第108話 エイリーン

 孤児院のリーダー、エイリーンは毎日忙しい。

 朝は早朝から朝市で働き、昼までには孤児院に戻って家事を手伝う。

 そして、昼過ぎから孤児院のそばに店を出すようになったジッロの所に行き、そこで店を手伝いながら細工や木工を習う。

 店仕舞いをすれば家事を手伝い、全てが終わればローリーが来て他の孤児たちと勉強。全員の勉強会は短時間で終わるが、その後延長で教わる。

 そして、明日に向けてすぐに就寝。

 そんな日々を繰り返していたエイリーンも最初からそうだったわけではなかった。


 最初に孤児院に来たときは、八歳の時である。

 母親は三歳の頃に病で亡くなっている。父親は冒険者だったが、ある日帰ってこなかった。

 留守にしがちな父親だったためエイリーンは大抵のことは自分ですることができた。まだMP0で魔法が使えないため、火や飲み水の確保は大変だったが、それ以外は問題なく一人で暮らせる。

 父親からはもし帰らなかった時は孤児院に行くように言いつけられていた。現在の孤児院は悪くない暮らしができると噂があったからだ。


 しかし、エイリーンは家で一人で暮らしながら待った。どうしても家を出る踏ん切りがつかなかったのだ。

 明日帰って来るかもしれないと思いながら日々を過ごして金が尽き、家賃が払えなくなった。

 結局、稼ぐことの出来ない子供が一人で暮らし続けることはできない。

 荷物をまとめて出ていき、孤児院の戸を叩いた。


 孤児院は最近変わったばかりの管理者のミランダとエイリーンより年下のリンジー、ニック、ポールの三人、そして、一つ上のセージがいた。

 当初、エイリーンは塞ぎ込んでおり、全員への挨拶の時も小さく名前を呟くだけだった。

 そんなエイリーンを見て、ミランダはどうして良いかわからなかった。

 レイラが居れば対応できたのかもしれない。だが、ミランダには経験がなく、冷静を装いながら内心でおろおろしていた。

 そんな中でセージがエイリーンを励ます、わけではなくいつも通りだ。


「さて、じゃあ今日は歓迎会だね。薬屋に行った後、ちょっと良い肉を取ってこようか」


 リンジーたちが喜ぶ中で、エイリーンは良くわからなくてぼんやりしているだけだった。

 日中は案内されたり荷物の片付けをしたりして夕方になった時、その言葉の意味がわかった。

 セージが猪型魔物のウリブルをずた袋に入れて背負って帰って来たのである。

 ウリブルはさほど強くないが子供で倒せるような相手ではない。レベル20の冒険者なら十分倒せるが、それでも逃げ足が早いため、捕まえるのは困難だ。


「みんな、準備して」


「はーい!」


 子達はすぐに遊びを止めて、慣れた様子で準備をしていく。


「それじゃあエイリーンは……エイリーン、エイ、エリ、エリィ。エリィでいい?」


「はい、良いです」


「そっか。あと、丁寧に喋らなくていいよ。ここは子供同士で丁寧な言葉禁止ってルールだからね」


 エイリーンは無言で頷いて答える。


「エリィ、魔物の解体は見たことある?」


「……ある」


「じゃあ解体を手伝ってもらおうかな。森の方で下処理はしたから皮剥ぎだね。はい、ナイフ。すごく良く切れるから気をつけてね」


 そう言って解体場所でウリブルを吊り、捌き始めた。

 エイリーンは父親が魔物を解体するところを何度も見たことがある。

 手伝いで肉の切り分けはやったことがあるが、売り物になる皮部分などは触ったことがなかった。

 やり方がわからなかったのでセージに教わりながら切っていく。


「そうそう。そこを引っ張りながら……上手だね。この皮は適当に剥がしていいよ。ホーンラビットの皮は売ったりするけど、ウリブルの皮は手間がかかるだけだし。それにしても、手伝ってもらえると助かるよ。解体が得意だった子は孤児院を卒業してさ。ギルドに頼んだら皮や牙を売っても損になるから自分でやるしかなくて。いやー最初は内臓傷つけて臭いがとれなくなったり、解体に丸1日かかって肉はボロボロなんてことになったり大変だったなぁ。ちゃんと教えて貰って、ナイフも良くなってかなり楽になったけど、それでも一人でやるのは時間がかかるからさ。あっそこは穴開けちゃってこうするといいよ。急がないと暗くなるし」


