ダンデライオン

円窓般若桜

第1話

「ダンデライオン」



「なぜいつもいつも空を眺めていらっしゃるの?」

「お空に好かれたいのです」



夜半が空を染める。星見る茶猫の声は聞こえてはこない。上階の障子窓から見下ろすししおどしだけが少し遅れ気味に調子をとる。

落ち始めた落葉が絶え間なく舞い、綺麗に嗤(わら)う。

「あれはベロニカか。なにゆえ咲いているのだろう」

糸目(いとめ)の客は開いた障子窓越しに落葉達のひらひらではなく、灯(とう)篭(ろう)の明りに微かにシルエットを映す茎花に眼を遣りながら猪口(ちょこ)に注がれた酒をくいっと飲み干す。

「べろ・・なんですの?」

「和名は瑠璃(るり)虎(とら)の尾と云う。元来西洋の花だしよ、そもこんな時期には咲かないはずなんだけどな。ほら、あれさ」

ラクハはからになった猪口に酒を注ぎながら、糸目の客の指差す方向を見つめる。青紫の、虎というよりは猫の尻尾のような槍先状の花がまばらに咲いていた。伏目に一息ついて落とす。

「ここは閉鎖空間でございます。花なんぞでも外界に囚われず、咲く時を選ぶのでしょう」

そう言ったラクハは赤だんだらの

袷(あわ)衣(せ)の肩口をすっと直し、墨にベロニカを混ぜ込んだみたいな夜空を眺め上げる。伸びた首筋が白く発光し色めきたつ。

「今日はほんに、月さんが綺麗です」

「そうかね」

糸目の客は袴(はかま)を脱ぎ、着流し姿になり床に横たわる。

「今日もなにもしないおつもりですか?」

「ああ。寝る。月はあまり好きじゃない」

洋と和の混血みたいなベロニカの花を見つめながら、自身の赤(あ)金(か)い髪を束ね垂らしラクハは花に自らを投影する。ちょうど、売られてきた日の風を思い出す。

      

「ラクハさん。そろそろあがる時刻ですよ」

「もう少しこのままでいさせておくれませ」

「よろしいですけどね。ご自身の立場というものをお忘れなく」

簡素な小豆色の単衣(ひとえ)の女がイ草を擦りながらそそそと遠ざかる。風が大きく緑を揺らす。

竹林は新緑の中に暗宮をつくり、色さまざまな花が、吹きすさぶ風に姿態を揺らす。

茎花は踏ん張り、葉花はぶら下がる。

お縁に仰向けたラクハの肢体の上を風が、肌を舐め上げながら右往左往する。深紫の単衣の裾がひらめき、太ももまであらわになるが気にならない。薄い山吹の帯が風を緩く留める。

枝垂れ牡丹がぼとりと落ちる。三つ星のてんとう虫があらわになったラクハの乳白色の太ももの上で何かを探す。見つからなかったのであろうな、黄色い体液を残して何も言わずに飛び去っていった。

内ももに垂れる体液を右手の人差し指で拭い、甘いといいなと思いラクハはぺろりと舐めてみるがやはり苦かった。

仰向けのまま澄空を眺める。風がえいっと強みを増す。

踏ん張り、必死に掴まる花達を視界に捉え、ああ、お空に花が咲けばいいのですがねえとラクハは思う。

お空に咲けたら、自由自在なのだろうし、何処にでもひらひらと行けます。

口の中に残ったてんとう虫の体液の苦みが自分をひどく惨めなモノへと墜落させる。無限から置き去りにされたかのよう。

仕方がないですね。大地と繋がってしまっているのですから。

澄空を眺めるラクハの左目から糸筋のような体液が流れる。

竹林はざわっと鳴り、放たれた死に草がどこかへと昇ってゆく。

追って、クズシテリアがゆるく舞った。

      

諦めてみようが月日は順当に流れ、あの日のてんとう虫のようなモノ達に苦みばかりを残されてきた。

糸目の客が背を向けながら言う。

「なあ、空にも花は咲くと思うか?」

「お空に?どうでしょうか。咲くと良いのですがねえ」

てんとう虫達とは違う糸目の客は軽く咳払いをし、こちらに向き直らず続ける。

「咲くとしたら何の花だろうか?」

「そうですね、桜が良いと思います」

「なぜかね?」

「この地の象徴でしょう?混ざらず、純潔です」

「混血は嫌かね」

赤金い髪を右手で束ね、流す様に見ながらラクハは答える。

「嫌です。還る所がないんですもの」

ごろんと向き直り糸目の客は大きく咳をする。

「還る所がないなんて羨ましいがな」

「なぜ?惨めなものですよ」

「空に還ればいいじゃないか」

糸目の客は起き上がり、開かれた障子窓の傍に座り墨空を眺める。

「お空に?それこそ能(あた)はぬことです」

少し可笑しくてラクハはころころと笑う。

「空に好かれれば能うさ」

糸目の客は数度咳き込む。魔か光か。

「お空に好かれるのですか?気でも触れましたか?」

くくくっと糸目の客は嗤い、こちらを見やる。

「そなたは衣着せぬな。心地よい。富とはこのようなものか」

すでに半年間、日を置かず通う糸目の客には、曰く内輪揉めに敗れ、病に冒される前はそこそこの役目があったという。犬と龍の間の歴(こよみ)に起こったその内輪揉めはこの地を一掃し、ラクハもまた敗れ方の縁者ゆえ、この館に閉じ込められた。

