第2話

早朝、朝の日差しが俺の頬を照りつけていた。

地平線の先から半分だけひょっこりと顔を出している太陽を横目に仰向けのまま枕代わりにしていた荷物の入った袋からスマートフォンを取り出す。


電源を付けて時刻を確認しようとして、『ここ』ではこのスマートフォンの時計が役に立たない事を思い出す。


「……なんだよ、午後3時24分って……。 しかも7月30日……今は10月の秋だぞ……」


何故かは知らないが俺のスマートフォンは壊れたのかこの月日と時刻を表示したままずっと時間が進む様子はない。


それ以外は特に不便な所は無いので気にはしていないのだが。


画面を眺めていた時、突然寝ていた所が大きく揺れ、その衝撃でスマートフォンを手放してしまった。


「うがっ!?」


案の定、約160gの塊は鼻先に命中。

鈍い音を立てて顔面に打撃を食らわせる。


「おうどうした?」


運転席の方から運転手が顔を覗かせ、話しかけて来た。


「あっいえ、大丈夫です」


「そうか、もうじき難民キャンプに着くから準備しとけよ」


突然だが運転手の彼は、人間では無い。

厳密に言えば『人間種』ではなくまた別の種族の『亜人種』である。


亜人種とは人間種と異なる種族全般を指すのだが、彼はその中でもゴブリンと呼ばれる種族に属する。


最初彼の緑色の肌を見た時はギョッとしたものだが、トラックでの移動中に会話をしていると自然に打ち解ける事が出来た。


そもそも俺がここに来た経緯を説明すると、まず俺の名前は『羽島 隆』。

九州でフリーターとして自堕落な生活を送っていたのだが、ある日目覚めると何故かお布団の上ではなく平原にいた。


あまり舗装されていない道の上でグースカ寝ていた所を通り掛かった『亜人解放戦線』とかいう武装組織の補給部隊に拾われた。


何も分からないまま基地に連れて行かれた俺は難民キャンプに移送される事になり、ちょうど出発しようとしていた定期的に物資をキャンプに運び入れている輸送トラックに便乗させられた。


この世界の話は、道中でこのゴブリンの運転手から世間知らずと馬鹿にされつつも聞いて大体は把握したのだが……。


どうやら現代日本人の異世界に対する解釈は間違っていたらしい。


まず、現在の年は統一暦2263年。

もうこの時点で異世界ファンタジーとは程遠いが、そもそも行ったことも見たこともない場所に偏見を抱くのもあまり宜しくはないだろう。


次は現在地だが、今俺がいるのはオーリスロンド帝国。


……という名前はただの自称であり、実際は亜人解放戦線に占領されたトゥアマ大陸亜人自治区という場所だそうだ。


このトゥアマ大陸は西のレーリア大陸、東のノルク大陸に左右から挟まれており、大陸としての面積もそれらに比べれば大分小さい方だ。


昨今の世界情勢についても粗方聞いた。

亜人解放戦線というのが生まれたのが今より7年前の2256年。


元々はとても小規模な亜人の傭兵団だったが、2253年に起きたナルシュ王国陸空軍による亜人虐殺事件、通称『パレノクス事件』を切っ掛けに世界各地から迫害を受けた大勢の亜人が集まり、軍事組織として成り立っていった。


今では、亜人に味方する人間も続々と戦線に加わっているそうだ。


そこから数少ない親亜派であり東の大陸ノルクの軍事大国である、『ナルバーク民主主義共和国連邦』による多額の資金と物資による支援を受け、今日に至るまで軍事力を肥大化させて見せた。


ここまで軍事力を高めた亜人解放戦線が仇敵とするのは西の大陸を統べる『ナルシュ王国』だ。


何百年も前から旧オーリスロンド帝国との武力均衡を保ち続けてきたナルシュ王国だが、その均衡が崩れたのが2201年の『第一次人亜大戦』。


この大戦に於いて大敗を喫したオーリスロンド帝国とそこに住む亜人族は生存圏を大きく縮小され、ナルシュ王国のプロパガンダと反亜人派によって大衆は亜人に対する偏ったイメージを植え付けられ、それは最早不可逆的な物と化した。


