彼岸参り

 昼食に天ぷら蕎麦を食べ終えた尚斗と絃は今、遊具はないものの、広大な湖には手漕ぎや足漕ぎボートがある公園のほとりを散策していた。日曜だけあって家族連れが多く、子どもと一緒に父母が鯉や鳩に餌をやったり、ボートに乗って池を満喫していたり、手作り弁当を食べていたり、一緒にかけっこをしたりボール遊びをしたりと、和気あいあいとしている。


 何とも朗らかない時間が流れる中、手を繋いでいる二人は並んで歩いていたが、ちょっとすまないと言って手を離した尚斗は、天高く両腕を伸ばし、そのまま後頭部で手を組んだ。



「絃。おまえ、閑雲かんうの生まれだって?」

「……はい」

「訊くのが遅くなって悪かった。履歴書をすぐに見なかったからよ」

「いえ。そもそも私が言わなかったのがいけなかったんです。もう、見る事も叶わない故郷なので、別段言わなくても構わないと判断したものですから」



 閑雲。

 三つ葉国の最果ての地であるが、今はもうない。六年前に汚染されたその土地を神が封じてしまったのだ。

 神がその土地を球体にして岩盤で覆い硬く閉じ込め、影響がないようにと遠方の海に浮かばせているそれは、徐々に面積を小さくさせて行き、いずれか消滅する手筈になっている。


 そう遠くない内の決定事項であった。




「家族は汚染が原因で亡くなったのか?」

「はい」

「そうか。汚染を免れたやつらはきちんと助けられたと聞いたが」

「はい。汚染にかかった人も命があれば神様に浄化され、助けられました。流石に亡くなった人は助けてはくれませんでしたが」

「……それから、一人でここまで来たのか?」

「いえ。生き残ったほとんどの人がここに行くと言うので、一緒に来ました。それで、大家さんに出会って、お世話になっています」

「閑雲の連中とは離れたのか?」

「はい」

「見知らぬ土地で、見知らぬ人間と暮らす事を選んだのか?」

「そうです」

「幼いおまえは大家さんが助けになると感じ取ったのか」



 問いかけではなく、独り言に近い感想を述べる尚斗。絃を一瞥してから上げた視線を風船に留める。

 ふよふよと。弦の動きや風の流れに沿う空色の風船は初めて目にした時同様に、うっかりすればどこにあるのか分からなくなるくらいに、この朗らかな空と同化している。



(風船、なあ)



 絃を従業員として雇うようになってから、およそ三週間。その間にも、幻灰は三件の店から金を盗み出してはその日の内に返すという珍妙な行動を起こしていた。


 真昼間の事件にもかかわらず、目撃者はなかった。ここ三週間より以前は。


 最近は盛大にではないものの、隙を見せるようになったのだ。おかげで、ちらほらと目撃者も現れ始めたが、彼らが吹聴する事はなかった。日付盗賊改が戒厳令を布いたらしいと、まことしやかに囁かれているが、実際は目撃者が口を噤んでいるらしい。


 ことごとく悪徳業者を改心させているのだ。捕まってほしくないと考える人間の方が多いのだろう。懐に疚しさを抱える人間にとってはその限りではないだろうが。



(ただなあ)



 くあぁと、大きなあくびを出してから、尚斗は絃に手を繋ごうと言った。絃は眉根を寄せたが、それでも嫌だとは言わずに黙って差し出された手をやわく握った。

 全体的に硬い手の裏も表も、小さなこぶのように不自然に盛り上がる部分がいくつもある。

 病ではと医師に診てもらったが、働き者の手ですねと労わられるに留まった。

 紙芝居屋だけでは生活できないと、大家さんに色々な仕事を紹介してもらっている絃。柔らかいはずの手が武骨になっているのは別段眉を潜める事ではないだろう。



「絃。これまでは大家さんだけがおまえを護っていただろうが、これからは雇用主である俺も、教育係でもある寿もおまえを護る事を忘れんなよ」

「微笑ましいデートをしている中、お邪魔をするのはとても心苦しいけれど」



 尚斗が言い終えるか否か。尚斗と絃の眼前に立ちはだかったのは、日付盗賊改の曇であった。



「ほんと無粋だよな、おまえ」

「失礼は詫びる」



 深く頭を下げる曇に、呆れしか覚えない尚斗。彼の登場に驚きはしなかった。何故彼が近づいて来たのかも。



(上のやつらにせっつかれたってとこか)



 想像の範囲内ではあるものの、事実に近いだろう。尚斗はげんなりとした。これだから。

 曇はやおら頭を上げると、髪に挿していた一輪の濃い桃色の花を絃に差し出した。

 ローズゼラニウムである。

 食用だが赤じゃないんだな。尚斗はどうでもいい感想を抱きながら、曇のこの行動がどんな意味を持つかは知っているはずの絃が、どう動くかを静かに見守った。



 隙を見せ始めた幻灰は、とうとう日付盗賊改である滝の眼前にも姿を現した。その際、小柄な体格である幻灰の、そのぽっこりと膨れている腹から飛び出してきたのが、空色の風船だった。

 安直な結びつきではあるものの、他に手がかりがない彼らは、情報を集めた結果、絃に辿り着き、秘かに監視をしていたが、疚しい懐を持つ上のやつらにこの情報が洩れて、せっつかれて、やむを得ず任意の事情徴収をしに姿を見せて。



(今に至る。か)



 銀哉から報告された内容をつらつらと思い返していた尚斗の瞳には、無言で花を受け取る絃が映っていた。

 曇は一歩下がった。絃は尚斗に向かい合い。頭を深く下げた。

 尚斗は小さく頷いた。離れていく手を引き留めはしなかった。



「腕の立つ弁護士連れて迎えに行くからな、待ってろ」


 

 連れて行くな。事情を説明しろ。などなど、騒ぎ立てる言動を一切取らない絃と尚斗の、やけに物分かりのいい態度に眉を潜めつつ、曇は絃を連れ立ってこの場を後にした。






「共犯者だって思われたらどうするかな?」


 尚斗は寿と銀哉に笑いかけた。

 無表情の寿に、小さく微笑む銀哉。

 事情を知らない寿にどう説明しようか。

 尚斗は少しだけ考えて、口を開いた。










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