第163話 ネイオミの交渉

 第二学園の教官ネイオミ・ミストリープは第一学園の図書館に向かっていた。

 ネイオミが学園卒業後にミストリープ領に帰らず学園に残ったのは、この図書館の存在があったからだ。

 王国で蔵書量が最も多いのが第一学園図書館。

 特に神の書物についてはミストリープ侯爵家と比べ物にならないほどの差がある。


 ただ、ミストリープ家の令嬢が学園に残るのは珍しいことだ。

 男性ならまだしも女性はミストリープ領に戻るのが基本である。

 さらに、貴族令嬢が独身でいることも珍しい。

 そのためにミストリープ家から追放された変わり者などと言われることもあるが、実際にはそんなことはない。魔法や言語の研究に打ち込んでいるだけだ。


 今日図書館に向かっているのは、研究のためではなく別の目的があった。

 セージが図書館に向かったとの情報を得たからである。

 ネイオミはセージの知識に目をつけ、恩を売ることで知識を得ようと考えていた。

 今は第二学園の教官をしているが、それも今年度で終わりになり、フリーになることもある。


 先ほどの会議、第三学園の廃止についての議題の前に、ネイオミの解雇が決まった。

 第二学園の学園対抗試合の主担当教官であり、その責任をとった形である。


 今年度のネイオミは三級生を見ることが多く、一級生は魔法学でしか担当していない。

 そんなネイオミが学園対抗試合の主担当になったのは、他の学園の評判が理由だった。


 今年度の第三学園は強いという情報があり、第一学園には勇者が二人いる。

 前年度は第二学園が第三学園を圧倒し、第一学園と良い試合を繰り広げた。

 例年と比べても結果が悪くなる可能性が高く、担当になったら評価が下がると考えた第二学園の教官は、ネイオミや立場の低い教官に押し付けたのである。


 ネイオミは貴族・平民、男女を分け隔てなく指導し、特に努力している学園生には特級魔法を伝えるなど、他の教官にとっては非常識な教官だ。

 そして、ネイオミの教え子に魔法で超えられたり、高圧的な態度を注意されたりして逆恨みしている教官も多い。

 侯爵令嬢なので急遽主担当になっても不自然ではなく、押し付けるのにちょうどいい相手だった。


 ネイオミとしては他の学園がどれほど強いか興味があり、躊躇なく引き受けた。

 ただ、その時はまさか第三学園に負け、解雇にまで発展するとは思っていなかったが。


 昔、ネイオミは第一学園に所属しており、公爵令嬢で魔法科の教官マーガレット・オルブライトから嫉妬を受けて第二学園に飛ばされた経緯がある。

 そして、第三学園が廃止だ。第二学園を辞めた後の行き場がなくなる。

 侯爵令嬢なのでツテはあるが、魔法の研究がしたかった。

 そこで目をつけたのがセージだったのだ。


(やはりここにいたか。セージ・ナイジェール侯爵)


 声をかけようとしたが、セージが「ぅあっ!」っと奇声を上げたため留まる。


「どっどうかしましたか?」


(クリスティーナ・シトリン令嬢? もうセージに手をつけているのか。さすが、シトリン家だな)


 セージはまっすぐ本を手に取り、パラパラと読み始める。その姿にネイオミは瞠目した。


(まさか……迷いなくあの本を選んで、戸惑うことなく読み始めた。それにあの視線の動き。間違いない)


 目の動きや表情をよく確認しようと静かに近づいていると、クリスティーナがそれに気づき「ネイオミ教官?」と少し戸惑った声を上げる。


「こんにちは、クリスティーナ君。セージ君は先ほど会ったばかりだな」


 ネイオミは何事もなかったかのように返事をした。

 先ほど、とは学園対抗試合の表彰式のことだ。ネイオミは第二学園代表者として出ていた。


「ネイオミ教官? どうしたんですか?」


「本を読む姿が気になってね。それは何の本なんだい?」


「これは……神の言語の本ですね」


「君ならその内容もわかるんじゃないのかな? いや、ここで話すより個室に来るといい。君にとって有益な情報もある」


 図書館の地下には本を読むための個室があり、借りることができる。

 全ての本が地下から持ち出し禁止のため、その場で読む必要があるからだ。

 ネイオミは地下室の常連であり、一番奥の部屋が良く使う部屋だった。

 他の者は遠慮して使わないため、ネイオミ専用個室のようになっている。


「さて、ここは私の部屋、というわけではないがよく借りている部屋だ。何もないところだけどね」


 セージとクリスティーナを招き入れて椅子を用意した。

 その他には机と灯りしかない簡素な部屋だ。


「それで、有益な情報とはなんでしょう」


(早速か。情報を渡す前に聞きたいことがあるんだけどね)


