チキン野郎

 昨日の日曜日、僕らはあの後映画を見て、スタバに行った。

 ちなみにスタバは僕のおごりだ。かなりの出費をさせたからな。


 アニメ化したラノベ原作のコメディファンタジーの劇場版ということもあり、映画の間はもちろん、映画が終わってからも僕らはずっと笑い合い、熱く語り合った。

 特に笑えたシーンを萌絵もえが再現したときはもう、腹筋が割れるんじゃないかってくらいには笑っていた。

 普段から僕は学校で笑ったりしない。腹を抱えて笑うなんて一生ないだろう。


 だけど日常でできないこと、見せられない姿。それらを一番曝さらけ出せる存在は間違いなく萌絵だった。


 そんな萌絵と付き合う事を選んだのは、これからも萌絵と一緒にいられることが保証されるからだと考えると、最良の選択肢だったかもしれない。


 しかし萌絵と一緒にいられる時間が24時間無休で続かないのは、なかなかに痛いものだった。



 〇



 翌日の昼休み、僕は一人で購買のパンを持って屋上へ向かっていた。


 教室は辺りを見渡せば男子ばかり。飛び交うのは僕の知ってる有名なアニメの話やくだらない下ネタばかり。特に運動部の集まりは、もはや猿山と化していた。僕の席の近くで起こる日常の話である。


 もう一度言う──ここは男子校だ。サファリパークじゃない。

 だからもちろん……、女子高生である萌絵なんかいるわけがない。


「……はぁ」


 別に寂しいわけじゃない。ただ少し、昨日の出来事が恋しいだけだ。

 それに今日の部活の後も楽しい日々は待っている。

 だから、もう少しの辛抱だ……。


「また場所を取られて逃げてきたの?」


 屋上には、僕が唯一まともに話せる女教師がいた。

 ウチのクラス担任にしてバレー部の顧問、松岡舞香まつおかまいか先生だ。

 今日もトレードマークの外ハネ髪を風になびかせ、一人で購買のパンを食べている。


「……違います」

「あっそ。ならいいけど」


 この先生には一応、心は開ける。というよりは、この先生に無理矢理心の内を見られるといったほうが正しい。

 曲がったことと隠し事と、あと『チキン野郎』が嫌い。そういう先生だ。


「……はぁ」

「どしたの? 溜め息ついて」


 くそっ、『絶対悩み打ち明けさせるウーマン』の前で何たる失態……。


「……別に」

「その顔でよく誤魔化そうなんてできるわね」

「そんなんじゃ──」

「ここでわたしに会ったのが運の尽きよ。観念して打ち明けなさい」

「……っ」


 やはり逃げられない。面倒なことに絡まれてしまった。

 しかし同時に、この機会を良しと密かに思う自分がいた。

 この学校で話せる相手が貴重だから、悩みを吐ける場所が見つかったことに安堵しているのだろうか?