銀桃色の羽織を脱ぎ、咳込む糸目の客にかけてやりながらラクハは言う。

「お空に好かれれば、還る場所が見つかりますか?」

すまぬな、と銀桃色の羽織に残ったクズシテリアの花びらのような香気を吸い込みながら糸目の客は応える。

「好かれればな。そも好かれるにはまずじっと眺めることだ。毎日毎日通われたらそなたも気になるだろう?」

自分のこととは言わずに、賢いわらべ子の様ににやつきながら糸目の客は続ける。

「あと何か興味を引く手段を講じる事さ。そうさな、般若(はんにゃ)の面なんか被っていたら良いかもな」

「般若でございますか?」

「そうさ。醜い般若の面の下からそなたの美しい貌(かお)が現れてみろ。空だってぎょっとするはずさ」

墨空を仰ぎ見ながら糸目の客はこちらに眼を流す。整えられていない黒髪がその眼に一筋かかる。

「美しくなどありませぬ」

ぷくりと頬を少し膨らませラクハは「そんな冗談は嫌いですのに」とつんと素振る。

「そなたは美しいさ。混血ゆえかな、異人の造形と倭人のきめやかさが上手い具合に配合されている。稀少だしな」

「見世物としてのそれでしょうね」

「違うさ」

諦念に任せながらも「美しい」などの言葉に少しだけ嬉しくてラクハは糸目の客に言う。

「頭でも揉んで差し上げましょうか?」

「ああ、頼む」

ラクハは糸目の客の後ろに寄り、その頭を優しく揉みしだきながら墨空を仰ぎ見て、その空間に空想を馳せる。


枝垂れた桜は満開に。陽光は優しく、風は和らぐ具合にそよそよと。

川の紋様を裾にあしらい、薄水色の着流しを着た彼方(かなた)の客は、袖口に両の手を忍ばせ、穏やかに微笑みながら空を見やげるのです。黒髪は丁寧に整えられ、背筋は瀬奈(せな)菊(ぎく)のように凛と。

愛桃色の単衣を緩やかに纏い、赤金色の髪をきちんと束ねた此方(こなた)は、行儀正しく両の手をお腹に折りたたみ、時折なびく髪を若い乙女らしく直す仕草なぞみせるのです。

咲くでしょうか?

咲くといいが。

舞う桜花がすでに咲いているようには見えませんか?

ああ、そう見えるね。

でもこれらどもは散っているのですね。

そうだな。散っているのだ。

それなら咲いてはいませんね。

そうだな。

難しいですねえ。

ああ、難しいな。

散りゆく桜花は、それでも咲き誇るように見やしやんせ。そう感ずる此方は満面に笑む。手でも繋ぎたいかなとは思うがそうはしません。距離は無限で、ちゅんちゅんと雀が鳴く。

水瀬に浮かぶは風頼歌(ふうらいか)。そこ退け自然の天(てん)蚕(かい)虫(ちゅう)。ここりゃあここりゃあ咲き降らせ。泣いたそなたに届きゃんせ。

土来の子守唄を唄いましょうか。お空にあなたが咲くまでに。ああ悲しいあのお空などに、わたしさえが咲くまでに。


墨空は相変わらずで、月ばかりが妖しく発光する。

「今日のお月さん、ほんに綺麗でしょ?」

「月はいつだって綺麗だよ」

「嫌いっておっしゃった」

「満月も、三日月もいつだって綺麗さ。手前がそう感じるならな。こころ地の問題さ。同じ様に晴天がひどく滑稽に感じる時もあれば、雨風を美しくも感じるものではないかね」

そう言った糸目の客は、ラクハの真っ白な手を握り、「今日の月は美しいな」と見上げ笑顔で言う。

「雷風でもそうでしょうか?」

「今日ならば美しく感じ得るだろうかな」

握られた手には体温が伝わり、空想の雷の甍(いらか)をラクハは想う。天空に昇り得たいかな。

先程より上空に昇る月に、お月が昇っていらっしゃるのか、この地が堕ちていってしまっていますのか、映し心の身に尋ねれば、不動はお月のほうで、この地が堕ちているのでしょうかね。

按摩(あんま)を止め、糸目の客に被さりながらラクハは尋ねる。

「あなたはお空に還るのですか?」

クズシテリアの香りを撒き散らしながら目の前に差しだされた蚕糸のように真っ白な腕に触れながら糸目の客は応える。

「そうしたいがね」

「還る所はあるのでしょう?」

「郷里はあるさ。だがもう嫌なのさ。繋がれるのはもう飽いた」

「なにに繋がれておりますの?」

「土かな。大地にいる限り、根は養分を吸い取られるだろう。それはもう嫌なのさ」

そう言う糸目の客は、ぽんぽんとラクハの真っ白な手を叩き、その許し心の調子に、ラクハの青空はきらりとひろがり、被さりながら階下の小さな庭園を見やると、たんぽぽが綿毛を飛ばしたくてむずむずしているのがくっきりと見えた。

脱力し顔を並べお空を見やげる。

見やげると、そのままのお空が見えた。

ひとつ、夜風がふうーと吹き抜けた。


               

 ダンデライオン

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ダンデライオン 円窓般若桜 @ensouhannya

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