刻を謳う少女
荘園 友希
雪那抄
今でも君を待っている。
彼女は決して僕と対等に話せる存在じゃなかったはずだ。彼女はクラスでも人気者で、それでいてお淑やかでまるで僕とは違った。彼女が凪いだ、静けさの中に吹く静かな風だとしたら、僕は時化たときの海を感じさせる。
そんなタイプの遠い遠い存在だった。
2011年スマートフォンの爆発的なヒットを受けてコミュニケーションの在り方が大きく変わっていった。電話からメールに変わり、それがチャットアプリに変化していったのだ。一対一だったコミュニケーションが一対複数人になり、活発なコミュニケーションを生んだ。僕のスマートフォンには学校の担任や、学級委員など最低限の人しか入っていなかった。僕にはコミュニケーションなど必要ない。手元に本さえあればそれでいいのである。本は僕の世界を華やかに仕立て上げ、自己満足の世界を広がらせる。とりわけSFの小説が好きでよく街の書店に通っては新しい本が出れば買って図書館で読んでいた。図書館には様々な人がいて、小学生にも満たない幼児から老人まで幅広かった。僕と同じ制服を着た人がいたけれど、その子はいつも同じ席に座っていて、読書をしていた。僕は万が一噂話にされて、僕の世界が崩されてしまうのが嫌だったのでその子とは離れて目のつかない窓際の二人掛けの席で読書をしていた。読書をしている時間は僕にとっては華々しい世界が広がっていて、自分の気持ちを掻き立てられた。
しかし、四月のクラス替えで図書館のその子と一緒のクラスになってしまった。彼女はお淑やかに見えていたが教室では明るく、人気者だった。図書館でしか見かけたことがないのに毎日同じ空間にいるとなると変な気持ちになった。休み時間になると必ず彼女の机は人だかりがしていて、対して僕の机の周りの子たちはほかのクラスに行ってしまっていつも独りぼっちだった。でも本が僕を元気にしてくれたからほかのコミュニティを求めることもしなかった。
それから幾月か経って僕にも友達がちらほらでき始めた。つながりは様々で、勉強の話だったり、趣味の話だったり、部活の話だったりするのだけれど僕は聞き上手らしくよく愚痴や恋愛話を聞かされていた。昼休みにいつも通りに本を読んでいると彼女は群がりから出てきて僕の隣の席に座った。
「ねぇ、木本君。何の本を読んでいるの?」
彼女の言葉は美麗でほかの女子とは一線を画していた。僕はたどたどしい言葉で
「う、うぶ…かた…」
「冲方丁の作品なんて読むの?何マルドゥックスクランブル?」
「それはもう読んだ」
「そうなんだ、ねぇ木本君、いつも図書館に来ているよね。そうだ、これから交換読書しない?」
「こう…かん…読書…?」
「そう、私はあなたが好きな本を読んで、君は私の好きな本を読んで批評しあうの。お互いの世界観が共有できるって素晴らしいことじゃない」
彼女とのつながりは交換読書なんて些細なつながりが原因だった。
夏に入ると彼女との交換読書を僕は少しずつ楽しみ始めた。彼女の名前は夏季というらしい。いつか教科書を忘れてどうしても困ったときに僕に貸してくれた教科書の裏に名前が書いてあった。
「伊藤…夏季…」
他の人からしてみたらひどく平凡な名前に見えるかもしれないが、女友達のいない僕にとって好きな小説家の名前の入ったとても美しい名前だと感じた。彼女とは様々な本を交換しあった。時にはお互い読んだことのない本を書店で見つけては、読んで語り合った。
「ねぇ木本君、私をいつまでも頭の中で“彼女は”とか言ってごまかしているんでしょう?私の名前は夏季。ちゃんと名前で呼んでくれる?」
「なつき…」
「うん。大丈夫だね」
それから僕は夏季のことを言葉として言うこともあったし、心の中でも“彼女”ではなくなった。
夏季と話している時間はひどく楽しくて、図書館ではいつも近くの席に座るようになった。時折お互いが真面目に本を読んでいる姿をみて笑ったり、本のあらすじについて話しては図書館の職員に怒られたこともあった。
