動機【2】

 雅之氏の部屋というのは、本郷ほんごうさんの部屋みたいな個室じゃなかった。


 幾つかの机が並んでいる部屋だけど、今は誰もいない。

 部屋には少し、煙草の臭いが染み込んでいた。


「で、話って何?」


 適当に座ってくれ、と言われてそこらの椅子に腰を下ろした後、まず茜がそう言った。


「うん、帰還タイミングの話なんだ。ちょっと調べてみたが、今から一週間以内に帰るなら、あっちの時間で大体三〇分のずれしか生じない。すぐ帰るか?」


 なんかぜんぜん、緊張感の無い聞き方だった。


「あたしらが長居すると、監視局は困るんじゃないの?」


 そう聞いたのは、茜だった。


「どっちもどっちだよ。想定外移動だから、そのみち面倒は避けられない」


 雅之氏はそれほど面倒でもなさそうな感じで答えていた。


「ただし晴香君はしばらく、監視局で面倒を見る必要があるな。監視局に移動させるより先に、落ち着かせる必要もあるしね」

「なに、それ?」

「今のまま、事情聴取は続行できないって事だ。横田さんのおかげで突破口はできたが……」

「なんか、あんまり感じ良くない聞き方してましたけど」


 あたしが正直に言うと、雅之氏は苦笑ぎみにうなずいた。


「そんな事だろうと思ったよ。あれは古典的な尋問方法なんだ。……一人がすごく嫌な奴になってみせると、もう一人、好意的に話を聞いてくれる捜査員には、参考人はいろいろ喋る。今回の場合は女の子という事もあるから、道代さんに聞き役をお願いしたようだけどね」

「今の晴香に、あれはまずかったと思うけど?」


 茜の質問に雅之氏は、最善の方法じゃなかったのは確かだな、とあっさりうなずいた。


「こっちも急いでいるんだよ。あいつは私が誰だか知っていて、民間人を巻き添えに私を殺そうとしたわけだから」


 ……今、さらっと怖いことを言ったような気がするんですけど。


「兄貴がターゲットのわけ?」

「ターゲットの一人、だろうね。奴にしてはずいぶん動きが急だ」


 なんか普通に話してるけど、これって結構すごい事じゃないんだろうか。


 人の死ぬところを見たことが無ければ、殺すって言葉も簡単に使える。でも、本当に人が死ぬところを見たあとは、気楽に口に出来る言葉じゃない。

 戦争にも行ってた雅之氏が、冗談でこんな事を言うとは思えない。


「……狙いは、なんなの?」

「さあ。私について言うなら、奴の八つ当たりという気がしないでもないね」

「テロリスト相手に、何やったのよ」

「私は仕事をしただけなんだがなあ」


 トボケている雅之氏に茜が、ふざけないでよ、と声を大きくした。


「べつに、ふざけているわけじゃない。奴の邪魔をするのも私の仕事だよ」

「……その言い方、十分ふざけてる!だいたい何よ八つ当たりって」

「奴は基本的に、自分の思ったとおりに動かないゲームが嫌いだからね」

「誰がゲームの話なんかしてるわけ?」

「遠山だよ。あいつにとって、人が死ぬのはゲームなんだ」


 雅之氏の渋い表情に気が付いて、茜が一言、説明してよと言った。


「奴にとって奴のやっている事は、コントローラを握ってゲームを遊んでいるようなものなんだよ。ゲームの中でどんなキャラクターが死んでも、コントローラを握っている奴は実際に死んだりしないだろう」

「人死にが出てるって、聞いたけど」

「そりゃあそうさ、奴がどんなつもりでいようが、これはゲームじゃなくて現実だからね。時空遷移せんい弾なんか使われたら、大量に死者が出てもおかしくはないさ。だけど奴は、現場をいつもモニタ越しに見ている。画面の向こうにあるのが現実なのかフィクションなのか、そんなことも考えられないんだ」


