第3話
「このバケモノが!」
背中が壁に叩きつけられ口の中には血の味が広がる。
私の手足は奇妙に脱力している。
恐怖はない。どうせ殺せはしないのだから。
「お、おい!やめろ!ファザーに殺されるぞ!」
「五月蠅え!」
男は肩を怒らせ私を視線で射殺さんとばかりに見据えている。
「…お前は…!俺の弟分を見殺しにしやがった!お前は強いはずだろう!…そうだよな!?標的全員相手取って皆殺しに出来る癖しやがって…なぜ…なぜ味方を救わなかった!!」
私の意識は遠く、男の怒りからしたらおそらく全く場違いなことを考えていた。
誰かのために怒れるということ。それはきっと才能のようなものなのだと思う。
私には見当もつかない。わからない。そして正直を言えば、少しだけ嫉ましい。
「てめえ…!?なに薄ら笑ってやがる!?殺す!」
「やめろ!ジュージだってちゃんと理由があってそうしたんだ!そうだろう?!」
「弱かったから死んだ…」
そう言った私は笑っているだろうか。自分ではわからないしどうでもよかった。もう一発殴られるだろうか。それも愉快だと思った。笑いが込み上げてくる。
ああ…なにもかも…ざまを見ろ。
「…おい…なんつったてめえ…」
「敵も味方もない…弱ければ死ぬ…初弾を避けられなかった…それが奴の手落ちだ」
「…っざっけやがってええ!?」
・ ・ ・
「私から一言言っておいた…あいつは増長が過ぎたな」
兄弟子に殴られて腫れた頬を手で押さえもせずに屋上で夕陽を眺めるともなく眺めていた私に、ファザーは氷嚢を渡そうとしてきたが、私は視線で暗に辞退の意思を示した。
「気にするなヨルムンガルド…いつだって人は自分の理解を超えたものを排他しようとするものさ」
声を張り上げ向かってくる男を目の前に私の心は醒めていた。不要なこととは分かっていたはずだった。それにも関わらず口をついて出たのは何故だろうか。
「…みな私を恐ろしがっています」
「私はお前を恐れてなどいないよ。愛しい我が子を畏れるなど…あるわけがない」
ファザーは哀しみと優越感が混ざり合ったような複雑な表情で私の頭を自分の片方の肩に押し付けた。
「ジュージ、お前は最高の狩人だ…無慈悲で狡猾で…常に飢餓を抱えている」
ファザーの腕に抱かれながらも私の心はどこか酷く寒々しかった。
搾取される側にいてはならない。狩る側に居続けなくてはならない。
そのことに私がこれほどまでに執着してきたのはあの日のファザーの言葉があったからだった。
尊厳なき醜悪な死はいつでも抜け目なく大喰らいの口を開け、次の犠牲者を待ち焦がれているのだ。
喰われるな。死すら喰らう側になるのだ。
しかし…気の遠くなるような苦渋の果てに”狩る側”となった私の胸の内にはただ赤く錆びた空虚さだけが
生きること。
ただひたすらにそれ自体を目的としていたその先にあったものはただ朧な虚ろさばかりで、しかしそれは夢と呼ぶには余りに重たく気怠い。
「ヨルムンガルド…お前の好きなシェリー酒をまた買っておいた。今夜持っていってやろう」
ファザーの手が私の頬に触れて私はふ…とため息を漏らした。ファザーはそれを安堵か感嘆と勘違いをしたように感じた。それも最早どうでもよかった。
ファザーの満足げな後ろ姿を見送りながら私は力なく呟いた。
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