7
正妃が向かったのは、まさかの城だった。
数年ぶりに現れた正妃に、彼女を見かけた使用人たちはみな、時が止まったように動かなくなった。
正妃は颯爽と廊下進み、国王の私室へ向かった。会いに行くことはすでに遣いを出していたらしい。
正妃が部屋に入ると、国王は焦ったように立ち上がった。
「久しぶりだな、妃。元気だった――」
「世間話をしに来たのではございませんわ」
正妃はぴしゃりと国王に返して、まだすすめられていないにも関わらずソファに腰を下ろした。シャーロットが戸惑っていると、隣に座るように言われたので、シャーロットは国王に頭を下げてからソファに座った。
国王は困ったような顔をしていたが、王妃の無礼を怒ったりはしなかった。この方は良くも悪くも「家族」に甘い。正妃も例には漏れていないようだ。
「それで、急にどうした。体調はもういいのか?」
国王はこれでも正妃を心配していたらしい。手紙も何度も書いていたそうだが、正妃はすべて無視し続けていたそうだ。
「体調? 体調はいいですが気分はすこぶる悪いですわ」
「そ、そうか。それはよくないな。さっぱりした飲み物でも――」
「いえ結構。そんなことよりも人払いをしていただけるかしら。重要なお話がございますの」
正妃は扇を取り出すとぱらりと広げて口元を隠した。
国王はおろおろしながらも、わかったと頷いて、部屋にいた侍女たちに外へ出るように告げる。
部屋から侍女たちがいなくなると、正妃は単刀直入にこう切り出した。
「陛下。わたくしと離縁してくださいませ」
――突然の、爆弾発言だった。
「離縁!?」
しばらく石像のように硬直していた国王は、ハッと我に返ると声を裏返した。
シャーロットも驚愕した。離縁。貴族や市民と違って、王家の――、特に国王と妃の離縁はよほどのことがない限り行われない。罪に問われた第五妃も、妃の身分は剥奪されずに第五妃のまま処刑された。彼女の場合は、彼女の生んだリュディオンのことも考えられたいた結果ではあるが。
国王と妃の間に亀裂が走った際、多くとられるのは離縁ではなく「別居」だ。大抵は妃が実家や離宮に下がる。離縁はあまりに外聞が悪すぎるからである。
「そうです。わたくし、もうここで暮らすつもりはございませんもの。妃としての務めを果たせないのですから、離縁してくださいませ」
「ちょっと待て! さすがに離縁は――」
「わたくしが正妃から離れると、さすがに兄も強行突破できませんわ。リアクール家のものが離縁されたのですもの。ここでテオドールを次期国王に推すことはなかなか難しくなるでしょうね」
「だからと言って……」
「それに。わたくし、もう陛下には愛想が尽きました」
(……うっわー)
愛想が尽きたと本人を前に言っちゃうんだー、とシャーロットは内心でひやひやした。
シャーロットの目の前で、国王はかわいそうなくらいに青くなっている。正妃との結婚と同じ日に第二妃との結婚を強行したらしいが、別に正妃のことが嫌いなわけではないらしい。むしろこの様子を見る限り、国王は正妃のことを大切に思っているようだ。――悲しいかな、思いは一方通行のようだが。
「ま、待て、マリー……、話を、話をしよう!」
正妃の名前は、マリーエネッタである。マリーと愛称で呼んだ国王を、正妃は睨みつけた。
「話? そんなものはございません」
「頼む! 愛しているんだ!」
「わたくしは愛しておりません」
シャーロットは居心地の悪さを覚えて、そーっとソファの端まで移動した。
なんだこの修羅場は。ここに自分がいる必要はあっただろうか? 逃げたい。
「そんな! 婚約した時から考えたらもう四十三年のつき合いだろう! もうすぐ半世紀だぞ! それを冷た……」
「あら本当。よく半世紀近くも我慢しましたわね、わたくし」
「マリー!」
国王が悲痛な声をあげる。
王妃はやれやれと息を吐きだした。
「わたくし、何も意地悪でこんなことを言っているわけではございませんのよ。……まあ、多少の意趣返しはありますけど。これは政治的なお話ですわ。国王なら私情を挟まないでくださいませ」
いや、正妃も思いっきり私情を挟みまくっているような気もするが、シャーロットは賢く黙っておいた。
正妃は扇を畳むとテーブルの上においた。
「わたくし――、リアクール家の女がいつまでも正妃にいるといろいろ厄介なのです。わたくしの息子が生きていれば話は別でしたが、アレックスを王位につけようとしている現在、わたくしの存在は邪魔にしかなりませんわ。ですからわたくしと離縁を。そして、第三妃を正妃に格上げしてくださいませ」
シャーロットはハッとした。確かに、リアクール家の正妃が離縁されたという醜聞にかぶせて、第三妃を正妃にあげれば、リアクール家の発言力を押さえると同時にアレックスの立場も盤石になる。議会を黙らせるには効果的だ。
「だが、離縁は――」
国王はどうしても離縁が嫌らしい。
離縁したい正妃と、離縁したくない国王の睨み合いが続いていると、突然、コンコンと軽やかな音が聞こえてきた。
「わたくしですわ。入ってもよろしいかしら?」
第三妃の声だった。
国王は天の助けとばかりに立ち上がると、扉に向かって走っていく。
第三妃は国王に手を取られて部屋に入ると、おっとりと微笑んだ。
「マリー様のことだから、きっといらっしゃると思っていましたわ」
その顔は、まるで悪戯が成功した少女のようであった。
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