天と地のせいめい 二

――『扇晶国』王都『扇晶道』。



 空から見下ろせば二つの扇を合わせた丸い形に見える、石で創られた扇晶城を中心に据えたその王都は、城を中心に東南西北の順に『壱の区画』『参の区画』『娯の区画』『緑の区画』『史の区画』『仁の区画』と六つの区画に分けられている。



 それだけが密集している、というわけではないが、多くを占めているという点に注目して挙げると、『壱の区画』は富豪の邸や高級店、『参の区画』は温泉や景観がある療養地、『娯の区画』は娯楽店、『緑の区画』は農業漁業畜産等の養食場、『史の区画』は私学校や塾、美術館、博物館、『仁の区画』は技巧の名家及び作業場であり、それぞれの区画には区役所が設けられていた。当初名称が付けられていなかった城一帯は、国民たちが勝手に『零の区画』と呼んでいた。



 国王の血が流れているか否か、貧富や年齢、立場の差はあるが、性別、職業での差別はなく基本実力主義を取るこの国は、災厄が祓われてから幾何かの時を経てから今の今迄、時折自然災害には見舞われど、平和と言える時が流れていた。











――『仁の区画』漆黒町。天紅あまがべに家。客間にて。



「何だその毛むくじゃらは。みっともない。早く消してもらえよ。加治かじ

「いえいえ。紅凪こうし王子。氷月ひづき殿が一生懸命映し出してくださったのですから、私は後生大事に身に着けておきますよ」



 頬が垂れている丸顔に、豊満な身体つきである商家の五十二歳男性、日草加治ひぐさかじは明らかに莫迦にしているその言い草にも、可愛いじゃないですかと、自分の白扇の中央に映し出された黒い毛糸が丸く幾重にも折り重なった画を見て、朗らかな笑みで返した。



 舌打ちをして黙りこくる紅凪の視線は氷月へと注がれている。莫迦にされ、凝視されているにもかかわらず無関心を装っている氷月の身体はずっと加治の方に向けられていて。本当にどうしたのかと訝しむ加治の視線の端では、全く以て気に入らないという表情を惜しげもなく出している紅凪が見える。この人は変わらないのにと苦笑を溢しつつ、本当にどうしたのだと心中だけで氷月に問い掛けた。



 昔は二人も、そしてもう一人とも、とても仲が良かったのにと。



 幼い頃の彼らを思い描いていた加治は今一度、現在の二人をそっと注視した。


 年は十七歳、光が当たればキラキラと輝く水色の髪の毛を喉元辺りから三つ編みをして腹の辺りまで垂らし、可愛いと称される甘い顔を持つ男性、白日紅凪はくびこうしはこの国の第二王子である。


 氷月とは年が十五歳、紅凪と同じくらいの背丈の長身、目を隠す長い前髪に腰の辺りまである漆黒の髪の毛は三つ編みにして後ろに垂らしている、少し低い声音の、この天紅家の養女であり、雪芒ゆきすすきの一員でもある。



 『雪芒』とは、人々がとても大切にしていたはずなのに薄らとしか覚えていない、または完全に忘れてしまった風景を思い起こさせ、さらにその風景の一部を依頼人の白扇に映し出す事ができる、その能力そのものの、また、それを使える技巧集団の、さらに国に登用されている官吏部署としての名称である。現天紅家当主は『雪芒』の当主も兼ねている。元々天紅家は国王が目にかけるほどに優秀な人材を輩出する一族であった。




「加治殿。紅凪王子の仰る通り、雪晶様に消してもらいましょう。本来なら己の失敗は己で雪ぐものですが、私はまだ取得していませんので」



 紅凪が来るよりも前から続いていた押し問答を断ち切らんと、加治が異を唱えるよりも早くに、氷月は謝罪と雪晶様を呼んできますと告げては足早にその場を去って行った。



「…寂しいものですね。加治殿って。昔は、加治おじちゃん、加治おじちゃんって、言っていてくれていたのに。そりゃあ、私も氷月殿って呼んでいますけど。本当ならひーちゃんって、昔みたいに呼びたいですよ」