秋になると、彼女の本にも少しは理解するようになっていた。彼女の読む本は大抵が恋愛小説で儚く散る物語だったり、水面下でつづく恋愛を紡ぐ作品が多かった。友人とのチャットの中での恋愛とはドロドロしたモノが多かったし、ベタベタな恋愛だらけだったからこういう恋愛の形もあるのかなと思うようにもなった。夏季は夏季で自分の苗字の作家がいるなんて思いもしなかったようで、それからその作家の作品を食い入るように読んでいた。最近の小説家で受賞歴もあったのに病気で亡くなってしまったらしい。今ここに本が存在しているのに、著者はもういない事がすごく不思議に感じられた。その本はSFをきれいに美しく描いていて、でも残酷な世界の理に反抗する物語だった。夏季はこの本を読んでSFで初めて泣けたと絶賛していたが、僕は感慨深く感じた。
文学とは時に人をうれしい気持ちにしたり、時に悲しい気持ちにしたりする。そんな浮き沈みを様々な著者から感じ取ることで自身の経験になっていくのがとても面白かった。夏季と交換読書するようになってから感動という言葉をしみじみ感じるようになってきた。SFというのは残酷だったり、儚かったり、時に現実味のある話だったりと気持ちに作用する成分は多くない。それ故に感情が行き来しない事を良しとして僕はSFばかりを読んでいたのだけれど、少しだけど交換読書以外でも恋愛小説を読むようになった。金城一紀の作品に目を通したが少しばかり僕もグスンとしてしまった。夏季と語り合った本は数知れず。速いときには一冊を一日で読んでしまうものだから、一年たつ頃には百数十冊に及ぶのではないだろうか。
冬になると僕の地域は深く雪が積もって毎朝家の前の雪かきから一日が始まる。まだ5時過ぎの暗い時間のうちに家の前の雪を除ける。冬なのに汗をかきながら雪かきを終えると寝る気にもなれず本を読みながら夏季が起きて連絡してくるのを待つようになった。夏季は大体6時には連絡をよこすので、その日の登校時間を一緒になって考える。僕の家から学校までに夏季の家があるから僕はいっつも夏季の家に寄ってから登校する。夏季の家は母子家庭で男の子供もいないし女性で雪かきは大変だから大抵少し早く家を出て夏季の家の前の雪かきをやるようにしている。夏季の家は古くからある家なのでなんせ敷地が広いから尚のこと雪かきが大変だった。そのことで夏季のお母さんは優しくしてくれたし、時々お菓子をもらって二人で食べながら登校することもあった。8時に学校に着くと少しまだ早くて、部活の朝練の子たちしか登校していないから教室のストーブをつけて柵の周りに椅子を持ってきて、二人で読書をしながら話耽った。授業のこと、友人のこと、みんなが言っている先生の愚痴などなど。そんな中夏季がふと僕の心にないことを言った。
「ねぇ、木本君って彼女いないの?」
内心心がドキンとした。
「いないよ。男友達はいるけど、女友達なんて夏季ぐらいだし。そもそも夏樹だって…」
僕は言いよどんだ。その言葉は多分言ってはいけない言葉なのだろうと感じたから。
「ねぇ、木本君が嫌じゃなければ、私…」
「?」
僕の頭の中は活字でいっぱいだったのが真っ白になった。
「…彼女になってもいいかな?」
僕にはありえないと思っていた出来事だった。彼女ができるほど色んな方向にアンテナを張っているわけではないし、そもそも夏季には彼氏がいるものだとばかり思っていた。
「え、夏季…彼氏いないの?」
「悪い?」
少し小悪魔的な顔をして首を傾げた。そうして僕たちは友人関係から恋愛関係になった。本当は友達というのも烏滸がましいと思っていたけれど、彼女は僕の友人でいてくれたらしい。周りの友人にそのことを話すと
「え、まだだったの?」
「二人で登校してる時点で察しろよ」
と怒られた。晴れて、いや天気は雪だけれど心は晴れ渡って夏季は彼女になった。