 自分が爆発させた爆弾で子供が死んでも、後悔なんかしない。その光景を動画にとっておいて、何度でもニヤニヤしながら見ていられる奴だ。

 それがリアルだと思わないから、そこで誰かが本当に死んでるなんて考えもしないから。自分は絶対安全だから。だから、映画の大爆発シーンと同じノリで見ていられる。


「それって、なんか変ですよ!」


 雅之氏の説明に黙っていられなくなって、あたしは叫んだ。


「だって、爆弾作ってる本人なんでしょう!?」


 夢だと思わされていた現実の中では、何人もの人が死んだ。


 一瞬前まで話していたのに、ばらばらに吹き飛ばされた鳥井とりいさん。あたしの目の前で冷たくなっていった、風間かざまさん。

 温かかった体がどんどん冷えていって、重いだけの何かになるんだ。そうなる原因を作った奴がそれを知らないなんて、ありえない。


「変だと思わない奴もいるし、そんな遠山は正常だと言い張る人間もいるんだよ」

「なにそれ」


 茜の声も、どこかうつろだった。


「どこのどいつが言ったのよ、それ」

「奴の母親さ」


 雅之氏は、あくまでもおだやかだった。


「……どういう親よ、それ!」

「可愛い息子をかばおうとする、よくいる母親だったよ」


 軽く肩をすくめて見せたけど、雅之氏はその時、目を閉じていた。まるで表情を隠すみたいに。


「とっても出来が良くって優しい道治みちはる君は、昔から勉強も出来て手のかからない良い子だったそうだぜ」

「テロリストのどこが優しいのよ」

「現実を見てない母親の妄言もうげんだな。実際の遠山は、並外れてプライドが高いが実力が伴っていない、そのくせ意見されることが大嫌いな奴だ」

「それ、ただの使えないバカじゃない」

「まあな。大学を出てから就職した会社でも、コミュニケーション能力が足りないという理由で、三ヶ月の試用期間が終わったとたんにお払い箱にされたくらいだからね」

「ホントのバカじゃん、それ」


 茜がポツっと言い、あたしもうなずいた。


「そうでなければ、現実をゲームと混同したりしないさ」

「……もしかして、兄貴はゲームの敵キャラ?」


 茜が言うと、ようやく雅之氏が目を開けた。


「そう。奴の描いた筋書きの上では、奴にボロ負けするキャラだったよ」


 雅之氏、苦笑してた。


「なんでそこまで言えるのよ、兄貴」

「奴のPCに、妄想を書きつづったものが入っていてね」


 ゲームキャラクターの設定書と、ゲームシナリオに見せかけたそれは、過去何件かの事件と今後の計画を暴露ばくろするものだった。そう、雅之氏はあっさり説明してくれた。


「捜査、進んでるんだ」


 ぽつっと言った茜は、なんだか心配そうだった。


「……兄貴、大丈夫だよね?」

「そう思いたい」

「……なんで、大丈夫って言わないんですか?」


 そう聞いたあたしの声は、震えていた。


「私はシナリオどおり進むゲームじゃなくて、現実を生きているからね。自分と味方が都合よく大勝利できるシナリオだけを妄想するような、未熟な世間知らずでもない」


 雅之氏が手を伸ばして、あたしと茜の頭を撫でてくれた。


「とりあえず、この話はここまでにしよう。とにかく晴香君は、家に帰すまでしばらくかかりそうなんだ。しかし亜紀君と茜は今すぐ帰っても良い。帰還の段取りは私の権限だけでつけられる。どちらかを選ぶのは、本人だ」


 元通りの、緊張感の無い言葉だった。


「それで、どちらにする?」

「あたし、残る」


 茜の答えは、早かった。


「残れば、巻き込まれる可能性が高い。こちらは我々も手薄でね」

「あっちは?」

「監視局から遠山を捕捉ほそくに向かっているよ。護衛も付けると言って来ている」


 戻れば安全。ここにいたら、ちょっと良く判らない。でも。


「……でも、晴香を置いていけません。あたしも残ります」


 あたしの答えも、茜と同じだった。


「晴香君が、共犯者だという可能性もあるぞ」


 それが判明する現場に居合わせる羽目になるかもしれない。雅之氏はそう指摘した。

 あまり楽しい経験じゃないよ、とも付け加えたけど、それを言った雅之氏の目はどこか遠くを見ている人みたいだった。


「でも、関係ないことだってありうるでしょ。だったら、残る」


 茜の言ったことに、あたしもうなずくと、雅之氏はなんにも反対しないでうなずいた。


「わかった。ただしこちらにいられるのは一週間だ、それ以上かかるようなら、晴香君だけこちらに残す事になるよ」

「それまでに、なんとか立ち直れますよね?」

「そうなって欲しいね」


 やっぱり、保障はできないって事なんだ。


 重くなった空気を打ち消そうとするように、


「さて、二人も残るとなったら、もうちょっと実際的な問題も出てくるな。宿と飯だ」


 雅之氏が例のおどけたような声を出す。


「兄貴のところは?どこか借りてるんでしょ」

「私の下宿?あそこに女の子を泊めるのは、論外だなあ」

「……兄貴。まさか、足の踏み場も無いような状態じゃないでしょうね?」


 茜がジト目で聞いた。


「虫がいたりキノコが生えてたりしない?」


 いくらなんでも嫌すぎるよ、それ。

 だっていうのに、


「想像に任せる」


 と、雅之氏は否定しようとしなかった。


「実はこの件に関しては、相田室長が部屋の提供を申し出てくれた。三人まとめて面倒見ると言ってくれているんだけど、どうする?」

「三人一緒って、大変じゃないですか?」

「彼女は富豪のお嬢様だ、彼女の家にとっては負担にならないらしいね。せっかくだからお邪魔してきたらどうだ?」


 ついでに、お嬢様の態度物腰の一つも見習ってこい。

 そう付け足した雅之氏に、茜がふてくされた。

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