 一瞥もされずに、されど失礼しますと会釈だけはされた事に対し、とてつもなく不機嫌な表情かつ雰囲気を顕わにする紅凪に、加治はそうでしょうと相槌を求めた。虚を突かれたように一瞬合わせた視線を逸らした紅凪は、米神を中三本の指で揉み解して短く細い息を吐いて後、どんだけ同じ話をするんだよと、ほぼ不機嫌さを散らした呆れを含む溜息を出した。



「五年、前くらいからか。確か、あいつが十歳の時にその呼び方は恥ずかしいから、氷月殿って呼んでくれって言いだしたんだっけ」



 加治は目を細めて、はいと言った。



「ですが、恥ずかしいから、ではなく、認められたかった、が理由だったのではないでしょうか」




 何処から来たのか、血の繋がりがあるのかさえ知らされていない。十年経った今でさえ。



 氷月の義父親から養女だと紹介されたのは、彼女が五歳の時。

 元々子ども好きでもあったし、子どもたちが自分たちの元を離れて寂しかったのもあった。何かにつけて訪れ、家から連れ出し、妻と一緒に町へと繰り出した。


 ただ、そうするのに苦労した。

 彼女は家から出る事はおろか、家の中で遊ぶ事さえ厭っていた。何時も修行をしなくてはと自分の手を拒んだ。五歳という幼子なのに。強制されていたわけでもないのに、肌で何かを感じ取っていたのだろうか。まあ、だからこそ、遊ぶのも連れ出すのも、妻と一緒にあの手この手で策を弄した。いい年をした大人二人があんなに必死になったのは久方ぶりだった。今となっては楽しかった思い出だと惜しむ事はできるが、当時の自分たちは楽しむ余裕よりも安堵の割合の方が大きかったように思える。



 必死だったからこそ。こちらも相応の想いで挑まなければと。

 呼び名にしても、力が足りないと自覚していたからこそ。

 せめても、背伸びをしたかったのだろう。

 未熟だからこそ、必死に補おうとしていたのだ。

 今現在の、硬質な態度もそれだろう。




「…まだまだ。まーだまだ、未熟者だってのに。背だけでかくなって焦ってんだよ。精神が肉体に追いついてない。もう十五歳なのにあーどうしようってな」



 紅凪はいい気味だと言わんばかりに、ぷぷぷとわざとらしい笑い声を発する。昔を懐かしんでいた加治は本当に変わらないとの感想を抱いた。


 意地の悪い言い方は何も氷月に対してだけではないが、ここ最近、優しさというものを彼女に対しては全く表に出してはいないのだ。照れ隠しにも程があるだろう。



(成長していないのはあなたも一緒でしょう)



「おや、こんにちは」

「こんにちは」

「無断侵入は罪だぞ」

「ちゃんと案内してもらった」



 まずは加治に対してきちんと挨拶を、そして紅凪のからかいにも律儀にそう返した男性の名前は、東雲仙弥しののめせんや。年は十七歳、灰色の短髪、切れ長の目に不愛想な表情、武骨な体形、身長は紅凪よりも拳三個分ほど低い彼の職業を皆に問えば、警備兵でしょうと即答するくらいに天職だと思わせる顔つき、体形、雰囲気なのだが、蒸しぱん屋の店子であった。紅凪とは幼馴染であり、幼き頃に紅凪と氷月とよく遊んでいた。



「またおばばが雪晶ゆきあき殿にか」

「ああ」



 紅凪は仙弥の持つ紙袋を注視した。ずっしりと重そうなそれにはきっと、具沢山の爆弾おにぎりが三つかそこら入っているのだろう。


 母親がいない天紅家だけれども家政婦はいて家事全般をしていてくれている。無論、朝昼夕の食事も然り。なのに、おばばは時々、こうして仙弥を使いに出して氷月の父親、雪晶へと食事を届けさせていた。