「そんなに焦らなくてもいいだろう。それとも、その本を早く読みたいのかい?」


「えぇ、まぁ、神の言語を見る機会なんてそうそうありませんし」


「ほう、神の書物は初めてかな?」


「この本は初めてですね」


「読めるのかい?」


 その質問にはセージは一瞬躊躇して答える。


「読めません」


 その躊躇いをネイオミは見逃さなかった。


(ほう、やはり読める可能性が高いな)


「そうかい。ただ、私は君が神の言語が読めるのだと考えている。君がその本を迷わず手に取ったからだよ」


「そんな、たまたま手に取っただけですよ」


 セージとしては本当にたまたま『はらぺこ』が気になって手に取っただけだったが、ネイオミはとぼけていると考えた。


「その本には呪文が書かれているね? その本はおそらく特級魔法を超えるものが書かれた魔法書だろう?」


「いや……どうなんですかね?」


(ふむ。もう少し表情に出るかと思ったが難しいものだね)


 魔法書というよりただの物語だが、そんなことは言えないため困惑するセージと、とぼけていると思っているネイオミのと齟齬は深まるばかりだ。


「レベッカから聞いた話では、君は神の使者であるらしい。神の使者であれば当然言語も読めるのかな?」


「いやいや、そんなまさか神の使者なんて。ただの孤児ですよ? そんなこと信じられますか?」


 ネイオミとしてもセージが神の使者と信じているわけではなかった。

 本当に神の使者ならば第三学園に入学したり本を読もうとしたりするとは考えにくいからだ。

 ただ、レベッカが言うからには何か理由があるのだろうと考え、それが神の言語が読める可能性に繋がった。


「その真偽はわからないけれど、君を見ていると信憑性はある。さっきは明らかに文字を読んでいたからね」


「神の言語ってどんな感じかなと眺めていただけです。それが文字を読んでいるように見えたのでしょう」


「そうかい? さて、クリスティーナ君。先ほど不思議に思ったのではないのかね?」


 ネイオミはセージを訝しげに窺うクリスティーナのことも見ていた。

 セージは「不思議?」と首を傾げ、急に話を振られたクリスティーナは恐る恐るといった感じで答える。


「えっ、ええと、どうして最後から読むのかなとは思いましたが……」


「そうだろうね。さらに目線は縦に動いていた。神の言語が縦書きで、しかも一般的な本と反対から読み始めるということはここの言語学者くらいしか知らないはず。まさか、戸惑うことなく読むとは驚いたよ」


 基本的にローマ字の日本語は橫書きでページを右から左へめくる。それはハイエルフの書物も同じだ。

 神の書物だけが異なる。

 本の装丁や文字の並びから想像しているだけで読んでいるわけではない。なので、確かなことではなかったが、セージを見てそれが正しいと確信していた。


 セージは反論しようとしたが、口を閉じて考え込む。


「どうだね? 私の考えはあっているかな?」


「まぁ、それは置いといて、有用な情報ってなんですか?」


(なるほど。読める可能性が高いね。ページをめくる速度を考えると、どこまで理解できているかはわからないけれど)


 セージはパラパラとページをめくっていたので、さすがに理解ができていないのではないかとも疑っていたのである。


「有用な情報、とはいっても良い情報ではない。まず一つ目は、来年の春、第三学園が潰されることだね」


「そんな話は聞いたことがありませんけど」


「今までにも話はあったけれど、今日の会議で急遽決定したことだよ」


 そして、一級生は卒業して二級生以下は騎士団の練兵所に送られること、サイラスの動き、第三学園の優勝との関連などを説明する。

 セージはその話に眉根をよせた。

 三級生は関わりが少ないが、実質セージと同級生。二級生は訓練で関わるので知っている者も多かったのである。


(思ったより気にしているのかな? 周囲のことなど気にしないのかと思っていたけれど意外だね)


「二点目は、ナイジェール領、つまり君が運営する領のこと。卒業して領に行く頃には乗っ取られているだろう」


「まぁそれは特に問題ないですが」


(なるほど。これは予想通りの反応か)


