40. 彼女の家族


「やっぱりサキくんだ」


 アユムはニコッと微笑んだ。俺の上に座るリンスーを見ると彼女は不思議そうな顔をした。


「もしかして彼女さん?」


「違うアル。マッサージ店の店員アル。良くお世話してるアル」


「お世話?」


「下のお世話ネ」


「おいおい。やめろよ」


「この前もすごかったネ」


「本当にやめてくれ」


「あはは。何だか、楽しそうだね」


 アユムはおかしそうに笑って、ジッと目を細めた。


「大事そうにメイド服も抱えているし。何してたの?」


「あ、これは違くて」


「良いよ。趣味嗜好しゅみしこうは人それぞれだから」


「本当に違うんだ」


「ミイは? 来ないって?」


「ごめん。見失った」


「いなくなっちゃったか」


 アユムは困ったように笑った。


「何となく、そんな予感はしてたんだよね。最近避けられてばっかだし」


「どこに行ったかも分からない」


「良いよ。3人で話そう」


「私もいて良いアル?」


「もちろん。良いですよ」


「冗談アル。痴話喧嘩ちわげんかに巻き込まれたくないアル」


 そう言うと、リンスーは立ち上がって、コートについた砂を払った。


「じゃあそう言うわけで。またお店に来てネ。またたっぷりサービスするアル」


 リンスーはどこかから盗んできたみたいなボロボロの自転車に乗ると、そそくさと去っていた。


 その後ろ姿を見ながら、アユムは興味深げに微笑んだ。


「面白い友達だね」


「友達じゃないけど」


「私も友達欲しいな。同性だとお母さんしか話す人いなくてさ」


 アユムは俺の隣に腰をおろして、ググと腕を伸ばした。


「中学以来の東京」


「良くここだって分かったな」


「だって急に「会えない」ってラインきたから、なんかおかしいなって思って」


「ライン?」


「まぁ、サキくんじゃないって思ったけど」


 アユムはポケットからスマホを出して、ラインの画面を見せた。そこには「やっぱり会えなくなったごめん」と俺からアユムあてにラインが送られていた。


「ミイだな」


「だろうね。だからサキくんのお母さんに電話して住所教えてもらった。おばさん心配してたよ。連絡してないの?」


「あんまり」


「そっか。まぁ、私が言えた義理じゃないんだけど」


 気まずそうに、彼女は俺の方を向いた。目が合う。んだ瞳がこっちを見ている。


 しばらくそうしていた。

 何も言わずにアユムの姿を見た。変わっている部分もあったけれど、変わっていない部分が多かった。


 彼女は今、何を考えているんだろう。


「ごめんなさい」


 一言、まずアユムが口を開いた。


「ずっと謝りたかった」


 彼女はうつむきながら言った。伏せた視線。まつ毛が風に揺れていた。


「何も言わずに学校辞めて結婚して。連絡もしないで。最低のことしたと思っている。会わせる顔がなかった」


「良いよ。俺の方こそ何もできなくてごめん」


「電話でも言ったけれど。そんなことないよ。ひどいことしたのは、私の方」


 サキくんのことを傷つけたのは私だよ、と彼女は沈んだ口調で言った。


「自分のことしか考えられなかった。あの時、家に帰って最低な気持ちでいっぱいになって。お父さんの葬式が終わったら空っぽになって。私も死にたいなって思って。サキくんからのラインも怖くて開けなくて」


「うん」


「でもミイとお母さんのことを考えた時、私が何とかしなきゃって思った。私が壊してしまったから、元に戻さなくちゃいけなかった」


「アユムのせいじゃない」


「違うの。私のせいじゃないといけなかった。自分のせいだって思わないとやっていられなかった。自分で罪を背負わないと。誰かが苦しむ所なんて見ていられなかった」


「優しいな。アユムは、やっぱり」


 違うよ、と彼女は大きく首を横に振った。


「悲劇のヒロインをきどっていたんだよ。かわいそうな私になりたかった。悲しみを背負うふりをして、誰にも責められないようにしたかった」


 高校を辞めた。働き始めた。できるだけ忙しくすることで、考えないということを覚えた。彼女はうつむきながら言った。


「それで、サキくんのことも自分の世界から外した」


 悲しくないといえば嘘になる。彼女の言葉は、確かに心を突き刺した。


「サキくんは私の幸せだったから。それはあの時の私には重すぎたから」


 そうやって感情を包み隠さず話す様子は、彼女が高校生だった頃とほとんど変わっていなかった。あのバス停でも、彼女はこんな風に話していた。


「サキくんのことは好きだった。大好きだった」


 あの時も、こんな風にかざらない言葉で話していた。


「でも、サキくんに連絡を取ることはできなかった。もう一度、逃げたいって言うと思った。ミイとお母さん、それからお父さん」


 お父さんが好きだったお店、と彼女は言葉を続けた。


「自分の家族を見捨てちゃうかもしれなかった。わたしはサキくんより、自分の家族を取った」


 アユムはそこまで言うと、自分の顔に手を当てて、大きく息を吐いた。


「それも言い訳。ごめん。結局楽な方に流れただけ」


「良いよ。本当の気持ちを聞きたかった」


「サキくんは優しいね」


「違うよ。お前と俺と同じ」


 深く息を吸い込んで、吐く。自分の気持ちを整理する。


「俺だって、悲劇の主人公をきどっていただけだ」


 どうにかならなかったわけじゃない。

 一歩踏み出して、幸せになりたいと、手を伸ばしていればどうにかなったかもしれない。俺はアユムと一緒にいられたかもしれない。


「でも、どうにもならない。もう時間は返って来ない」


 全てはもう過ぎ去ってしまったことだったから。

 空っぽで走り出した電車みたいに過ぎ去ってしまったものは、もう戻ってこない。

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