ショートカットと初恋と

うり北 うりこ

ショートカットと初恋と


「よしっ!!できた」



 久々のポニーテールが上手く結べているか、鏡でしっかりと確認をする。


 この髪型は私の淡い恋心だった。


 そして、今日は戦闘服のようなものである。約束をしているのだ、思い出の公園で。


 あの人は思い出したくもないだろうけど、私にとっては甘くて苦い、大切な思い出の場所へ……。




 ***


 あれは忘れもしない、小学4年生の頃だった。


そうって、高梨のことが好きなんだろ?」


 学校からの帰り道、公園で寄り道していた私に偶然にもそんな会話が聞こえてきた。その時、片想いしていた私はいけないと思いながらも、耳をすませた。

 しかし、私が聞いたのは辛い現実だった。


「……圭吾けいご、結衣のこと好きなの?」

「べっつに! 全然、好きじゃねーし!!」


 二人のやり取りを聞いて、ショックで呆然としている私を他所に会話は続いた。


「よく二人で帰っての知ってんだからな。それに、高梨がいつも一つに結んでるのって、奏が褒めたからなんだろ? 女子が言ってたぜ」

「そんなんじゃないって」


 聞かなければ良いのに、それでも気になって聞き続けてしまい、私の涙腺は着実に準備を進めていく。


「照れんなよー」

「照れてない。そもそも褒めたとしても、僕のためにはやらないよ」

「はぁ? 何だそれ? つまんねーの。……って、あそこにいんの高梨じゃん。

 おーい! 奏が、その髪型、似合ってないってよー!」


 そう叫ぶ圭吾の頭を奏が叩き、慌てたように私の目の前に来た。


「違うから」

「……うん、分かってる」


 奏はどうにかして私を慰めようとしてくれた。そのすぐ後ろに圭吾がやってくる。


「なんだ、もうお前らできてんのかよ」

「だから違うって。しつこいな」

「こんな狂暴な女のどこがいいんだか。髪だって、全然似合ってないし……」

「うるっさいっ! 圭吾には関係ないでしょっ!!」

「うーわっ。高梨こえー!!」


 私をからかうようにゲラゲラと圭吾は笑っていた。だが──。


「ねぇ、圭吾」

「何だよ?」


 私の雰囲気が変わったのに気が付いたのか、圭吾は笑いを引っ込め眉間にシワを刻んだ。


「この髪型、どう思う?」

「はぁ? だから、全然似合ってねーよ!」

「圭吾っっ!!」


 奏が止めに入ったが、もう遅い。私の耳にはしっかりと聞こえてしまった。


「あはは……だよねー。うん、そんな気がしてたんだ。答えてくれて、ありがと。……私もう帰るわ」


 そう言って背中を向けた瞬間、どうにか我慢していた涙腺が決壊した。


 そしてその翌日、私は髪を切った。





 ***



 幼稚園のある時から、私はずっとポニーテールだった。


 珍しくお母さんが寝坊した日、ゆっくり髪を結ぶ時間がなくて、いつもの編み込みをしてもらえなかった私は「こんなかみはイヤだ」と泣きながら幼稚園に行った。


 可愛い髪型じゃないから、その日の幼稚園は楽しくなかった。

 可愛い髪型じゃないから、気になる男の子に見られたくなかった。


 だから、私は奏が近くを通った時、下を向いて走って逃げた。

 そうしたら、前から走ってくる子に気が付かず、ぶつかって転んでしまったのだ。


 擦りむいた膝からは、ほんの少ししか血が出ていなかったけれど、痛くて私は泣いた。


