キミの彼氏になるのは

まっく

塁と蹴人と美都有

 部活の朝練に出る為の早起きは、全く苦にならない。


 久々に晴れた朝なら尚更だ。


 ベーコンエッグをトーストに乗せて、それを牛乳で流し込む。

 手早く朝食を片付けると、鞄と新品の上履きが入った袋を引っ掴み、玄関を飛び出す。


 ウォーミングアップがてらに、軽くジョギングしながら学校に向かう。風が頬を撫でる。


 どうやら今日も一番乗りみたいだ。


 鞄を置くために教室へと急ぐ。

 階段を一段飛ばしに。

 上履きのゴム底と廊下が擦れ合い、誰もいない早朝の校舎にキュキュっと軽快な音が木霊こだまする。これが一番乗りの特権だ。


 嗚呼、清々しい朝、素晴らしい一日の始まりだ!


 と、素直に思えないのが辛い。


 それは、そのも真新しい上履きのせいだった。


 買い替えてから初めて上履きを洗う為に、持ち帰ろうとした週末。

 帰る道すがら、上履き袋の巾着を、軽快にポンポンと蹴り上げていた。


 これは最早サッカー部員の習性とも言えるだろう。

 もちろん、しっかりとヒモは握り締めていた。それなのにまさか……。


 上履き袋は、栄光への架け橋を掛けるがごとく綺麗な放物線を描いて、ここのところ続いていた雨で増水したドブ川に着水。

 上履きは、あっという間に視界の彼方へと消えていったのだった。


 そこそこに太いヒモが簡単に切れるはずがない。

 その絶対的な信頼を、気合いの足りない結び目の野郎が、いとも簡単に解けやがり、ぶち壊しにしてくれた。



 先入観や固定観念は罪。



 それを身をもって勉強出来たのだから、お小遣い三か月停止処分なんて安いものだ。


 ……はい、大丈夫です。目にカナブンが当たっただけなんで。



 そんなわけで、人生にはまさかの出来事が付き物。

 しかし、俺ほどまさかの出来事に付きまとわれている人間も稀有なのではないだろうか。



 俺に付けられた雲川塁くもかわるいという名前。


 塁の漢字から分かるように、父親が大の野球好きで、息子が甲子園やプロで活躍出来るように願いを込めた名前だ。


 いくらギャン泣きしていても、野球のボールさえ与えればすぐに泣き止む俺の姿に、父だけでなく、母も野球選手になる為に生まれてきた子供だと確信していた。


 しかし、念願のマイホームを買った場所が、父の願いを打ち砕いた。


 隣の家に俺と同い年の子供、幼なじみにして、終生の親友になるであろう今田蹴人いまだしゅうとがいたからである。


 蹴人という名前から分かるように、こちらは完全にサッカー。


 しかも、高校時代の異名が『一生秘密の秘密兵器』で、現在は万年係長候補筆頭として名高い俺の父親に対し、高校時代に国体出場、スポーツショップオーナーにして、地元少年サッカーチームの監督の蹴人の父親とでは、子供の俺たちへの影響力の強さは説明するまでもないだろう。


 当たり前のように、蹴人と一緒にサッカーを始めた俺は、野球になど見向きもせず、中学三年のここまで、生粋のサッカー少年の道を邁進している。

 父としてはまさかの展開だろう。


 そんな父も、今では応援してくれているのだが、


「サッカーさえやっていなければ、上履き袋をポンポンしなかったかもしれないし、お小遣い三か月停止処分も下らなかったのにな。ククッ」


 とイヤらしい笑いを浮かべながら言ってきたので、まだ野球をやって欲しい気持ちがあるのかもしれないなと思うのと同時に、出世が無理そうな理由も、何となく分かった気がした。



「相変わらず、早いのな」


 グラウンドに出て、ストレッチをしている俺の横に蹴人が腰を下ろす。


「せめて、それくらいは負けたくないからな」


 二人並んで、ひとしきり身体を動かすと、パスの交換に入る。いつものパターンだ。


 朝練は強制ではないので、出ない奴も多いが、俺と蹴人は皆勤賞。

 蹴人との差を詰めたいのに、なかなかそうはさせてくれない。


 ある程度人数が集まったところで、軽くミニゲームをして、最後に各々がシュート練習に入った。


「ナイッシュー! 塁、蹴人、二人とも調子良さそうだねっ!」


 そう言いながら、マネージャーの古井美都有ふるいみとうが、一緒に登校してきた奴に手を振りつつ、俺と蹴人の元に駆け寄って来る。


「ミト、遅いぞ! 気合い入ってないな」


「ごめんごめん」


 美都有は、かわいらしく両手を胸の前で合わせて、首を傾げる。


「でも、片付けには余裕で間に合ったじゃん。どーせ早く来てもやること無いんだしさー、ちょっとした寝坊、的な感じで許しといてよ。で、明日からも、それでよろしく~」


「そうそう、ミトちゃんも色々あるんだからさ、それで十分だよ。ね?」


 蹴人が透かさずフォローを入れる。


 美都有は「そうだ、そうだー」と蹴人の背中の陰から、俺に向かってシュッシュとパンチの真似をする。


 俺が何か言い返そうと口を開きかけたところで、美都有は「みんな、おはよー」と言いながら、大きく手を振り他の部員たちの方へ駆け出す。


 大体、いつもこんな調子である。


 美都有は、つやつやの黒髪にくりっとした瞳、小顔でスレンダー。

 見た目もさることながら、性格も良く、男女問わず誰とでも分け隔てなく接して、特に三年になってからは、登下校や給食なんかも、日替わりでいろんな奴と一緒にしているようだった。


