バラ園のアタッシュケース

霜月かつろう

バラ園にあるアタッシュケース

 学校帰りの通学路。夕日に染まったバラの群生を眺めるのが好きだ。近所にあるバラ園はそこそこ大きく、そこそこ有名で休日ともなれば人も集まってくるそこそこ人気のスポットだ。

 鉄製の柵に絡まっている蔦はとげとげしく何物も寄せ付けない強固さを感じさせる。だからこれは結界なのだと思っている。このバラ園の中は閉ざされているからこそ美しい。

 それでも公園の中に入るのは簡単だ。料金所で係の人に料金を支払うだけでいい。ほんの数百円だ。たったそれだけで中に入ることが出来る。だから、下校中に何かと理由を付けてバラ園に寄ることはしばしばあった。

 その日もいい天気だった、境目がくっきりとしなくなった秋の初めころ。夏の終わりともとれる西日が沈みかけているのが辺りをほんのり赤く染める。バラも例外ではない。柵にまとわりついているのはワイルドローズ。野ばらの類だ。それがほんのりと赤が乗っかって不思議な色合いに染めている。

 そんな外壁を歩いていくとバラ園の入り口が見えてくる。アーチ状の門には柵と同じようにワイルドローズが絡まっていて来園者を迎えてくれる。

 最近代わったばかりの係員さんにあいさつをして料金を支払う。すっかり顔なじみになってしまった彼女とはたまに話し込んでしまうくらいにはお世話になっている。

 中に入ると色とりどりのバラが迎え入れてくれる。モダンローズにイングリッシュローズ。外にあったワイルドローズもたくさんある。それが色とりどりに咲き誇っているのだ。

 ここからぐるっと一周すれば一通りすべての区画を見ることが出来る設計になっている。進行方向は自由だけれど園の想定では右回りだと聞いて以来、何かない限りは右回りをするようにしている。

 区間ごとに変わる景色が目まぐるしくてわくわくする。何度も訪れているとしてもそれは変わらない。基本的にはいつも変わらない常設区画とイベント用の区画に分かれている。どちらかといえば常設区画のほうが好きだ。来るたびに少しだけ変化しているそれを見るのが好きなのだ。それは人の感情の機微みたいなくらいほんの僅かなズレだ。それをあるきながら探すのが好きだった。昨日よりちょっとだけ嬉しそうとか、ちょっと悲しそうだなとか。人に話したことはない。だって伝わる気がしないから。

 今日も自分以外の人がそこそこいる。天気もいいし当然かもしれない。みんなそれぞれのペースで楽しそうに園内を巡っている。

 それに対して少しだけ煩わしさを感じてしまうのは悪い癖だなと思わないでもないが、感じてしまう以上どうしようもないことでもある。

 でもこうやって人が来ないとバラ園が存続しないこともわかる。だから心の底では歓迎しているとそう思っている。

 そういうわけで今日もバラ園を堪能していたのだが、バラ園の一番奥。バラが一番多いその場所の休憩所。ぽつんと存在する東屋がある。そこになぜかアタッシュケースが置いてあるのを見つけた。

 辺りには誰もおらず、当然アタッシュケースのそばにも人はいない。ただぽつんと置かれているアタッシュケースは宙に浮いていると思えるほどその空間から浮いていた。

 近くにトイレもあるので置いたまま行ってしまったのかとも思う。とはいえ放置しておくのも気が引けたので、しばらく様子を見ることにする。ただし遠目にだけれど。

 奥に咲いているバラはイベント用の区画だ。今、展示されていたのはバラの鉢植えで作られた壁画だった。片手に乗ってしまうほどの小ぶりの鉢植えに色とりどりのバラが植えられている。それが色の濃淡によって何かを描いているようなのだが、いまいちピンとこない。文字のような気もするし何か人のような気もするし。設計図とかがとなりにあったら急にわかるやつだとは思うのだけれど、それらしきものもなく頭を悩ませてしまう。

 そうこうしている間に時間は過ぎていたのだがアタッシュケースに近寄ろうとする人はいなく、それどころか先ほどまでいた人たちもここを通り過ぎやしない。まるでこのバラ園にひとり取り残された様な気にすらなってくる。

「あれ不審物ですかね?」

 だから急に後ろから話しかけられでもした日には飛び上がるほど驚いたし実際すこし飛び上がった。

「い、いやそれがよくわからなくて」

 ひとりでいるところに中年の男性から声をかけられたらどうしても警戒してしまう。少しだけ後ずさってしまったりもする。

「近寄ってみられましたか?」

 それに対しては首をぶんぶんと音がしそうなくらい横に振ってしまう。あんな怪しいものに近寄りたくはない。できればあなたともと言いたかったがぐっと堪える。

「では近寄ってみましょう」

 男性はずんずんと東屋へ近寄っていってしまう。それに対して誰かが出てくることもない。男性が東屋に入って辺りをキョロキョロしているが、やはり誰も見当たらないらしく、アタッシュケースに手を伸ばした。取っ手の部分を持った気がしたのだ。そかしそうはならなかった。