「あと最後に、ラングドン領が潰されるかもしれないということだね」


「ラングドン領が? どうしてですか?」


(ほう、ここには食いつくか。やはり話してみないとわからないものだ)


「今は調査中のようだが、ラングドン子爵領には凄まじい者が集まっているとの噂がある。伝説の勇者の剣を作った技工士の息子ガブリエール・ザンデル、滅亡したといわれているハイエルフの末裔の錬金術師、魔道具師ギルド最高のザカライア・ヤングを超える小人族。にわかには信じがたいことだけれど……君なら知っているだろう?」


「いえ、ちょっとわからないんですけど」


 ガルフは偽名を使っているが正確な情報だ。しかし、トーリはハイエルフと関係がなく、ジッロはたまたま一緒にいたマルコムと間違えられていた。

 ネイオミは困惑したように答えるセージを気にせず続ける。


「この三名が王宮に発見されたらラングドン子爵領はどうなるかわからない。子爵領に置くには惜しい人材だと思われているからね。その前にナイジェール侯爵領に避難させるべきじゃないかい? シトリン家によって乗っ取られる前に手を打っておくことをおすすめするよ」


「シトリン家が乗っ取るなんて、そんなことはいたしません」


「クリスティーナ君。そう主張する気持ちはわかる。まずは自分で調べてみるといい」


 ネイオミは毅然として主張するクリスティーナを諭すように言った。

 そしてセージに向き直す。


「そこで提案だが、第三学園の希望者を侯爵領に連れていき、ラングドン家とミストリープ家の支援を受ける気はないか? 私が全て交渉しよう。そうすれば下手に手出しはできないだろう。君の思うようにナイジェール領を運営することができる」


 領主になるには文官、騎士だけでなく屋敷を維持する各種使用人などが必要だ。

 さらには信頼できる商人や職人なども重要である。

 その提案にセージはまた考え込んだ。


「警戒しなくとも、女神リビア様に誓って裏切らない。君の味方だよ」


「ネイオミ教官は何のために味方になるんですか? ミストリープ家が味方になる保証はありますか?」


(ほう、ラングドン家は味方になる見込みがあるということかい?)


 ネイオミはいろいろと思案しながら答える。


「ミストリープ家はセージ君が用意した装備に興味を持っている。特に防具にね。それがあれば交渉は容易だろう。そして、私が求めるものは魔法の知識だよ。特に、君が持っている本には賢者が使ったとされる魔法『メテオ』が書かれているだろう? しかし、呪文を唱えても発動しない。君ならわかるんじゃないのかい?」


 ネイオミが言語学の研究を始めたのは、魔法を追及する上で言語学が必要だと思ったからだ。

 魔法について学ぶ気持ちは強い。

 そして、セージが学園対抗試合で見せた魔法の威力や精霊魔法など未知の魔法のことも聞きたいところだったが、一番は『メテオ』についてだった。

 神の書物でも呪文部分だけはだいたい読めるが、発動はしない。

 それがずっと気になっていたのだ。


「メテオの発動条件でいいんですね?」


 セージは領のことについて、興味がない上に何をして良いかもわからなかったので無視していたが、周囲の者に影響があると言われると別である。

 そして、代わりに準備してくれるというのであれば願ってもいないことだ。

 正直なところセージは交渉事や経営などは苦手である。


 ラングドン家には信頼を置いており、ミストリープ家とネイオミに関しては信頼できると聞いていたが、改めてベンに聞こうと考えていた。

 それに、発動条件は職業を賢者にするだけと答えればいいのでお得だなと思ってもいる。

 しかし、ネイオミにとっては重要度の高い情報だ。


(ずいぶんと軽く言ってくれるね。まだ情報を追加できそうだが、ここは様子をみて慎重にいこうか)


「あとは私の仕事に対して情報を追加できるか随時交渉しよう。お互いに利があるようにしようじゃないか。ただ、一つ確認がある。メテオが使えるなら見せてほしい。受け取る情報の裏付けは必要だろう?」


「まぁいいですよ。メテオであればおそらく使えますので」


 この後『メテオ』を見たネイオミは、今後どんな情報が得られるか期待を膨らまし、流れでついてきていたクリスティーナは、セージは神の使者に違いないと確信するのであった。

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