「ゆいちゃん、けいくん、だいじょうぶ?」


 周りの子達が集まってきて私達の心配をしてくれる。

 先生のところに行こうと奏が言って手を差し出してくれたけれど、私は泣くばかりで動けなかった。


「いたくて、あるけない……」


 めそめそと泣き続ける私の前にふっと影が射した。顔を上げると、圭吾が背中を向けてしゃがみ込んだ。


「のれよ!」

「でも、けいくんもころんだでしょ?」

「おれは、おとこだから、へいきだ。せんせいのところまで、つれてってやるから、のれ!」


 周りの子達が止めるなか、圭吾は「おれがぶつかったから!」と譲らず、私をおぶって先生のところまで行ってくれた。


 両足の膝が擦りむけていて、私よりも痛かったはずなのに、そんな様子は微塵も見せないで。

 言い訳なのは分かっているが、私は気が付けなかったのだ。圭吾の怪我が私よりも酷いことに。


 そのことに気が付いたのは、先生のところに連れていってもらった後だった。



 それから数日後、ふと思い出したかのように、ぶつかって転んだ日、何で下を向いて走っていたのか奏と圭吾がやって来て聞かれた。


 その時、既に『気になる男の子=奏』から、『好きな男の子=圭吾』に変わっていた私は、何て説明するか非常に困った。


「……あみこみじゃなかったから、みられたくなかったの」


 悩んだ末に、誰に見られたくなかったのか……は省略する。


「ふーん。あみこみって、なに?」

「こういう、みつあみがされてるやつ」


 それを聞いて、奏は納得したように頷き、頭を指差した。


「ゆいちゃん、ここにむすんでたもんね」

「うん。ポニーテールは、あみこみよりかわいくないからやだったの」

「かわいかったよ? ねぇ、けいくん」

「えっ? …………んー、そーだなー」


 圭吾が適当にした返事でも、当時の私にとっては一大事だった。いや、今でも一大事かもしれない。


 次の日から私は早速ポニーテールで幼稚園へ行った。

 けれど、1日経っても2日経っても圭吾は何も言ってくれない。1週間経ち、もうすっかり諦めていた時、奇跡が起きた。


 砂場で砂のケーキを作っていると、後ろからぐいっと髪を引っ張られた。


「いたいっ!」

 

 批難の目で振り向けば、そこには圭吾が立っていた。


「なんだっけ、ほら、そうがいってた……ポニールールーってこれか?」

「……ポニーテールのこと?」

「それそれ。たしかに、いつものよりいいな」


 それだけ言うと、圭吾は走り去っていった。


 その日から、ポニーテール以外は結ばないと決めた。圭吾が褒めてくれたから。



 ***



 けれど、遂に私は髪を切った。


 朝、もう髪を結ぶことはない。あんなに練習したけれど、ポニーテールは私の恋を成就させてはくれなかった。

 髪が短くて、首もとが心許ない。スースーして変な感じだ。


結衣ゆい、おはよ。髪、切ったんだね」

「おはよう。うん、失恋しちゃったからね。まさか、失恋して髪切る日が来るとはね……」

「失恋……はしてないんじゃない?

 だけど、ショートも似合ってる。結衣はどんな髪型でも可愛いね」

「奏……、ありがと」

「お世辞じゃなくて、本当に思ってるからね。結衣が可愛いって。……それに、失恋したのは俺の方だよ」

「……えっ?」


 奏はそれだけ言い残して前を歩いていたクラスの男子のもとへと行ってしまった。

 

