おうぎを舞いし染の運命 四
仁の区画、漆黒町の天紅家にて。
錦秋から『扇の舞』を二週間後に行うと言われてから、数時間が経った夕間暮れ。
夕焼けの灯火がほんのりと残り、景色がぽんやりと見える時刻。
お兄ちゃんはまた別の機会にするよと笑って
「氷月?どうした?」
「あの」
「ああ」
「私、は、」
何か飲み物を飲んでからにすればよかっただろうか。カラカラに喉が渇いて、へばりついて、滑らかに言葉が出てこない。喉奥に封じ込められてしまう。
(顔を見た瞬間に。言ってしまえばよかった)
臆病風に吹かれてしまった。
『雪芒』の過程を覚えておらず、気が付けば成功していたという情けない状況で果たして名乗っていいのかと、疑問が頭を擡げてしまった。
(トキ様、に、『雪芒』を依頼された、から。今度こそ。成功させるのは当然だけど、過程を全部覚えて。今度こそ完璧に『雪芒』を成功させてから。言った方が。だって。名乗るって事は。天紅を名乗るって事は。完璧ですよって。私は『雪芒』を完璧に成功させられますよって自信を持って言っているも同然で。違う。言うだけじゃない。実際にすべての『雪芒』を完璧に成功させられるって事で。私は、)
これから受ける『雪芒』の依頼を本当にすべて完璧に成功させる事ができるのか。
できる。と、応える事は、できそうになかった。
(………違う。だめ。これじゃあ。今迄と変わらない。このままずっと、名前を言わないなんて、できるはずが。私は、
応える事ができない。
『雪芒』としても、人間としても。
失敗し続けて、死に向き続けて、
情けない。応える事ができない自分が。身の内に能力も想いも生も留める事ができない自分が。流れ落としてしまう自分が。がらんどうの自分が。ひどく、情けなくて。
「氷月」
いつもと変わらぬ紅凪の声音に、けれど、盛大に肩を大きく揺らしては動揺を露わにしてしまった氷月。ぐるぐると思考が激しく渦巻いては纏まらない中。もう、言った方がいいのではないかと、言ってしまえば、楽になれるのではないかと、思ってしまって。その考えに縋ってしまって。勢いよく口を開いて、名前を言おうとした時だった。
やんわりと、紅凪が氷月の片手で覆っては、にっかりと笑った。
「氷月。飯を食おう。未空が夕飯を用意してるから。何処で食べるか。ここで食べるか。俺とおまえの二人で。な?」
手を離してほしい。氷月は強く願った。早くこの口を覆っている手を離してほしい。
離してもらえないと、
(涙が、)
「夕飯は何だろうなあ。多分。氷月の好物だぜ。よかったな」
「………」
ひどく熱かった。
喉が、目が、両の手が、
ひどく熱くて、使い物にならなくて、
小さく頷く事だけしかできなかった。
涙を流し続ける事しかできなかった。
(2024.10.31)
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