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「ヴィクトリアのことだろう? 知ってるぞ」
夜になってアレックスと一緒に夕食を食べながら、昼に兄から聞いたことを告げると、彼はあっさり頷いた。
夜、国王や第三妃との食事の席が設けられることがあるが、たいていはこうしてアレックスと二人で夕食をとることが多い。
筋トレの道具が散乱するアレックスの部屋に、食器とカラトリーのこすれる音が響く。
「知ってたの?」
「ああ」
「ああって……。王位継承権が奪われようとしているのに呑気なものね」
「もともと、別に興味がないからな」
そうなのである。シャーロットには黙っているが、アレックスはシャーロットと婚約させてくれるなら王位を継いでもいいと父王に言っており、むしろ彼にとっては王位の方がおまけ。他に継ぐ人間が現れるというのであればそれでもいい。
だがしかし、それに妹のヴィクトリアが巻き込まれるというのであれば、少々話は変わってくる。慌てたところで仕方がないからのんびりしているように見えるが、アレックスはアレックスなりに考えていた。
「王位に興味はないが、議会が俺派とヴィクトリアを嫁がせてテオドールを担ごうとするやつらと真っ二つで、なかなか頭の痛い問題らしい。親父もヴィクトリアとテオドールの婚約の話を先延ばしにして時間を稼いでいるが、いつまでもかわせそうにない。どこかで手を打たないとな」
「じゃあ、テオドール様に王位を譲る気でいるわけじゃないのね?」
「ヴィクトリアが嫌がっているからな、兄としてはもちろん反対だ」
「それだと、ヴィクトリア様が絡んでなかったら譲ってもよかったみたいに聞こえるわ」
「そりゃまあ、王なんてめんどくせーだけだし……。なんだお前、王妃になるのが楽しみだったりするのか?」
「そんなわけないでしょ」
「じゃあいいじゃなか別に。俺はお前とのんびり田舎暮らしでもいいぞ。お前も好きなだけ本が読めて満足だろ?」
「……たしかに」
シャーロットは田舎で朝から晩まで好きなだけ本に囲まれて生活する自分を想像して、ごくりと唾を飲み込んだ。いい……! 王妃にならなくていいなら、苦手な社交やセンスの勉強もしなくていい。女官長やカミラ夫人に怒られなくてすむ。最高だ。
シャーロットが肉を切る手を止めて恍惚とした表情を浮かべたからだろう、アレックスがあきれ顔になった。
「言っただけだからな? 少なくとも現段階でその生活は手に入らないぞ」
「わかってるわよ」
「まあ、このまま俺が王になったとして……、老後くらいなら約束してやれないこともないけどな。さっさと子供に後を継がせれば、田舎でのんびりし放題だ」
アレックスはしれっと言って大きめに切った肉を口に入れた。
だが、シャーロットは思わずカラトリーを取り落としそうになった。
(子供……)
先日、第三妃に言われた「孫」という単語が脳裏に蘇る。子供。つまりはアレックスとシャーロットの、子供。
シャーロットはボンっと音がしそうな勢いで真っ赤になって、それをごまかすようにコップの水を一気飲みした。
シャーロットのもとにヴィクトリア王女が来たのは、二日後のことだった。
その日シャーロットは、女官長とカミラ夫人の授業で、カミラ夫人のつけていたルビーのブローチを「テントウムシ」と言って怒られ凹んでいた。テントウムシ、かわいいのに。どうしてだめなのだろう。
ヨハナが落ち込んでいるシャーロットのために、おいしいお菓子を用意してくれて、クリームがたっぷりと使われたイチゴのケーキで心を癒そうとしたまさにそのとき、ヴィクトリアがやって来たのである。
ケーキは一つしかなかったので、シャーロットはまだ手をつけていなかったケーキを、渋々ヴィクトリアに譲った。
(……食べたかったのに)
ヨハナが「まあまあ」とシャーロットの肩を軽く叩く。
ヴィクトリアは目の前に用意されたケーキに満足そうで、フォークを持って言った。
「この前は驚かせて悪かったわね」
この前というのは、おそらくヴィクトリアが第三妃の部屋に飛び込んできたときのことを言っているのだろう。
「いえ。あれからその……、大丈夫だったんですか?」
「大丈夫なわけないじゃない。お父様は何を言っても『うむ……』しか言わないし、ほんっと役に立たないわ。お母様はお母様で『陛下に任せておけば大丈夫よ』って言うだけだし。こういっちゃなんだけど、昔からお父様ってこういうときに役に立たないのよ!」
「そうなんですか……」
なんだろう。ヴィクトリア王女はただ愚痴を聞いてほしくて来たのだろうか? そのためだけにおやつのケーキを取られたのではたまったものではない。
(愚痴を聞いてほしいならアレックス殿下のところに行けばいいじゃないの)
シャーロットとヴィクトリアはほぼ初対面に近い。まるで旧知の仲のように、当たり前の顔をして愚痴りに来ないでほしい。
ヴィクトリア王女はあっという間にケーキを食べ終わって、満足した顔で紅茶を飲んだ。
「だからちょっと、協力してほしいのよ」
「……協力?」
「そ。あなた、優秀なんですってね? お母様が絶賛していたわ。まあ……、ちょっと趣味は悪いみたいだけど。あなたの趣味がよかろうと悪かろうと、わたしには関係ないからまあいいわ」
なかなか言いたい放題に言ってくれるものだ。
(悪かったわね、趣味が悪くて!)