そのあとの夏季との関係は大きく変わることはなかったけれど、買い物によく付き合わされるようになった。市内まではバスで少しかかるから、一緒に手をつないで温めあいながら全日の夜に読んだ本の話をした。恋愛小説のちょうど中盤くらいだろうか。一番幸せな時である。買い物をする女性っていうのは非常に時間がかかるもので僕は少し面倒を感じながらも幸せな迷惑だとつくづく感じていた。
お互いに読んだ小説がアニメ映画化されると聞いて私たちは公開日に街の映画館へと行った。映画を見るなんてことは今までなくて、券をどう買ったらいいのかわからなくてしどろもどろな僕を夏季は笑いながら
「子供2枚ください」
と言って券を買ってくれた。映画を見ている間も一緒に手をつないでいると相手がどう思っているのかわかる。今悲しんでいるんだろうなと思って夏季の方に顔を向けると夏季はスクリーンに目を向けながら涙を流していた。その出来事が今でも目に焼き付いている。
三月になると少しずつ雪が減っていき、歩くのに重い雪用の靴からローファーに変わった。それでもまだ地面にはちらほら雪が残っているから足がキンキンに冷えたけれども、やっぱり靴は軽い方が楽だった。夏季とは相変わらずだが、夏季が時々口にすることがあった。
「小説的に言ったらどちらかが死んだら恋愛小説になるね」
この言葉は僕の脳裏を今でもよぎる。その三月の頭の十一日に出来事は起こった。マグニチュード9.0の大地震が僕らに襲い掛かった。大きく揺れ、アスファルトは割れ、電柱もなぎ倒されていた。未曽有の大地震に対応できなかったのは阪神大震災よりもはるかにでかかったことに起因するだろう。それに起きた時間が悪かった。学校はすぐに生徒を下校させ、家で過ごすようにと言われた。僕は家に帰るとテレビのニュースでは東京では交通網が完全に麻痺し、首都直下地震と言われた。実際には三陸沖地震でかねてから予想はされていたがその規模をはるかに超えていた。僕の家は父も母も働きに出ていたのでどこかに避難したんだろうと思い、僕は一人では怖かったのでテレビを消して必要なモノと夏季から借りた小説をもって全体が見える高台に避難した。
その後のことは思い出したくない。友人が何人も被害に遭ったがそれよりなにより、かけがえのない人が犠牲になってしまった。
その震災のことは後に“東日本大震災”と呼ばれるようになった。津波により数万人の犠牲を出した。
2020年になって僕も大人になって、就職で都心に出ることになった。部屋の荷物を整理しているとふと震災の時にとっさに持って逃げた本が出てきた。埃をかぶっていたが、半分くらいのところで読みかけになっていた。僕もそれからあまり本を読まなくなった。夏季のことを思い出してしまうからだ。あの時夏季を救うことができなかった。夏季を家に連れて行ったときに一緒に逃げればよかったんだ。とっさの判断のミスだった。誰も予期しないことが起きたのだから仕方ないと周りは言うけれど、それでも救えたかもしれない命を、恋人の命を奪われるというのはこんなにも悲しいのかと思った。
彼女の貸してくれた本は今でも持っていて、しおりは場所を変えずに家の一番明るいところに置いてある。深く沈んだ彼女のためにも光を届けようとの思いからだった。本は日に焼けているし、タイトルがわからないくらいだがタイトルは確かに覚えているし、内容も刻銘に残っている。もし、彼女が、夏季が生きているのならばきっと会いに来てくれるだろう。来世でも、もっと先でもいいから、彼女に会いたい。今でもそう願っている。そして小説の最後に、手書きでこう書いてあった。
―愛してる―
僕も君を、今でも、未来でも待ってる。
刻を謳う少女 荘園 友希 @tomo_kunagisa
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