 あざとさも八方美人も全開な美都有だが、不思議と女子でも悪く言う奴はいない。


 俺の見立てでは、その理由は、


『お胸がぴえん、超えてぱおん、超えてひいん』


 だからじゃないかと思っている。


 口が裂けても、そんなこと本人には言えないが。



 そんな美都有は、蹴人と逆のお隣さん。


 あまりくどくどと説明するのもあれなんで、ざっくり言うと、皆さんの想像通りの感じの幼なじみ三人組。


 もちろん、小さい頃は一緒にお風呂入ったりもしてます。


 これまた例に漏れず、俺と蹴人は定番中の定番の抜け駆けダメ協定を結んでいた。


 そんな感じで、ここまでやって来たわけだが、そろそろ大人の階段を昇らなければならないのではないかと。


 来年は高校生になることだし。


 それに美都有も、俺と蹴人と同じサッカーの強豪である県立高校に進学して、またマネージャーをやるものと思い込んでいたが、新しい夢を見つけたらしく、別の高校に行くと決めてしまった。


 美都有は、その夢を俺と蹴人には、まだ教えてくれない。

 その時が来れば、ちゃんと言うからと、はぐらかされ続けているのだ。


 おそらく『その時』とは、俺たち三人の関係性が変わる時。

 俺か蹴人が、美都有の彼氏になった時。


 頭も勘もいい美都有は、最近俺たちの間に流れる微妙な空気感を感じ取っているんだと思う。


 遂に、決着をつける時が来たのだ。


 大人の階段を昇れ! 俺たち!


 というわけで、そんな事を蹴人と二人、駄菓子屋『音鳴おとな』前で密談した、通称『音鳴の会談』にて、以下の取り決めが締結された。



『中学最後の大会で多くゴールを決めた方が、美都有に告白出来る権を獲得出来る』



 俺と蹴人のツートップは、このチームの最大のストロングポイント。


 背が高くてがっしりとした俺がポストプレーでボールをキープして蹴人へ。

 蹴人のサイドへ流れる動きや、セットプレーからのクロスを俺が。


 そんなパターンを中心に、チームの得点の殆どを二人で決めており、いつもチーム内得点王を争っているのだが、俺はまだひとつの大会で蹴人のゴール数を上回ったことはなかった。


 蹴人には個人技で局面を打開する力があるからだ。


 しかし、今回の俺はビシビシに仕上がっている。仕上がりまくっている。仕上がりマクリマクリスティーなのである。


 この日の練習後も、居残りでシュート練習をしていたが、自分でも怖いくらいに抜群のキレを感じる。


 蹴人も「塁、オマエ怪しい白い粉とか摂取してないだろうな」という危険な冗談を言い出すくらいに。


 そして、それを見て、蹴人がなかなか練習をやめないものだから、俺も帰るわけにもいかず、もうほとんどボールも見えないくらいに遅くなっていた。


 そこに日和本ひわもとあきらが近寄って来て、俺に声を掛けた。

 蹴人は、一心不乱にプレースキックの練習をしている。



「お前ら、まだ帰らないのかよ」


「日和本も、珍しく遅いじゃん」


「俺は、時間潰してただけ。監督から、お前にはドリブルもパスもシュートもセンス無いって言われてるから。一足先に選手引退だよ」


「最後の大会を前にか……。しかし、監督さん酷いこと言うな」


「でも、当たってるしね」


「俺よりタッパあるのにな」


「意外と身長とか関係ないところあるし」


「同感」


 二人して蹴人の方を見る。


「あー、明くん」


 美都有が走ってやって来る。

 既に、制服に着替えている。


「古井さんも、お疲れ様」


「なんだよ、ミト。先に帰るんじゃないだろうな」


「帰るに決まってんじゃん」


「決まってねぇーし」


「あんたらが遅すぎなの。私、家帰ってやることあるんだから」


 美都有は、ぷっくりと頬を膨らます。


「じゃあ、日和本。こんな時間だし、ミトを送って行ってくれるか」


「あー、もちろんもちろん」


「明くん、サッカー馬鹿は放っておいて、帰ろ帰ろ」


 美都有は、少し進んだところで振り返って、あっかんべーをする。


 あざといと分かりつつも、かわいいと思ってしまうのが、惚れた弱みと言うものか。


 蹴人は、まるでこちらを気にする素振りもなく、まだゴールに向かってボールを蹴り込んでいた。


 蹴人がやめるまでは、俺も練習をやめるわけにはいかない。

 蹴人の元へと、俺は駆け出す。



 いくら親友の蹴人でも、美都有だけは譲れない。


 美都有への気持ちだけは、絶対に誰にも負けないのだから。

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