「……笑わない、ですか?」

「笑わないわよ」


 フリだ。これは間違いなく笑われる予兆だ。

 それでも僕は逃げられない。だから意を決して、今抱いている悩みを打ち明けた。


「なるほどねぇ」

「……笑わないんですね」

「笑うわけ無いじゃん。むしろ驚いてるんだけど?」

「やっぱ驚きますよね、僕にお付き合いしてる人がいるって」


 そりゃこの学校の生徒で彼女がいる人はわずか1%だ。その稀少な存在がクラスで滅多に喋らない僕なんだから、驚くのも無理はない。


「まぁね。でも良かったじゃん」

「まぁ良かったというか、結果往来というか……」

「相手はどこの子?」

平女ひらじょです」

「ほぉー、やっぱウチの生徒はみんな平女の子と結ばれるのね」


 左手に持った牛乳を飲んで、先生は続ける。


「んで、みんな会えそうで会えない距離感に悩まされるってわけか」

「よくあることなんですか?」

「そりゃもう。ウチの学校の恋愛関係そればっかり。まさかアンタもその部類とはね」

「一緒にしないでください。僕はただ、アイツとの時間に比べたら、ここで過ごす時間がますます退屈になって困ってるだけです」

「あっそ。でもまぁ、それにしても……」


 なんだか先生は呆れた様子を見せる。


「みんなどうするべきか、分かってるのに実行しないのよね」


 確かに、どうすべきかはなんとなく分かってる。だけど──。


「すみません。ですが話すだけでも気が楽になりますし──」

「気が楽になったから、それで終わり?」

「……終わりです。ありがとうございました」


 僕はそう言って屋上を後にすることに。もう悩みを打ち明けたんだ。ここから立ち去っても──。


「あっちも同じ事思ってるかもしれないんだから、たまには電話でもかけてあげたら?」

「そ、そんなことわざわざしませんよ! 恥ずかしい……」


 あぁもうダメだ。この人の言うことは無茶なことばかりだ。

 それにアイツには僕と違って友達がいるだろ。電話なんて、必要ないだろ……。


「……ったく、これだからチキン野郎は」

「出たな、常套句」

「なに面白がってんのよ」

「……すみません」


 はぁと一つ息を吐いて、先生は牛乳を全て飲み干した。


「あのさあおい。『強がってる人』が本当に強くてかっこいいと思ってんの?」

「なんすか、その質問。そりゃそうでしょ」


 ヒーローだってこの学校のイケメンだって。どんなときでも強い姿を見せてるからこそ、かっこいいに決まってる。


 だけど、先生は一息置いて言う──。


「……私ね、思うの。ずっと強い人なんて、現実にはいないって。あそこでサッカーやってるカノジョ持ちイケメンも、平女でモテるあのバスケ貴公子も、みんな弱い一面があるし、弱る時もある」

「先生も、あるんですか?」

「もちろん。だって28年も人間やってんのよ?」

「ですよね」


 やはり松岡先生は超人でも異世界で無双するWeb小説の主人公でもない。所詮は普通の人間なんだ。


「でも、その弱いところをさらけ出せる時と場所、勇気、そして誰かのおかげで人は強くなれるし、かっこよくなれるの」


 だけどやっぱり、先生は強くてかっこいい人に変わりは無いみたいだ。

 先生の優しい微笑みが、僕にそう思わせた。


「ちなみにただ強がってるだけしかできないやつもまた、チキン野郎よ?」

「なるほど」

「だから思うの。この学校の男たちって、みーんなチキンだなって。身なりだけは一丁前に整えて小さい心を隠してるのがタチ悪いわ」

「それは確かに──」

「もっとも、アンタがそれなのよ。この大チキン野郎」

「大チキン野郎って……」

「なに?」

「いえ、なんでもないです」


 焼いたら美味しそうですねって返したら睨まれそうだな。僕は頭に浮かんだ返しを心の中にしまった。

 すると先生は背筋を伸ばし、突然昔の話を始めた。


「昔もいたのよねぇ……。全然積極的になれないチキンに、小学校からずっと好きだった男の子に真正面からアプローチしないチキン。あと……、なかなか結婚の話をしてくれないヒョロガリチキン野郎」

「彼氏さんのことですかい」

「そうよ。高校のときからずっとダメダメ。アプローチ下手だしビビりだし謎にホモな一面あってキモいし」


 やけくそになりながらパンをかじる先生。なんというか、女の陰口の怖さを垣間見た気がする……。


「はい、これ」

「えっ?」


 先生が突然、一個のパンを渡してきた。

 メロンパン──確か先生の好物だったような。それならもう一方の焼きそばパンをくれたらいいのに。


「チキンなアンタに、勇気のおすそわけよ」

「おそすわけ、ですか?」

「そう。私が取っておきたいものを、もっと大切な誰かのために迷わず切り捨てた勇気よ」


 どういうことかわからないが、迷わず切り捨てると言うあたり、なんだか松岡先生らしい気の強さが伺えた。


「あっ、先生」

「なに?」

「僕、焼きそばパンのほうがいいです」

「……あつかましいわね」

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