、「徒歩30分で行ける学校なんだから歩けるなら歩いて行け」ダメなものはダメ。と頑固な母だった。
春休みが終わって理世の高校生活が始まり、最初の学年集会で主任教師が最初に言ったこと、
「えー、うちの高校は今年50人が公立大学に受かりました」
であ、この高校はダメだな。朝課外夕課外と勉強漬けで生徒の半数が病む。といった噂は本当だった。
片道30分、なれど往復一時間。その間英和、漢和、教科書ノート副読書などを革の鞄に入れて持ち歩くのは15の小娘には結構負担がかかる。
「だから自転車通学にしてって言ったのに…」
とゴールデンウィーク明け、初夏の通学路でふうふういってうだっていると、向かって右側の横断歩道がやけに眩しく光る。
この横断歩道は…数年前、Nさんという女生徒が自転車で横断中にダンプカーにひかれて亡くなった事故現場だった。
享年16才。成績トップで実に惜しい生徒を亡くした。と全校集会で校長が言っていた。と部活の先輩が教えてくれた。
学校帰りの午後3時。周りには人はなく、車一台も通っていない横断歩道の横を素通りしようとした時、
あたしみたいになっちゃだめ!
と何処からか、というより頭の中で声が響いた。
え、これはもしかして霊体験?
夏なのに鳥肌が立った。
理世は慌ててその場を離れて小走りに家に戻った。英和辞典の重さで疲れて喉がからからになり、冷蔵庫の麦茶をがぶ飲みした。
図書館にN文庫、という表札が掛かった白い本棚を見つけたのはその数日後。
司書の先生によるとNさんの生前の蔵書約80冊を遺族が寄付したのだ、ということ。
図書館の隅にある高さ二メートルのスチール本棚になぜか吸い寄せられるように理世は近づいて表紙の一冊一冊の題名と作家名を見た。
一段目と二段目、筒井康隆全集と星新一全集。どうやらSFが好きな人だったらしい。三段目と四段目、森鴎外全集と太宰治全集だと?
享年16だから小学校高学年から中学生の頃に買い集めたのだろうと思われるが、本の趣味が渋すぎる!
成績トップだった惜しい人材。というより…
とても変な人だったんじゃない?
ぷぷぷっ、と笑って理世は図書室を後にした。その時は何も借りなかった。
理世はそれまで小説といったら国語の教科書に載っている夏目漱石か150ページ内で7、8人連続殺人され、探偵がトリックを解く軽いタッチの推理小説しか読んだことが無かった。
毎朝の朝礼前には国語でセンター試験対策に新聞のコラムを読まされる。
はっきりいってこの時期の理世には文章を読む、ということ自体苦痛となっていたのだ。
あーあ、小5の頃ポーの「モルグ街の怪事件」でドキドキしたような読むこと自体が楽しい。と思える体験は高校生活中にはないだろうな…
と夏休みが始まる少し前の昼休み。ふと例のN文庫に寄り一段目の筒井康隆全集の一冊を手に取った。
上下左右!
とまた頭の中で声が響いた気がした。
上下左右?はて、
と思って表紙をめくると小見出しのページに上下左右、と印字してあったので短編のタイトルだな。と思ってそのページをめくると…
上下左右という短編は三階か四階建てアパートの絵の各部屋の中に登場人物のセリフが載っているだけ。
なに?これは小説なの?漫画との間じゃないか!
ページをめくる度に各部屋の人物の人間関係やら職業やらどんな事をしているか、だったり外から警官が来たり、話の全ての伏線が俯瞰して解るような書き方になっており、正直吹き出してしまった。
お昼休みだったので迷わずその本を含む筒井康隆全集の内三冊を借りた。
それから夏休みまで、宿題を終えて晩御飯を食べて、N文庫で借りた本読んで笑い転げて寝る。というのが理世の習慣になった。
文字を読んで頭の中に映像を構成してドラマを楽しむ。という行為がこんなに楽しいものだったのか!というテレビゲームよりも面白い娯楽を知った。
朝日に照らされた通学路。同級生たちがちりんちりん、ベルを鳴らして理世を追い越していく。
向かって右手にはあの横断歩道。
通学時間帯だというのに工事現場に向かうダンプカーやら農作業に向かう軽トラがスピードを緩めず通りすぎて行く。
だいたいこの地域のドライバーは歩行者が道を渡っていようがいまいがスピードを緩める事は無い。
ってゆーか歩行者が過ぎたギリギリの所でわざとスピードを上げて人身事故を起こす事が多かった。
Nさんはこんな状況でここを渡って車に轢かれたのか…
入学してまだ3ヶ月ちょいだけれど自転車通学してたら自分もそんな目に遭っていたのかもしれないな。
と思うと夏なのに理世は背筋が冷たくなった。
あたしみたいになっちゃだめ!
という声がまた頭の中で響いた。
自分が気を付けていようがいまいが自分の事で手一杯な他人はそんなことおかまいなしなのだから、世の中事故も事件も絶えない。
変わった奴、と思われようが溺れたくなきゃ船に乗るな。遭難したくなきゃ山行くな。通学する時には死ぬリスクの低いやり方にしろ。
というNさんからのメッセージだったかもしれない。
高校卒業までの三年間、理世は徒歩通学を続けた。登校の時は気を付けろ!という声に身を引き締め下校の時は定期的に白くペイントされる横断歩道に目を遣る日々。
二年になって国語の成績が飛躍的に上がった理世は地元の短大を受験することにした。
合格通知が来たとき都会から農家にお嫁に来た母はバンザイして喜んだ。
「食うには困らないから、と思ってメロン農家にお嫁に来たけどやっぱり自分で仕事持った方がいいよ。
自分で稼いだお金で外食したり服買ったりした方が気が楽だった」
それが、母の本音だった。
短大までは実家から電車とバスを乗り継いで約一時間。バスの中で文庫本を読む程理世は活字好きになっていた。
せっかく学内にコースがあるのだから、と理世は司書の資格を取り、母校の図書館司書に就職が決まった。
免許を取ったので職場には実家からマイカー通勤をしていつも安全運転を心がけている。
朝早くから本の整理をし、カウンターを拭く理世はいつも思うのだった。
もしかしたら、あの人は不運な事故に遭わなかったら自分のように進学して司書になって、本に囲まれた空間で生きていたかったのかもしれない─
「うふふふ、その通りよ」
数年振りのその「声」は図書館の隅の、N文庫から聞こえた。
その時理世はやっと、Nさんに取り憑かれていたのだという事に気づいた。
本棚邂逅 白浜維詠 @iyo-sirahama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
私の鉄のフライパン/白浜維詠
★6 エッセイ・ノンフィクション 連載中 16話
実は私、応募恐怖症なんです。/白浜維詠
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます