ブーメラン
J
ブーメラン
晴天。
澄み渡る青空。
窓から差し込む日光に照らされて、宙を舞う埃はきらきらと輝く。
一見して、普通の部室。
ただ、漂う雰囲気は非日常であった。
「おい、何のつもりだ?」
桐谷は呆れたように欠伸をしながら古びた長椅子に腰掛けた。
桐谷は僕を見上げているが、彼の目は僕を見下している。
彼はいつもそうなのだろう。
クラスの王様。
部活の帝王。
クラスという、それぞれの個性を持つ僕たちを無理矢理小さな豚箱に押し込んで成長を促す馬鹿げたシステム。
その中の王こそが彼だ。
勉強もできる。
運動もできる。
物覚えがよく、器用で、何でもできる。
そんな彼は、すぐにクラスの中心的存在となった。
だが彼には一つできないことがあった。
人の心を理解することである。
「おいおい、いつまで黙っているんだ? 俺はもう行くぜ? 部活が始まるだろ。」
桐谷が立ち上がった。
僕は沈黙を貫く。
右手には怒りに震える拳を握って、ただ桐谷を見つめる。
「くそっ! うぜえなぁ。なんなんだよ、お前。」
僕は出て行こうとする桐谷の腕を掴んだ。
つよく。
ひたすら強く。
「おい! 離せよ!!!」
桐谷は僕の手を振り解こうとした。
が、僕の覚悟はそんなにも弱くない。
桐谷の腕を引っ張って、部室の奥に投げ飛ばした。
「痛ってぇ! なんだよおま……!」
桐谷が何かを言い終える前に彼の顔面を殴りつけた。
「ふざけ」
「お前は花宮麗花を覚えているか」
少しの沈黙の後、桐谷は口を開いた。
「ああ……もちろん覚えているよ。あの、自殺したや……!」
僕はもう一度桐谷を殴り飛ばした。
「自殺? ふざけんな! お前が殺したんだ!!」
花宮麗花。
高校生ながらモデルをやっていて、クラスのマドンナだった。
誰にでも優しく、クラスの人気者であり、愛嬌があり、誰からも愛された人だった。
そして、僕の人生で初めての彼女だ。
「は? なんのことだよ。 あいつは飛び降りたんじゃねえか。」
「これを見ろ。」
僕の画面に写っているのはあるネットの投稿。
『人気モデル、れいかの万引き現場を激写!』
そんな一文とともに投稿された一本の動画には、彼女がコンビニで商品らしき物をカバンの中に入れる姿が写っていた。
この投稿は瞬く間に拡散された。
『最低ですね』
『顔は良くてもモラルはないのか』
『クソ女で草』
そして、
『お前なんか死んじまえ』
顔も知らない人間が自分勝手な正義感を振りかざして罪人を裁いたつもりになる。
迷惑極まりない自己満足である。
もちろん、この映像は誤解であった。
彼女は僕とデートをしている途中によったコンビニで、自分が持っていた飲み物を鞄に入れ直しただけだった。
「これがなんだって言うんだ。」
「この投稿はお前だろ?」
「ちげぇよ。俺じゃねぇよ!」
桐谷は後ろに下がる。
目は泳ぎ、手が震えている。
「いや、お前だ。これを調べるために3ヶ月を費やした。」
僕のこれは疑惑じゃない。
確信だ。
彼女はネット上の屑どもに、万引き炎上の経緯を説明した。
『誤解されるような行動をしている方が悪い。』
あいつらはこんな返事をした。
ふざけるな。
お前はいつも人に見られていると思って生活しているのか。
勝手に誤解したやつらが何故彼女を悪だという?
誤解した奴ら、いやまず人を盗撮した奴が悪じゃないのか。
人を叩くだけ叩いて、間違いだったら知らんぷり。
なんて滑稽なんだろう。
なんて中身のない人間だろう。
「お前の態度で分かる。お前がこれをやった!」
「なんだよ! 誤解だ! 俺はそんなことやってねぇ!」
ああ、滑稽だ。
お前の口からその言葉が聞けるなんて。
「でもさ……、」
僕は大きく足を振りかぶった。
「誤解される方が悪くない?」
桐谷の腹を蹴り飛ばした。
大きな音を立てて、桐谷が壁に打ち付けられる。
「いってぇ……!」
桐谷がうめく。
「おいおい落ち着けよ。」
桐谷がよろよろと立ち上がった。
「お前一回冷静になれよ。正義の味方ごっこをやめてさ。なんかお前だせぇぜ?」
僕は口を開かず桐谷を見つめる。
桐谷は僕が何も言い返せないと見て、調子に乗る。
単純な奴だ。
薄っぺらい奴だ。
「お前、必死だな。」
桐谷はまた僕に見下すような目を向ける。
ああ、なんで愚かなんだ。
こいつはなんてださいんだ。
万引き炎上については収まったものの、火は簡単には消えなかった。
『こいつ性格悪いらしいよ。』
『クラスの子いじめてるらしいよ。』
お前は誰なんだ。
お前は彼女の何を知っているんだ。
わざわざネットで彼女の投稿にアンチコメントを書き込むやつの方がよっぽど性格悪いじゃないか。
『あざと』
『自分のこと可愛いって思ってそう。』
自分のことを可愛いと思うことの何が悪い。
彼女は本当に可愛かった。
必死にスキンケアや化粧を学んで、試していて、その度に僕に自慢してきた。
彼女は可愛くなるために努力をしていた。
それを何故、なんの目的もなく、人を叩くことだけが快感の屑どもに否定されないといけない?
このアンチコメントの群れの先頭には桐谷らしきアカウントがあった。
麗花は屑どもよりずいぶん大人だった。
アンチコメントは全部無視して、活動を続けた。
『こいつ彼氏いるらしいよ。』
『こんな奴の彼氏、どうせデブでブスでクズだろうな。』
『言い過ぎwww ま、実際そうだろうけど』
『こいつも彼氏も死んじまえ』
とうとう彼女は我慢できなくなった。
彼女はこのコメントにこう返信した。
『私の事は言ってもいいけど、彼氏のことは悪く言わないでください。少なくとも、彼氏は見ず知らずの人の悪口は言わないし、人に死ねなんか言わないです。』
これがアンチに火をつけた。
『いい人ぶるな。』
悪い人よりましだろう。
『結局自分も言われたくないんじゃん。』
誰が人に死ねなんて言われたい?
この頃から彼女の笑顔が消え始めた。
僕に何度も謝るようになった。
巻き込んでごめんって。
これは彼女が悪いのか?
『必死か?』
『必死に言い返してて笑える』
『無くした好感度取り戻すために必死で草』
必死。
必死だよ。
必死の何が面白いんだ。
毎日を必死に生きている彼女と僕の、何が面白いか言ってみろ。
何事にも一生懸命になれず、生きる喜びを知らず、大人になった餓鬼どもほどださいものはないだろう。
自分が持っていない物を否定して、自分の存在意義を保つのに必死なのはお前らだろうが。
いつか収まると思っていた火は、一向に消えず、むしろ燃え広がった。
彼女の本名がばれ、住所がばれ、家に張り紙されるようになった。
僕のインスタのアカウントもばれ、アンチコメントが書かれるようになった。
彼女は完全に疲弊していた。
いつの間にか、僕の言葉は届かなくなった。
『迷惑かけてごめんなさい』
そんなメッセージが来た。
嫌な予感がした。
学校を飛び出して、彼女の学校に走った。
でも、間に合わなかった。
僕を救急車が追い越していく。
が、その救急車をもう一度見ることはなかった。
彼女は息を引き取った。
バンッ!
銃声は虚しく宙に舞う。
桐谷の太ももには穴が空いていた。
「は、は? 痛ッ! いてぇ!! いてぇよ!」
バンッ!
もう1発。
今度は手の甲に穴が空いた。
「や、やめて、やめてくれ! 本当は悪く思ってたんだ! 彼女に詫びたかったんだ!」
「いい人ぶるな。」
バン!
逆の太ももに穴が空く。
「こんなことしても無駄だ! 彼女も天国で浮かばれない!」
「自分が撃たれたくないだけじゃないか。」
バンッ!
右肩に穴が空く。
「い、命だけは! 命だけは助けてくれ! 家に病気のお母さんがいるんだ! 本当だ! 嘘じゃない! 命だけは!」
ああ、愚かだ。
人間なんてこんなものか。
どこかで納得できる答えを待っている自分がいた。
彼女が死んだ正当な理由を待っている自分がいた。
でも、実際はこれだ。
彼女はこんな虫けらどもの妬みで死んだのか。
こんなどうしようもないことで死んだのか。
これじゃあ彼女が浮かばれないだろ。
これはせめてもの弔いだ。
「ほら、命だけは助けてくれよ! 何でもするから!」
「はぁ、呆れたよ。お前、必死だな。」
バンッ!
桐谷の左肩に穴が空いた。
「か……! ぐぁ……! う……! お、お前は……誰、なんだ、よ!」
桐谷が最後の力を振り絞って言った。
「さあね。教えない。彼女も死ぬ間際にそう思っただろうね。顔も見えない奴らに対して。」
バンッ!
桐谷の心臓に穴が空いた。
「おい! 開けろ! おい!」
部室のドアがガタガタと揺れている。
流石に銃声はばれるか。
ドアが破られるのも時間の問題だろう。
僕の生きる意味は彼女だけだった。
もう生きる意味はないか。
「いや、そんなことはない」
1人、虚空に呟く。
いるじゃないか、生きる意味。
地獄への案内人たちが。
「次はお前だよ。今画面を見ているお前だ。」
さあ行こうか。
匿名の仮面を被った悪魔たちを狩りに。
ブーメラン J @96da
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