天の川
「「「「「「え?」」」」」」
疑問の声が見事に一致した、尚斗、寿、竹蔵、曇、貴、滝の六人の視線を一身に浴びるのは、五歳児の姿になってしまった絃であった。
詳細に言えば、貴の着物を片手で強く握りしめる、絃、である。
(面白くもあり面倒な事にもなった)
(身内か身近な人に似ているのか)
(恋の好敵手)
(漸く貴の魅力に気付く人が現れたんだね)
(身内に似ているのか)
(身内の誰かに似ているっすね)
各々が各々の理由で固まってしまった流れをいち早く動かしたのは、絃に着物を握りしめられている貴であった。
「嬢ちゃん。俺はおまえの父ちゃんでも兄ちゃんでもない。知り合いの誰かでもない。俺の名前は都司貴。な?おまえの知らない名前だろ。だから手を放してくれ」
出来得る限り、優しく話しかけた貴であったが、その甲斐なく、絃は手を放さなかった。
着物を脱ぐか。貴は瞬時に考えた。
執着する理由は分からないが、子どもの思考回路など理解できるものではない。
一度言ってだめな事は大抵だめ。身内か親しい間柄なら、懇々と説得するか、強引に引き離すか、悠長に放すのを待つか。まあ、なんにせよ時間がかかる事をしてもいい。
が。自分は赤の他人。しかも積極的に関わろうと思うほどに子ども好きでもない。時間をかけたくないのだ。ならば、着物を犠牲にしてさっさと立ち去ろう。なに。下着は穿いているのだ。場所が場所だし事情が事情だ。公然猥褻罪で捕まる事はないだろう。脱ぎ捨てた着物はどうとでもなれ。
(どうせこいつらは当てにならんしな)
未だ一言も話しかけてこない幼馴染に見切りを付けて、己自身には結論付けて、早速実行すべく帯に手をかけようとした時だった。
悪いんだが、と、尚斗が貴に話しかけてきた。
貴にとって少し予想外だった。一番に話しかけるとしたら幼馴染だと思った。しかも突拍子もない事を声高々と言い放つのだ。きっと。
貴は真正面に立つ尚斗を直視した。
『豊慢』の若旦那。笹賀家絃の身元請負人の一人。貴の尚斗に対する認識はそれだけだった。
名は聞いた事はあれど、姿も見た事はあれど、すれ違いざまに挨拶は交せど、義務的に幻灰に気をつけろなんかあったら連絡しろと忠告したにせよ、会話らしい会話をした事がないのだからそんなもんだろう。
「おまえたちがこの嬢ちゃんの身元請負人か?」
「これを見てくれ」
答えを返されずに、眼前に突き出されたのは、一枚の紙。
貴が素直に受け取って読んでみれば、なんと、上司である新五郎からの依頼状であった。
【親戚が引き取った孤児だが、仕事の関係上外国に行かなければならず、諸々用意ができるまで預かってほしいと頼まれた。しかし立場、時間、その他諸々の理由で保育所に預けようとしたが、一身に愛情を注いでくれと言われた手前、気が引ける。ので、評判上々な貴殿にお頼みしたい。どうか、愛情を注いで世話をしてやってほしい】。
内容はこんな感じである。可愛い放したくない本当は一緒に遊びたい過ごしたい仕事さえなければ仕事なくなれ仕事なくそう勝手に休んじゃおう、云々は置いておこう。孫可愛がり隊祖父母よろしく、脂下がった表情を浮かべる上司の顔も遠くへかなぐり捨てる。
「今の俺たちは選ばれなかった。しかし、今のおまえは選ばれた。見ろ。何があっても放さないと決意表明するこの拳。まーさーか。この拳を無理やり開かせて、その手に何も掴ませない。なんて、薄情千万な行動を取らないよな。まーさーか。国民の笑顔を見る為に働いていると言っても過言ではない、公務員の一員である日付盗賊改の貴さんがよ」
蛇に睨まれた蛙。いや。蛇に巻き付かれた蛙というべきか。
貴の頭の中では警鐘音が鳴り響いていた。
関わったら碌な目に遭わない、と。
しかし、このまま強引に振り切ろうとしたら、この男はここぞとばかりに告げるだろう。
上司の命に逆らうのか。
上司の命ではない。断言できる。直接命じられていないのだから、自分たちには関係ない話。
ただしここで袖にすれば、この男は上司に告げ口をする。絶対する。そうなれば、もしかしたら。もしかしなくても、今の役職から外されるかもしれない。力なきものの宿命である。どんなに信頼関係が築かれていようが関係ない。それはそれこれはこれ、だ。
貴は尚斗を睨んだ。とても憎々しげに。
もしかして上司とこの男に仕組まれていたのではないかとさえ勘繰ってしまう。詮ない事だと分かっているのに。
「貴」
貴のささぐれだった気持ちを和らげよう。真実そう思って、曇は貴の肩にそっと優しく触れた。そして満面の笑みを浮かべて言ってのけた。
ああ、嫌な予感しかしない。
貴は大概予想がついた。曇がこれから言わんとする事を。決して己の援護射撃はしない発言だ。
「貴のお花嫁さん候補になってくれそうな稀少なお嬢さんを手放していけないよ」
「………」
(なんだ、俺。何を言おうとした。なんか言おうとして口を開いたはず。なのに何故音が出てこない)
「いや、貴さん。曇さん泣いているっすよ」
素っ気なく告げる滝が言うには、どうやら曇に対してボロカスに罵ったらしい。
何を口にしたか全く記憶になかったが、喉が微かに痛むので事実なのだろう。認めたが、めそめそと泣く曇に謝らなかった。どうせ十割十分演技。気に留める必要さえない。
それよりも、と、曇から視線をずらせば、果たして幼子はまだ着物を掴んだままだった。
嫌われれば、怖がられれば、関わる必要はなかったのにという落胆。
怒号の中、よくまあ放さなかったな根性はありそうだという感歎。
貴は頬を軽く掻いてのち、幼子の両脇を柔く掴んで持ち上げ、片腕に乗せた。
片腕に易々と乗せられるほどの、重さしかなかった。
「ここにいる間だけだからな」
言えば、幼子に頬を殴られた。ちっこいくせに、いい拳を放ちやがる。
不思議と怒りは沸かず、気にいる要素が一つ増えただけだったが、同時に疑問も一つ増える。握られたままの裾の存在。捲し上げられて露になった脚を少し肌寒く感じながら、思うのだ。
きっと、間違ってはいないだろう。
こいつ。着物が気に入っているだけだ。
(やっぱ、脱ぎ捨てて逃げりゃあよかったんだ)
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