大学1年生 8月編
第19話 つゆ草に囚われ/つゆ草を受け入れきれず
好きだと確認した。
だが、好きだと口にすることはないのだと。
漠然と思った。
どんな関係を築きたいのか。
未だに答えは出せていない。
今もそして未来も。
友人がきっと最も適当で最高の立場なのだろう。
何故、躊躇する。
おんなの美影を受け入れることなんて、
できないくせに、
おとこだったらと、
未練たらしく願っているくせに、
思えば高校生の時の俺はアイドルに憧れるかのように、
美影に恋をしていたのでは、と、最近思うようになった。
手を取れなくていい、取られなくていい。
自分が見ているだけ、美影に見ていられるだけで十分だと。
ほしいと思う奥底で、手の届かない存在だと確信していたのではないか。
高校の時の熱量はどこかに消えてしまったように思える。
それともどこかに隠れているだけなのか。
形を変えているだけなのか。
残っていてほしいかと聞かれたら。
俺は、
転げ回りたい。
坂からではなく平坦な場所で。
一直線に、ではなく、右に左と同じ場所を何度も行き来するように。
実際にはできないから、心の中で実行しているわけだが。
「どうした?」
(ほんとにあなたは女ですか!?)
絶叫して膝から崩れ落ち滂沱の涙を流す。
もちろん心の中だけで。
突然立ち止まった俺を疑問に思ったんだろう。
振り返りそう問いかける美影に何でもないと答えた俺は、きっと恨めし気な視線を向けてしまったと思う。けどそれは仕方がないと全世界の人に弁明したい。
だって、誰が見たって今の美影の格好は男だ。
スカイグレイの帯にオリーブドラブの男物の浴衣と、シンプルかつ渋めで落ち着いていて仄かに色気を漂わせる格好をしている美影は誰がどう見たって男でしかもイケメンだ。
それが証拠に誰もが美影を見ちゃってるもん。
見ちゃうよねしょうがないよねかっこいいんだもん。
心中でこれでもかと身悶えながらも、現状では恨めし気な視線を美影に向けている。
美影が嘘をついているなんてヒャクパー思わない。
だけどそれでも。
(どうしようもねえな俺は)
今現在時刻は午後七時五十分。
花火が上がる前、ショッピングモールが近くに立つ海辺。
今日の十七時から二十二時まで車両通行禁止となっている、対向車線も併せて四車線ある道路は歩行車道路に、普段は広い歩行者兼自転車道路には屋台が所狭しずらりと並んでいる。たこ焼き、お好み焼き、はし巻き、イカ焼き、焼き鳥、カステラ焼き、綿菓子、リンゴ飴、かき氷、クレープ、仮面、ヨーヨー。なんだって屋台ってのはこんなに聴覚や嗅覚や視覚をそそり、気分を高揚させて、財布の紐を緩くさせるのだろう。
時に目当ての物や人物を見つけて苦労をして人の合間を縫って目的地へ向かったり、時に迷子のお知らせのアナウンスが流れて走ったりしながらも、俺たちも含めて大抵の人は花火が上がるまでの間立ち止まらずじりじりと一方通行に進んでいた。
本当なら十一日前の七月三十一日。
美影と再会を果たしたその日の夜に自宅で花火を楽しむはずだったのだが、突如現れた影に美影が連れさられてしまったのだ。
俺が追いかけるよりも早く、数秒も経たないで後から姿を見せた母さんに、それが美影の第二の師匠で急遽稽古をする必要があるから連れていったのだと教えてもらい、その場に踏み止まったわけだが。
それから二週間美影は帰って来ず、やっと今日帰って来たかと思えば、今度は母さんが自室に美影を連行。俺も有無を言わさず父さんに浴衣に着せ替え人形よろしく何度も着替えさせられて、なんなんだよと疲弊しながら解放された足で玄関へ向かうと同じく浴衣姿の美影を目にして、そうして今に至るまで絶句疑問悶え続行中。
ドンドンドーン。
離れた場所から見ていたらしょぼいと思っていたものでも、やっぱり身近で見たら迫力があって。大きいものは鼓膜だけではなく全身を震わせ、火花が流星のように弧を描いてこのまま流れ落ちて来るのではないかと思う。
当たり前に実態どころかその熱が届く事さえなく消え去って、でも、硝煙だけが幽かに鼻腔を擽る。
儚い花火。
なのに目に焼き付いて当分離れそうになかった。
花火終了のアナウンスが流れて、大抵の人がぞろぞろと帰り路に歩を進める中、恐らく砂浜に残っているのは自分たちと同い年くらいの若者か、しっぽり二人の逢瀬を楽しみたい恋人か夫婦くらいだろう。
持参した花火をはしゃぎながらやっている彼らを傍らに、並んで地面に腰を下ろすことなく座っている俺たちは静かに線香花火を見つめていた。
ここに辿り着く前、二人組の女性たちに一度逆ナンパされた。
嬉しく誇らしく気恥ずかしく思うよりも先に俺が思ったのは、
そういえば女になりたいわけじゃないんだよな、だった。
美影が男であればと願っているくせに、自分が女であればと願った事など一度もなくて、男のままの自分が、男のままの美影を望んでいたのだ。
(……このままじゃ、)
傷つけたくない。不快な思いをさせたくない。嫌われたくない。嫌われるのが怖い。
そうやって理由を付けて、踏み込んでこなかった。
「美影は、なんで男の格好をしているんだ?」
怯える心身に叱咤して、海水入りの小さなバケツに線香花火を入れてから、真っ直ぐに美影を見つめて口を開いた。
胸が痛い。
美影の顔を克明に映す照明の存在を不運だと思う自分に舌打ちしながら、美影の答えをまんじりと待っていると、そう間を置かないで美影は口を開いた。
見る限り、嫌悪や悲壮感はないが、表情だけで分かるもんでもないだろうと後悔して、やっぱなしと軽口を叩きそうになる口を必死に抑える。
「ちちが」
開いた口が閉じ、視線がうろうろと彷徨う。
やっぱなしと言った方がいいかと思う一方で、親父さんに強要されているのかと不安が募り、それなら吐き出した方が気は楽になるのではと、待つ事に決める。
(つーか、男装を強要されるって。なんだ?家が貧乏で入る学校が決められていて、んで何故か男子しか入れないから男装するしかないんだよーという漫画みたいな理由しか思いつか……歌舞伎、は男しかダメだったよな。もしかして、美影は歌舞伎の御曹司、とか)
二つしか思いつかない自分の発想力の貧困さにダメージを秘かに受けていると。
「…膨らんでいるちちが自分の身体に付いている事に違和感があって。女の身体が嫌いなわけじゃないんだが、女の格好をする自分にも違和感があって。男の格好の方がしっくりきて。かと言って、別に男になりたいわけじゃないんだが」
(……膨らんでいる父?太った父が身体に付く…わけないよ、な。じゃあ……)
「……乳?」
自分の両手を胸元に持っていって半円を描くと、美影がその意味で間違いないと頷く。
(???乳…が付いている事に違和感。女の格好にも違和感。男の格好しっくり。かと言って、男になりたいわけじゃない???)