 男性の姿が忽然と消えてしまったのだ。まばたきをした瞬間に隠れたのか?いや、そんなはずはなく、注意深く見ていたのだからまばたきだってそんなにしていないはずなのだ。それでも男性の姿は東屋から消えており、アタッシュケースだけがその場に残っていた。

 恐る恐る東屋に近寄っていく。辺りを注意深く観察しながらだけれど、どこにも変わった様子はない。何も起こらないまま東屋に入る。いっそのこと何か起こってくれたほうが安心できるのにと思わないでもない。自然とアタッシュケースに視線が向かう。普通のアタッシュケースだ銀色のそれは夕日を浴びてほのかにピンク色に染まって見える。

 ふと、何かが動いたように見えてアタッシュケースから視線を離せないでいる。最初は虫でも付いていたのが動いたのかと思ったがどうやら違うようだ。取っ手と取っての間に4桁のダイアルが見える。その部分が動いた様に見えたのだ。

 そんなはずはない。勝手に動くものじゃない。怖かったけれど好奇心が勝ってのぞき込んでしまう。

『1851』

 ダイヤルはその数字で止まっていた。途端に背筋がゾッと凍るような感覚に襲われる。

 ここにいてはいけない。

 必死に逃げた出した。入口に向かう途中で何人かに不審な目で見られもしたが構ってられなかった。

「どうしたんですか。そんなに青い顔をして」

 気が付けば受付までたどり着いていて、受付の係の人が心配そうにこちらを受け付けの窓からのぞき込んでいた。

「えっと、いや。その。アタッシュケースが置いてあって、そこで男性が突然消えて……」

 自分でもなにを言っているのか。わからないまま必死にしゃべった。その必死さが伝わったのか受付の人は、奥の医務室に案内してくれてゆっくりと話を聞いてくれた。

「とりあえず、園内の管理人にアタッシュケースの件は伝えましたので、安心してください」

 そう安心させようとしてくれるのはありがたいのだがけれど、先ほどの起きたことの理由が理解できなくてなんの不安からも逃れることが出来ない。

「でもおかしいですね。何の連絡もありません」

 背筋に悪寒が再び走った。

 単なる想像でしかなく、頭のおかしな妄言だと捉えられても仕方がないくらい頭のおかしい発想だけれど。

 もし、アタッシュケースを触ったことが何かのきっかけだったとしたら。

 その管理人さんがアタッシュケースを触っただとすれば。

 不用意に口走ってしまった自分の責任だ。

 居ても立っても居られなくなって飛び出した。なんでだかは分からない。自分の目で確認したかったのかもしれない。

 息を切らして戻ってきた東屋にはがぽつんと置いてあった。

 すっかり日も落ちて園内の街灯の光だけがそれを照らしている。

 必死に辺りを見渡す。管理人さんどころかほかの人の姿も見当たらない。

 さきほどの何も変わらない様子のアタッシュケースがそこにある。

 いや違う。

 先ほどと少しだけ変わっている部分があった。それに気が付いた時、その場から逃げたほうがいいと本能が告げる。それに近づいてはいけないと、警鐘を鳴らし続ける。それでも、そのアタッシュケースから目を離すことが出来ない。

『1850』

 そう数字が変わっているアタッシュケースから。

「いきなり走り出すから何事かと思ったけど、それ気になっちゃったのね」

 後ろから受付の人が追い付いてくる。何か言わなくちゃいけないのに恐怖と息切れで声がうまく出せない。

「ほんと妙な忘れ物ね。管理人さんもどこいっちゃったのかしら。こまったものね」

 空気を和まそうとしてくれいるのはわかる。でもそれは逆効果でしかなかった。止めたいけれど、恐怖で体が固まってしまっている。

 いけないのにそれに近づいてはダメなのに。

「重たそうだけど持てるかしら」

 警戒心なく近づいていく受付の人の腕を掴もうとするが、目測を誤って、いや身体が思うように動いてくれなかったので掴むことが出来なかった。

 再び掴もうとした腕はそこになく、勢いのあまり転んでしまう。痛みを堪えて立ち上がった時には辺りに受付の人の姿は見当たらなくなっていた。

 カチャリ。

 不気味な金属音がして恐る恐るアタッシュケースの方を見る。視線は一点に集中してしまう。

『1849』

 なぜそうなるかは全く分からない。だからどうしたと言われても仕方がない。ただ、数字がひとつ減っただけだ。最初よりふたつ減っただけ。

 これに触ったらいったいどうなってしまうのだろう。男性は?管理人は?受付の人は?

 触ったらそれが分かるのかもしれないと言う妄想に頭の中が支配されていくのを感じる。

 触ってはだめだと言う本能と触ったらどうなるかと言う好奇心が頭をうごめいている。そして正常に思考が働いていないのもわかる。

 だから、薄々気が付いているのだ。アタッシュケースを触ってしまうことを。

 カチャリ。だれも居なくなり真っ暗になった東屋でそうダイヤルが回った音が響いた。

『1848』

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バラ園のアタッシュケース 霜月かつろう @shimotuki_katuro

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