これでも勉強中なのである。女官長とカミラ夫人にはいつも怒られるが、少しくらいは学習効果が表れているはずだ。たぶん。
シャーロットは離れたところに控えているヨハナの肩が震えているのを見つけて、むっとした。必死に笑いをかみ殺そうとしているようだが、顔がにやけている。ヨハナめ。
「わたし、テオドールとは結婚したくないのよ」
「はあ……」
そんなことをシャーロットに言われても困る。シャーロットが反対したところで何かが変わるわけでもないだろう。
「そこでわたし、考えたのよ! 今回のわたしの婚約の背景には、お兄様の件があることを知っているわ。つまりあれでしょ? お兄様を王様にしたらいろいろまずそうだと思われてるから、こんな話が出たわけよね? じゃあ、あなたがものすごく優秀だっていうことを議会の人たちが知れば、あなたがいるからお兄様に王位を継がせても大丈夫ってことになるかもしれないじゃない! 名案でしょ?」
どこがだ。
(そんなに簡単にいくわけないでしょ? 兄妹そろってお花畑ね)
シャーロットはあきれたが、さすがにアレックスとは違いヴィクトリアに向かって「バカ」だの「あほ」だの言うわけにもいかない。曖昧に笑って、やんわりと話題を変えることにした。
「ヴィクトリア様はテオドール様のことがお嫌いなのですか?」
「え? 別に? 嫌いじゃないわよ。ただテオドールとは結婚したくないだけ」
「それはなぜ?」
「それは……」
ヴィクトリアは口ごもって、それから俯いてうっすらと頬を染めた。
「……プロポーズされたのよ」
「はい?」
プロポーズ? シャーロットは聞き間違いかと思って思わず訊き返してしまった。
一国の王女にプロポーズ。普通であれば、王女に求婚するのであれば、まずは国王や妃に話を通すものである。必然的にアレックスの耳にも入るだろう。けれどもアレックスはそんなことはひとことも言っていなかった。それはつまり、国王たちの耳にも入っていないことになる。
(いやいやそんな馬鹿な)
一国の王女の結婚は、本人たちの意志だけでどうにかなるものではない。もしもヴィクトリアとその相手が勝手に盛り上がっているのであれば、いろいろまずい。
シャーロットはごくんと息を呑んで、恐る恐るヴィクトリアに訊ねた。
「そ、それでまさかヴィクトリア様は、そのプロポーズをお受けなられたのですか?」
「……受けてないわ」
「そ、そうですか」
シャーロットはほっとしたが、ヴィクトリアが浮かない顔をしたので、首をひねった。
「あの、お断りになられたんですよね? それならなぜ、その方のプロポーズが問題に?」
「だって……、びっくりしたんですもの」
「え?」
「だから、びっくりしたのよ! いきなり好きだって言われて、婚約してほしいって言われて、びっくりするでしょ? わたし、まだ十四歳だったのよ!」
「十四歳って……もしかして、お相手は殿下が留学されていたクレダ公国の方ですか?」
ヴィクトリアはおよそ一年前から、内海の島国であるクレダ公国に留学していた。十四歳であれば間違いなく留学中の出来事だ。
ヴィクトリアは赤い顔でこくりと頷いた。
「国に帰る一か月前のことよ。ユリオルに言われたの。僕と結婚してほしいって。まずは婚約として、できればこの国に留まってほしいって。でもわたし驚いて、ついユリオルに、年下はタイプじゃないって言っちゃったの」
「年下……ユリオルって、もしかして――」
クレダ島は大公が統治している国で、その三人の息子のうちの二番目の息子の名前が確かユリオルである。ヴィクトリアは留学していた間は大公の宮殿で暮らしていたから、もちろん彼とは面識があるはずで――
(あちゃー……、なんだか面倒なことになって来たわ)
クレダ公国とルセローナ国のつき合いは古い。数百年前にかつてルセローナ国の一部であった現クレダ公国であるグレーダ島は、当時の国王の弟であった公爵を君主として独立した。
内戦が起こったわけではないが、当時の国王よりも王弟の方が母親の身分が高く、一部で国王を退位させて王弟である公爵を王につけようとする動きがあったため、それが大きな諍いを呼ぶ前に、王と王弟が話し合い、王弟の領地であったグレーダ島を独立させることにしたのである。
以来、ルセローナ国とクレダ公国は姉妹国として親密な関係を続けてきた。
もしも、クレダ公国から正式にヴィクトリアに求婚が入った場合は断れないだろう。だが、ヴィクトリアは、正式なものではないにしろ、ユリオルからのそれを一度断っている。そして今テオドールとの婚約の話が持ち上がっており――、これは慎重に話を進めないことにはいろいろ厄介である。
一番いいのは、テオドールとの婚約が確定する前に、クレダ公国からの正式な申し込みがあってヴィクトリアがそれを受け入れることであるが、一度断っていると言うのだから、あちらから再度申し込みが入るとは思えない。
「なんで断ったんですか……」
シャーロットはため息をつきたくなった。
ヴィクトリアの様子から見ると、ユリオルに気があるのは間違いない。それならばなぜ断った。断っていなければ、テオドールとの婚約の話も持ち上がらなかっただろうに。
「だって、びっくりしたんだもの!」
ヴィクトリアは拗ねたように言う。
シャーロットはがっくりと肩を落とした。
「とりあえずいったん、この話はわたしに預からせていただいてもいいですか」
兄が兄なら妹も妹だ。この兄妹はもしかしたら自分にとって鬼門かもしれないと、シャーロットは思った。
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