2232年時点では、オーリスロンド帝国は地図から消され、代わりにトゥアマ大陸にはナルシュ王国領亜人自治区という名前が付いた。


自治区とは名ばかりの、収容所だった。





「着いたぞ、降りて物資運び出すの手伝え」


着いて早々クラクションで叩き起され、送ってもらった見返りとして物資の運び出しを手伝う事になった。


「ここにあるのは何処に持って行けば?」


「そりゃあ薬と医療器具だな。 あっちの医療テントに持って行け」


「分かりました」


難民キャンプには多くの亜人達が住んでいた。

ゴブリン、オーク、獣人、そしてエルフ。


現代の若者達からすれば夢のような光景かもしれんが、彼らの置かれている状況がこの世界の現実を物語っていた。


そこには異世界系ラノベの世界にあるような豊かさなど微塵も無く、ただ戦争で故郷を焼かれた人々が身を寄せ合って狭いテントの中に暮らしていた。


医療テントに辿り着き、何処に物資を置こうかとテントの外を彷徨っていると扉が開き、中から人が出てきた。


「おーい、そんな所で何をしているんだい?」


獣人の男だ。

灰色の毛に身を包み、医者らしい白衣を来た犬っぽい顔の人だ。


「あーえと、この物資をここに持ってくるように言われたのですが」


「あーね。 じゃあこっち持って来て」


「はい」


獣人の医者の後を追い、医療テントの中に入る。


医療テントは増設された二つの病床用テントと繋がっていて、中はそれなりに広い。


中から漂うのは強い薬品の臭いと僅かな血の臭い。

奥の病床には沢山の病人や怪我人が寝かされており、その中を看護師が忙しなく歩き回っていた。


「それはここに置いといて」


「はい」


薬だの医療器具だのが入った段ボール箱をテントの片隅に置く。


「にしてもここじゃ珍しいね、人間なんて。 それにその顔つきからして君はもしや東洋の生まれかい?」


「はい、まぁ」


獣人の医者は俺の頭のてっぺんから爪先までをじっくりと眺めた。


唐突だったものでこの状況に俺もどう反応すればいいのか分からなかった。


「全身ジャージとは……まるでナルバークのチンピラみたいだね。 しかし何だって君のような子が亜人解放戦線の輸送隊の手伝いなんか?」


「いやまぁ……自分、昨日まで訳も分からず何処かの道にぶっ倒れてまして、ちょうど通りかかった補給隊に助けられたんです。 そしてこの難民キャンプに連れてってもらうついでに手伝いをする事に……」


今までの経緯を話すと、医者は怪訝な顔をする。


「何だって、そんな所に全身ジャージ姿で倒れていたんだろうね……」


「自分にも分かりません。それにあのゴブリンの人から聞くまでは今が何年かもここが何処かも分かりませんでしたし……」


「という事は、今の君は記憶喪失って事かい?」


記憶喪失。

記憶喪失と言うよりかは、本当にこの世界を知らないだけなのだが。


しかし俺が異世界から来ただなんて言ってもどうせ信じてくれないので、寧ろ記憶喪失という方が色々と都合がいいかもしれない。


「まぁ確かに、記憶喪失かもしれないっすね」


「それは大変だね。 じゃあ昨今の世界情勢も分からない訳だ」


「一応、ゴブリンの人から今オーリスロンド帝国とナルシュ王国が戦争中だとは聞いていますが……」


そう言うと医者は溜め息をついた。


「そのゴブリン……まぁ十中八九トーラの事だろうけど、随分と言葉選びが悪いね」


「あの人と知り合いなんですか?」


「まぁね、ここにはしょっちゅう物資の運搬に来るから」


そう言いながら医者は世界地図のようなものを取り出し、机に広げた。


やはり、大陸の形状や地形は俺が住んでいた地球とは大きく異なっていた。


トゥアマ大陸は東西の大陸に挟まれた位置にあると言っていたからこの真ん中にある大陸で間違いないだろう。


となると、東にあるのがナルバークで西にあるのがナルシュか。


「いいかい、まず僕達オーリスロンド帝国とナルシュ王国は確かに対立関係にあるけど今はまだ武力衝突は起きていない。 ただ、いつ交戦状態に入ってもおかしくない状況とは言えるね」


医者はトゥアマ大陸の真上、地図の端を指さす。

そこには黒く塗りつぶされた謎の空間があった。


「ここ、『北方未探査地域』が全ての争いの原因さ」


「北方未探査地域……」


黒く塗りつぶされており、地形や面積がはっきりとしていない場所。

地図を見ると下の南方にも同じように塗りつぶされた場所があった。


「この惑星ほしはね、僕達でも想像も付かないくらい途轍も無く大きいんだ」


「つまり、あまりに広過ぎて探索しきれていない場所があるって事ですか?」


「そういう事」


この世界地図の縮尺は多分地球の世界地図とか同じなのだろう。


それでも把握しきれていない場所があるのだと思うと、この惑星の面積が途方も無い程のものに感じてきた。


「この北方未探査地域はずっと昔から鉄や銅にレアメタル、それに石油や天然ガスなどの手付かずの地下資源が大量に埋まっていると言われてきたのさ」


「まぁ、未踏の地ですからね」


「そしてこの北方未探査地域の資源を巡って対立していたのが当時のナルシュ王国と旧オーリスロンド帝国」


確かに地図を見れば北方未探査地域に一番近いところにある国はその2ヶ国くらいだ。


「公では人亜大戦までは両国で武力衝突は無かったとされているけど実際は未探査地域に送られた調査隊同士が交戦する事もあったそうだよ」


ペラペラと喋る医者をよそに、俺の脳内に一つの疑問が浮かんだ。


「あの、今まで人工衛星とか打ち上げて宇宙から観測しようとか、そういう試みは無かったんですか?」


「まぁ、普通はそう考えるよね」


医者は懐から煙草を一本取り出し、火を付けた。


「この国……というかこの世界に於いて宇宙まで届くロケットとか、長距離弾道ミサイルとか、そういう技術は遥か昔に失われているんだ」


「そうなんですか?」


「うん、今は作れない。 だから現代も戦争で鈍重な弩級戦艦や大口径の榴弾砲や列車砲が生産され、引っ張り出されるんだ」


「はぁ……」


どうやら異世界には異世界なりの問題があるようだ。








仕事を終えたので医療テントから出ようとすると医者が「そういえば」と俺を呼び止めた。


「自己紹介がまだだったね。 僕はアリツィ・クェル。 君の名前も教えてくれないか?」


「羽島 隆です」
















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