六枚のカード

羽鳥狩

ゲームスタート

 男はプリンターからはき出された用紙を注意深く手に取った。用心深く手には薄い手袋をしている。

 用紙をカッター用マットの上に置き、金属製の定規を当て、切り取り線に合わせてカッターを入れる。特注の厚い用紙なので、力を入れないとうまく切断出来ない。

 注意深く一枚の紙から六枚のカードを切り出した。少し時間をおいて、カードにラミネート加工を施した。

 六枚のカードを合わせると、一枚の図柄が現れる。剣と天秤を手にした女神の絵だ。


 春一番が吹いた日だった。午後一時頃、東京都中野区の住宅街で、一人の男が背中を刺されて死んでいた。

 その日の夜遅く「中野区会社員刺殺事件」捜査本部で会議が開かれた。

 被害者は恨みを買うことはありそうもないごく平凡な定年間近のサラリーマンで、財布も無事だったことから、通り魔殺人ではないかと疑念された。

 動機のない殺人、これが一番やっかいだ。

 凶器は残されておらず、男のポケットから一枚のカードが発見された。そのカードに描かれた絵は、絵柄の一部分のようで途中で切れている。

 犯人につながりそうな物証はそのカードだけ。紙ものに詳しい捜査員が「珍しい材質の紙を使っている」と呟いた。

 警視庁はカードの存在に箝口令をしいた。

 事件が起きた三日後。新聞社・テレビ局に「中野区会社員刺殺事件」の犯行声明文が送られてきた。

 声明文には、これからも殺人を行う、と扇情的な文章が書かれていた。さらに自分の犯行の証拠として、犯行場所に残されたカードの写真が添えられていた。

 はじめは黙殺していた各社だったが、小さなネット新聞がそれを掲載すると、免罪符を得たように我先に報道し始めた。記事を読み、ニュースを見る人々の顔には、怯えと秘かな期待が浮かび上がった。

 男はテレビでそのニュースを見終わると、浮かれるような足取りで書斎に入り、手袋を付けてから、封筒の中から五枚のカードを取り出した。


 大島真弓は郵便ポストに投げ込まれていた封筒を見つめた。自分の住所と名前が印刷された宛名シールが貼られているだけで、差出人は「オフィス正義の女神」。住所は東京都千代田区霞ヶ関2丁目1―1とある。

 中に入っていたのは、ラミネート加工された一枚のカード、新聞記事のコピー、天秤を持つ女神が印刷されている一枚の用紙。真弓はどうしてこんな物が送られてきたのだろうと不思議に思った。

 真弓を呼びつける男の声がした。彼女は声のする方に顔を向け返事をすると、小さく舌打ちをした。

 七十歳を過ぎたというのに雄牛のように頑健な夫と、いつまで一緒にいなければならないのだろうか。財産目当てとはいえいささか計算違いだったと、いつもの後悔が襲う。

 真弓はカードを手に取りじっくりと眺めるとハンドバッグに入れた。それから重い足取りで夫の所に向かった。

 そういえば、あの事件があった昼頃、自分は何をやっていたのかと記憶をたどる。

 


 佐藤圭一は自分の部屋でやけ酒を飲んでいた。アルコールが回ると、いつものようにあの男の事が脳裏に浮かんでくる。

 あいつさえいなくなれば、彼女が自分の所に戻ってくることは間違いない。そんなことを考えながら、ついあのカードに目が行く。

 三日前に送られてきたカードだ。すぐにでも警察に届けるつもりが、未だにその決心がつかない。

 名前と住所をネットで検索したが「オフィス正義の女神」は存在しなかったし、住所は警視庁のものだった。

 どういう理由で送ってきたのかは、おおよそ想像がついた。それにしても、どうやって俺のことを探り出したのだろう。

 またあのカードに視線が向く。

 俺が犯行時刻に倉庫で作業をしていたのは、同僚や監視カメラが知っている。つまり俺には完璧なアリバイがあるのだ。

 ここから思考はまた元に戻り、あの男のにやついた表情がよみがえる。


 鈴木里美は限界を感じていた。不景気のあおりで派遣先の仕事がなくなり、やっとユーチューバーとしてそこそこ稼げるようになったというのに、それすらも道を閉ざされようとしている。

 数年前から会社組織や事務所に所属するタレントが大量にユーチューブに参入してきて、個人でやっているユーチューバーは次第に駆逐されはじめた。

 組織力と知名力を武器にされたら、個人ではとても太刀打ちできない。

 里美が使っている貧弱な機器や編集技術では彼らプロにはとてもかなわない。

 そんなところに、おかしな封筒が舞い込んできた。

 送り先は「オフィス正義の女神」とあった。心当たりはなく、宛名を見ると上の階に住む鈴木由美のものだった。名前が似ているのでよく間違って配達される。

 いつもは彼女のポストに入れておくのだが、何故かその気にならず、封筒に興味を引かれた。

 いけないことだとはわかっていたが、お湯を沸かして封筒に湯気を当てた。こうすると傷をつけずに封を開けられる。

 取り出した中身を見て、驚いた。

 テレビやネットで話題になっているカードではないか。どうしてあの人にこんなものが。

 そういえば、彼女は最近男に捨てられてヤケになっているという噂を聞いたことがある。

 テーブルの上に置いた封筒の中身を眺めながら、里美は考え込んだ。やがて、意を決したように封筒に貼られた宛名シールに湯気を吹きかけてから、名前の一部分とアパートの番号を指で擦った。

 朝から激しい雨が降っている。今日は一日雨らしい。こうしておけば雨に濡れて宛名シールがかすれたという言い訳が立つだろう。

 里美は獲物を見つけた猫のような顔つきになった。


 男は五枚のカードが引き起こすおもちゃたちの運命を想像しただけで、笑い出したくなるほどの興奮を感じた。

 金にあかせて様々な遊びにふけってきたが、こんな面白い遊びがまだ残っていたとは。自ら殺人という高価な参加費を払っただけのことはあったなと思った。

 招待状を受け取った五人の男女は今頃、何を考えているのだろうか。

 苦労してゲームにふさわしい参加者を見つけたつもりだ。チャンスを与えてやりさえすればどんな事でもしそうな、そんな連中を選んだ。

 ヤツらを後押しできるように、完全なアリバイが出来るような時間を見計らって、平日の昼に犯行を行ったのだ。

 それぞれ切り札を出すタイミングを計っているのか、それとも――そんな事を思いながら、男はシャンパンを開け、グラスについで一人で乾杯をした。

 四月の太平洋を渡る風は冷たい。明日にはシンガポールに到着する。世界一周の旅が終わる三ヶ月後まで、ニュースは一切見ないつもりだ。

 再び日本に帰った時に、あのカードはいくつ使われているのだろうか、それとも全員がお行儀よく警察に届け出ているのか。それだったら人間についての認識を改めないといけないだろう、と男は思ったが、さてそんな人間がいるだろうか。

「俺の可愛い五人のおもちゃたちに乾杯」

 男の言葉はデッキに集まった旅行客の笑い声に混ざると、青空に吸い込まれていった。

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