怪異の縄張り

葛(くず)

第0話

 畑で雑草を取っていると、声をかけられた。


「すみません、村長さんのお宅はどちらでしょうか」


 手を止めて見上げると、そこにいたのは紺色のスーツに身を包み黒のブリーフケースを提げた若い男だった。さっさと答えてしまおうか、とも思ったが見覚えのない人物に不安を覚え、訊ねた。


「あの、どちら様でしょう?」


「ああ、すみません。私、市の危機管理課の職員でして。防災ラジオの配布の件で伺いました」


 そう言って職員証を示すのを見て、ようやく胸をなでおろす。


「そうだったのね、背広を着た人なんて滅多に見ないから何かと思っちゃって。ごめんなさいね」


 それから少し世間話をして、青年の目的を忘れないうちに道を教えた。離れていく背中を見送って、畑仕事に戻る。爽やかで人の良さそうな子だった、と顔を思い浮かべようとして気づく。


(あら? 今の子、どんな顔だったかしら……ちゃんと見てたはずなのに、思い出せないわ)


 まだまだそんな歳ではないと思っていたがもうそんなに老けたかと、少し寒気がした。







「突然お邪魔して本当に申し訳ありません」


「いえいえ、どうぞ座ってお待ち下さい。今お茶を淹れてきますので」


 家に訪ねてきた青年を客間に通して座るよう促すも、立ったまま何度も頭を下げている。態度からして明らかに気弱そうな青年が言うには、自分は市役所の人間で防災ラジオのことで話がある、とのことだが有償での貸し出しならやめておくと先月断ったはずだ。ということは無償で借りることができるのだろうか?


 用件を想像しながら襖を開け台所へ向かおうとしたとき、後ろから首に巻き付くように腕を回され、視界の端に肘の先が見えた。そして理解が追いつかぬうちに、頸動脈を的確に、万力のように力強く絞められた。

 なんとか抜けだそうと暴れる度に気管を圧迫され体力を削られる。まともに抵抗もできず気が遠くなり、そのまま気を失ってしまった。




「ほら、起きてください」


 頬を叩かれて意識が戻る。うたた寝から覚めたような、ほんの一瞬目を瞑っていただけのような感覚ではあった。しかし腕を縛られていることから、間違いなく失神していたのだろうとわかる。なぜ自分がこんな目に? という疑問はすぐに怒りへと変わり、凶行に及んだ目の前の男を睨む。

 そうして気づく、しっかりと顔を見ているにもかかわらず顔を認識することができないことに。言い知れぬ恐怖に悲鳴を上げるのも忘れ、ただ硬直した。それを見た男はくすりと声を漏らす。


「安心してくださいよ、殺すわけじゃ無い。ただ欲しいものがあって村長さんに会いに来たんです。蔵の鍵はどこにありますか? 隣に立派な蔵がありますよね、あれを開けたくて」


 確かに蔵はある。しかし建物自体は立派だが、中にあるのは使わなくなった農具や壊れたリヤカー、あとは祭りで使う道具が保管してあるくらい。外部の人間にとって価値のあるものなどほとんど無い。


「で、ですがあの中に金目のものはありません。売れるようなものはとっくに売ってしまって」


 恨みを買ったような覚えも無く、男の目当てが金品に違いないと踏み言い訳をすると、男はため息を吐きながら鞄から茶色い小瓶を取り出し、近づいてくる。逃げようにも壁に背をつけた状態で腕を縛られている、どうすることもできない。

 そして男は私の顔を鷲掴みにして口を開かせ、瓶の中身を流し込んできた。鉄の味がするそれを吐き出そうとするも、手の平で口と鼻の両方を塞がれ、飲み込んでしまった。


「がはっ、あぁぐ……があぅ、かぁっ……」


 気管に入ってしまい咳き込んでいるうち、喉の奥をかきむしられているような感覚にうめき声を漏らすようになる。一体何を飲ませたのかと、男に視線を向ける。


「聞かれたことに答えるだけでよかったんですよ? そうすればこんなの使わなかったのに……でもちょっとスッキリしました、だからこれが何なのか教えてあげます。僕の血なんですよ、呪いを込めてあるんですけどね」


 体をむしばむ何かが広がる感覚は全身におよび、苦痛に思考の全てが上書きされていく。しかし、なぜか男の声だけは聞き逃すことが無い。前後不覚に陥るほどの不快感、遠ざかる世界の中でただ一つ明瞭な声。増幅し続ける恐怖に、ただ涙だけがこぼれる。


「頑張って作った、僕の声に素直に従うようになるお薬です。村長さんみたいな一般人なら抗えなくて当然ですよ、だから泣いてないで、さっさと鍵を渡してください」


 男がロープを解きながら命令すると、体が勝手にタンスを開けて鍵を取る。両手で捧げるように差し出した鍵を受け取ると、男はまたも鞄から何かを取り出した。

 視界が霞んでよく見えないが、逆さにしたコップのような円錐台の上に、卵がくっついているようなシルエット。黒一色のそれに何かをつぶやくと、黒いもやのようなものが吹き出し私に迫る。


「取るもの取ったらさっさと帰るから、好きに暴れればいいよ。もし誰かが来て負けそうになったら……村人は皆殺しにしちゃって。もちろん村長さんもね」


 心底楽しそうな声でそう言うと、こちらに向かって手を振りながら捨て台詞を吐いた。


「それじゃあ村長さん、さようなら。来世で会おうね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る