疑問符がポンポン飛び出してくるが、俺が男を恋愛対象として見ている事にとてつもなく大きな疑問を抱くように、きっと美影自身もどうしてそう思うのか分からないのだろう。
けれど美影自身が選んだ結果を、よかったと。
安堵する事は不謹慎だろうか。
「さらしを巻いてこれ以上大きくならないようにしている」
(…コメントに困ることをサラッと言わないでくれ)
表面上平静として次の線香花火に火を付けている美影の胸元に視線をやって、そうかぺったんこに見えるあそこは実は膨らんでいるのかと想像すると、ぞっと悪寒がして、悪寒がする自分に嫌悪感を抱くという悪循環が生まれ出してしまった。
(ああもう俺もう嫌だ。男とか女とか関係ない。美影だから惚れたんだって)
どんどん自分が嫌いになっていく。
それがとてつもなく悲しい。
「…男じゃなくてごめんな」
ぽつりと呟くようにおくられた言葉。
疾風が起きたのではと思うくらいの速度で俯かせた顔を上げると、美影の真摯な瞳と絡まって。また同じくらいの速度で顔を俯かせ、自分の身体を痛いくらいに膝を抱え額を押し付ける。
何の予告もなく、今まで溜まっていた全ての感情が決壊して、涙となって流れ落ちる。
見せたくない。
だけど、
流れ落ちるたびに澱みがすべて取り消されたような気がした。
違う美影が悪いわけじゃない。
男だったら俺の気持ちを受け入れてくれたのか。
俺の気持ちを楽にしようとしてくれているのか。
俺を否定しないでくれているのか。
泣いている姿を見せるなんて悔しいし情けないし恥ずかしいでも救われている。
片隅でそう思いながらも、今強く俺の心を占めるのは。
美影の本心が知りたいという欲望。
好きという言葉よりも今はもっともっと強く。
ただひたすらに渇望する。
(俺、美影のこと、なんにも知らない)
突き動かされたと、これは言い訳にしかならないし。
確かに不用意な発言だったと後に盛大に反省後悔するわけだけれど。
「美影の両親は文化祭に来た人たちか」
知りたいと。
ただその一心に取り憑かれていたこの時の俺は、何も考えずに自分の中では断定していた質問を美影にしてしまった。
瞬間、春から一気に、けれど一切の違和感もなく静かに冬を迎えるように。
美影の空気が一変してしまった。
しまったと焦ったのは後の祭りで。
「両親は死んだ。あの人たちは近所のおばさんとおじさんだ。一人娘が幼い頃に亡くなって、時々、俺のことを自分の子どもと錯覚するけど。優しい人たちだ」
棒読みではない。真実かつ事実であるかのように労りを持って話している美影に。
けれど俺は、用意した台本をそのままなぞって読んでいるようにしか聞こえなくて。
違う。そう読むように堪えているようにしか聞こえなくて。
ふと、のえるの言葉を思い出す。
美影の食べている姿がかっこいいと言っていた。
俺は苦しんで見えてとてもかっこいいとは思えなかった。
俺がやっぱりおかしいのか。
おかしいから、美影を正確に把握できないのか理解できないのか。
美影の言葉すら疑っているのに、こんなんで知る事なんてできるのか。
俺ばっかりもらって。
俺は美影におくる事はできないのか。
「俺は渚を困らせてばかりだな」
顔は俯かせたまま。
けれど動いたかどうかの気配くらいは分かる。
美影は別に立ち上がったわけではない。
なのに焦燥に駆られる。
またいなくなってしまうのではと。
顔を見なければ。
そう心は喚きたてるのに。
身体は微塵も動かない。
「ごめんな」
違う違う違う。謝るべきは俺なのに。
声帯を失ったかのように俺の口から音が出る事はない。
事ここに至ってさえ、出す事ができない。
気持ちが定まっていないから。
悔しいと、歯噛みするのは間違いだろうか。
「早く渚と一緒に幸せになれる人ができるといいな」
本心と分かる温かい色を持つ美影のその言葉に、美影と一緒に幸せになりたいと告白できない自分が不甲斐なくて、涙が一層込み上げてきた。
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