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「わたし。幻想に行かなくちゃ」


 彼女。いなくなる前日に、そう、言っていた。幻想。その言葉だけが、思い出される。

 あのとき。どうすれば彼女を引き留められただろうか。幻想なんて、どこかの店の名前だと思った。それ以上は聞かず、ふたりで抱き合って、普通に眠って。そして、起きたとき、彼女はいなかった。


 アナウンス。


『通報あり』


 位置と情報が、インカム越しに伝えられる。

 海外旅行中で誰もいないはずの家からの通報。


「俺が行く」


 同僚。立ち上がろうとしたのを、制した。


「どうせまた幻想案件だ。蕎麦食ってろよ」


 同僚。座る。


「三佐。無理すんなよ。最近寝てないだろ」


「いつものことだよ」


 彼女がいなくなってから。眠るのが、少し億劫になった。起きたとき、彼女がいないという感覚にとらわれるから。眠りたくない。


 現場の家に、向かう。既に、近くにいた他の隊員が現場に到着していた。インカムから、情報が伝えられてくる。


『小さな女の子を確保』


 名前と、服装が続く。


『外傷なし。みたところ、事件性もありません。身元の確認をお願いします』


『確認しました。4年前に失踪しています。行きたくなかったピアノコンクールに行く途中で失踪』


 また、幻想案件。


 現場についた。隊員。


「三佐さん。こちらです」


「ようやっと幻想案件か」


 家のなか。リビングのソファに、女の子がちょこんと座っている。


「やあ」


 なんとなく笑顔をつくって、それっぽく接する。


「ここで、何をしてたの?」


「わかんない」


 特に何をするでもなく、ぼうっとしている。


「お電話は、自分でかけたの?」


「うん。言われたの。119番って」


 言われた。


「誰に言われたのかな。わかる?」


「おねえちゃん」


 これは、いままでの失踪者の証言とは違う。


「どんなおねえちゃんだった。かわいかった?」


「うん。かわいかった。髪が長くてね。めがねかけてて、パジャマ着てて」


 彼女、だった。

 彼女は。

 寝るときもメガネをかけたまま。


「そのおねえちゃんの着てたパジャマの色、わかる?」


 あの日は。

 青色のパジャマだった気がする。


「うん。そらいろのパジャマ」


 空色のパジャマ。


「そっかそっか。ありがと」


「おにいさん」


「うん?」


「おねえちゃんの、好きな人なの?」


「ん。うん。そうかもしれない」


「おねえちゃんね。言ってたよ。119番するとね。世界一やさしくてかっこいいおにいちゃんが駆け付けてくれるって」


「そっか」


 耐えきれなくなって。立ち上がる。


「あっ。まって。わたし。ピアノのコンクールに出るの。おにいさんもきてね。わたしのピアノ、ききにきて」


「ありがとう。わかった。必ず行くね」


 他の隊員に後を託して、家を出た。


 夜の闇。

 時計は、午前四時。


 彼女に。


 逢いたかった。


 なぜだろう。気持ちが、こみあげてくる。


端乢はしたわ


 彼女の名前。


 呼んでみる。


 それは、夜のやさしい雰囲気とともに。


 ちいさく消えていった。

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