 おばばとは、仙弥が働いている蒸しぱん屋『わ』の店主にして、彼の養い親でもある、七十歳のご高齢の女性である。八ツ昼菱やつはるひびしという名前があるのに、老若男女問わず皆におばばと呼ばせているちょっと変わったご婦人でもあった。



(店に出ている時は凛々しくて清楚って感じだけど、それ以外はほとんどやまんばだよな)



 透き通る長い白髪を頭上で団子に纏め、その真ん中に簪を挿し、目尻の先に紅を差して店に出ているおばばは、店を閉め後片付けも済んだ途端、本性を顕わにする。まず、勝負事が終わったと言わんばかりに風呂へ直行。そして、薄化粧じゃなかったのかと衝撃を与える日に焼けた赤黒い肌を見せて、髪を三角形に広げてガバガバと酒を飲んでくつろぐ姿はまさにやまんば。



『女の戦装束は化粧。私にとっての戦とは、店の中。そこで素顔を晒す莫迦が何処にいる』



 そう言って、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたおばばを忘れる事は決してないだろう。


 女って怖い。


 おばばを見て初めて女性に対して、こういう一面もあるのだと認識を改めたのであった。

 できればこういう女性ばかりであってほしくないとも。

 女性に夢を見ていたい年頃なのである。当然だ。






「失礼」



 彼から発せられるのは、凝縮された空気の矢。こちらを攻撃する事なく眼前を通り過ぎる、氷柱のような鋭さと冷やかさを伴ったそれは、すれば、背筋を伸ばさなければと、己を戒めさせられる。



 氷月の義父親にして、天紅家当主の天紅雪晶。年は五十歳、白髪が混じっている漆黒の髪を肩より先に三つ編みにして前に垂らし、剣眉に吊り目、一文字の唇と精悍な顔立ちに、均整の取れた体形でゆったりとした歩調で移動する様は、当主としての矜持と常に冷静にあらんとする姿勢を示していた。



「娘の不手際で迷惑を掛けました。準備ができましたので、こちらへ」

「…分かりました」



 重厚な物言いで先に加治を促した雪晶は、王子である紅凪に、来た時同様に失礼しますと会釈をした。紅凪は殊更何でもないように、ああと相槌を打った。雪晶が部屋を出て扉が閉まった途端、息がしやすくなったように感じるのはきっと勘違いではないだろう。



「渡すの忘れた。氷月。これ、あとで渡しといてくれ」

「分かりました」



 雪晶の後についてきていたのだろうが、存在が希薄だった。ともすれば、気付かれないくらいに。格が違うと、紅凪は思った。彼の隣には立てないだろうとも。


 そんな紅凪の思考を読み取ったのか。仙弥から紙袋を受け取った氷月は修行がありますのでと会釈をし、早々にその場を去って行った。




「…親子共々、疲れるやつら」



 どさりと、乱暴に椅子に座った紅凪に、仙弥は呆れ顔を向けた。



「昔みたいに気安く話してくれと言えばいいだろう」

「……あいつが『雪芒』を名乗っている以上、無理だろ」



(…よっぽど参っているのか)



 突っ撥ねられると思っていた仙弥は、素直に言葉を受け入れ、尚且つ弱音を吐き出した紅凪の、その寂しそうな顔を見て、針で刺したような痛みを覚えた。しかし、そんな己に苛立つ。



(何故まだ手放せない)



 幾度も幾度も手放したはず。

 紅凪が氷月を想っていると分かった時から。


 捨てるべきだと。


 否。この想いが芽生えた時点で、そうすべきだったのに。

 見ているだけだからと、甘えを持ち続けていた。




 その甘えが何時の間にか、

 近い将来必ず訪れるであろうその場面を、

 隣に立つのが己でないと想像しただけで暴れ出す、

 こんなものに変貌するなど、

 どちらも大切なのに、




(…にしても、氷月はどうしてあんなに拒む…違うな。警戒するような態度を)







 

 一度は開いた扉。

 以前よりも強固に閉じられたそれを開けるのは誰?







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