「……まさか、ね」


 クラスどころか学校の王子様として、女子達の憧れの的である奏が私のことを好きになるなんてありえない。


 自意識過剰とか、恥ずかしすぎる。だから、私はこの可能性を頭の中から消去した。




「えっ! ゆいちゃん髪がない!!」


 教室に着くや否や、クラスメイトの一人が私を指差した。すると、皆の視線が突き刺さった。


「高梨、失恋かー?」


 クラスの男子達がゲラゲラ笑いながら、話しかけてくる。楽しそうな男子達の中に、驚きで目を見開いた圭吾の姿が見えた。


 視線が重なるが、耐えきれなくてそらしてしまった。


 もう、諦めるって決めたのに。それなのに、何で圭吾のこと探しちゃうんだろう。

 自分の諦めの悪さにほとほと嫌気がさす。


 溜め息をつきながら、男子達を睨み付けた。


「……だったら何?」


 わぁっっ! と沸く男子達を余所に、女子達は痛ましげに私を見る。いつものように男子と女子の言い争いが今にも始まりそうだった。けれど──。


「結衣ったら、何言ってるの? 失恋したのは、僕の方でしょ」

「えっ?」


 女子の阿鼻叫喚が響き渡り、私の失恋なんてなかったことに。


 奏は何を考えているのだろうか。チラリと見れば、にこりと微笑まれる。

 分かることは一つ。奏に庇われたということだけ。


「……なんで」


 呟いた言葉は、喧騒に呑み込まれていった。


 その後、私の元へ仲良しの友達が駆けつけてくれて、結局、奏に理由を聞くことはできなかった。

 そして、ずっと何か言いたげにこちらを見ていた圭吾の視線には、気が付かない振りをした。



 ***



 あっという間に卒業式の日が来た。


 結局、私は圭吾への想いを捨てられなかった。

 そして、この恋は淡い恋心なんて優しいものではなく、すっかり汚れたものになってしまった。


 4年生の時にショートカットにしてから、ずっと圭吾の視線に気が付きながらも、無視してきた。


 決して髪を伸ばすことなく、ショートカットをキープしながら。

 そうすれば、圭吾は私のことを見てくれたから。


 私はずるい。酷いことをしていると分かっていても、止められない。


 けれど、それも今日で終わりになる。私と圭吾は別の中学へと進むのだ。

 こんな酷いことをした私には告白の権利すらない。でも、最後に謝らないと。 

 私が仕出かしたのだから、きちんと私が終わらせなくては……。



「高梨……」


 呼ばれて振り向けば、眉間にシワを寄せた厳しい顔の圭吾が立っていた。


「ちょうど良かった。話したいことがあるの。少しだけ、大丈夫?」


 圭吾は頷くと、私の前を歩き出した。圭吾は決して振り向かず、私達は並ぶことはない。

 それは、まるで私達の関係のようだとぼんやりと思った。


 いつの間にか圭吾は止まり、振り向いた。


「あのさ、その髪って、俺が言ったからか?」


 単刀直入な聞き方は、圭吾の性格そのもので。私は彼のそんなとこにも恋をしたのだ。


「そう。似合わないって言われたから、当て付けに切ったの」

「なんで……」

「ムカついたから。そしたらさ、圭吾、気にしてたでしょ? それが、分かったから伸ばさなかったんだ」


 どうか、軽蔑して。私のことを嫌いになって。

 そうすれば、私は圭吾を諦められる。


 ずるくて、汚いのは分かってる。けれど、やっぱり自分からは手離せない。


「そっか」

「えっ! それだけ?」

「いや。理由が分かったら、まぁいいかって思えたし……。まぁ、一つだけ気になることはあるけど」

「何? 今なら何でも答えるわよ」

「もう、伸ばさないのか?」

「……短いのにも慣れちゃったし、女子受け良いから、伸ばさないかも。

 もう、圭吾が気にする必要はないから。私が好きでショートにしてるだけ」

「いや……うん。それなら、いいんだけど」


 少しの沈黙の後、耳まで真っ赤にした圭吾が意を決したかのように、私を睨んだ。


「な……に……?」

「……髪、結んでたの…………その……可愛かったから、勿体ないって……思っただけ」

「えっ!?」


 今度は私の顔にみるみる熱が集まっていく。


「そし……たら……、伸ばそう……かな?」

「……おっ、おぅ」


 私達はギクシャクしたまま、L●NEを交換して別れた。


 私の恋が終わることなく、続くこと必須であったのは言うまでもない。



 ***


 あれから1年10ヶ月、連絡を取りながらも会うことはなかった。

 

 ポニーテールを結べるようになるまでは……と思っていたからだ。

 

 そして遂に今日、会う約束をした。卒業式以来なので緊張する。何度も何度も鏡を確認し、家を出た。


 待ち合わせまで残り15分を切っていた。約束の公園まではすぐそばだが、自然と足が速くなる。


「結衣!!」


 私の目の前で自転車が止まる。


「今日、会うんだってね」

「なんで知って……あぁ、聞いたの?」

「うん。これでやっと、きちんと失恋できるよ」

「奏……、彼女いたよね?」

「うん。でも、結衣が一番大切だったから。結衣も気が付いてたでしょ? の気持ち」


 気付いてなかった訳じゃないけど、確信があったわけでもないので、曖昧に笑って誤魔化す。


「……奏って、自分のこと俺って言うんだね」

「そこ!? 本当に結衣って、俺……いや、圭吾以外には興味なかったんだね。……まぁ、知ってはいたけど。

 うん。でも、お陰さまで完全に吹っ切れた。心から応援してるよ。がんばれ、結衣」

「うん。ありがと。ずっと助けてくれて」

「好きな子に好かれる努力をしていただけだから、気にしないで。全部、打算だから」


 そう笑うと、奏は「また」と手をあげて、自転車をこぎ始めた。


 腕時計を見れば、待ち合わせまで残り5分を切っていた。

 急いで公園に向かえば、少し大人になった大好きな人が……。


「圭吾っっ!!」


 手を振って、走り出す。


 この5分後には、二人は手を繋いで笑い合っていることだろう。


 やっと素直になれた二人の、長すぎる初恋の成就を祝うかのように、結衣のポニーテールを風が優しく揺らした。



*END*

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