 エイリーンはセージの話を聞きながら、初めてのことに悪戦苦闘しつつも真剣に取り組んだ。

 セージは合間に火を付けに行ったり、水を樽に溜めに行ったり忙しそうにしていた。

 何とか切り終えると焼き肉の始まりである。

 小麦粉を水で練って焼いただけのパンは先に作られており、野菜も準備されている。後は塩を少し振りかけた肉を焼くだけだ。


「さて、エリィの歓迎会だよ! たくさん食べてね!」


「セージ! 肉焼いて!」


「はいはい。最初だけだよ」


 一番最初に肉を焼くのはセージという決まりになっている。切ったばかりの肉をジュウジュウと美味しそうな音を立てて焼き始めた。

 すると、リンジーがエイリーンにススッと近づいて話しかける。


「セージが焼いた肉は何だか美味しくて力が湧いてくるんだよ」


 エイリーンは「そうなんだ」とぼんやり気のない返事をした。


「それじゃあ取ってきてあげる」


 そう言うリンジーはセージが焼いた肉をサッとかっさらってエイリーンに持ってくる。

 食べてみると言われた通り力が湧いてくる感覚があった。


「美味しい」


「そうでしょ? セージ肉は最高だよ。あっセージ肉っていうのはね、セージ、肉焼いてって頼むからね、なんかセージ肉、焼いてみたいに聞こえるなって思って、ふふっ」


 楽しそうに話すリンジーにエイリーンは曖昧に笑いながら聞きつつ肉を頬張った。

 焼き肉会はつつがなく終わり、その後はお風呂だ。

 セージが水魔法を使い続けて巨大なタライに水を溜めて、中に焼いた石を入れるという原始的なものである。


「エリィ、入ろっ」


 リンジーがエイリーンに再び話しかける。リンジーは女の子が来て嬉しかったのだ。

 ミランダを除くとアナベルが卒業して以来、リンジー以外は全員男の子だった。


 エイリーンはお湯に入るということが不思議であった。王国の一般的な家に風呂はない。風呂屋はあるが、湯を溜めるタイプのところは少なかった。


「こうやって頭と体を洗うんだよ」


「なにこれ?」


「小麦粉と水を混ぜた物と灰と油を混ぜた物、あっ今嫌そうな顔した! セージに教えてもらって私が作ったんだよ! お湯だけで洗うより絶対良いから!」


「……ホントに?」


「ホントだって!」


「ほら、早くしなよ。次は男子が使うんだからね」


 ミランダがそう言って急かす。エイリーンは終始嬉しそうなリンジーに少しだけ笑みをこぼした。

 その後、ミランダによって勉強会が開かれて、読み書きや計算を習う。この時、セージは木材を削っていた。

 そして、ミランダがわからなければセージに聞くという形であった。エイリーンからすると不思議な光景であるが、皆はそれが当然だった。


 そして、就寝の時間となる。エイリーンは個室で寝転んだ。

 今は人数が少ないため一人部屋である。部屋は狭くて二段ベッドとタンスが一つあるだけだ。

 寝転がってみたものの全く眠れなかった。体は疲れていて休みたいと思うのに目は冴えていた。

 変わった人や仲良くしてくれる子がいたし、新しいことばかりで今まで悩む暇もなかったが、一人になると急に不安になったのだ。


 水を飲もうと思って台所の方に行くと、微かに燻製の匂いが鼻腔をくすぐる。

 気になって外を覗いてみるとセージが焚き火の前で丸太椅子に座っていた。その横には燻製器が置いてあり、煙が漏れ出ている。


「エリィ、ここに座る?」


 セージはすぐにエイリーンに気づき、落ち着いて呼び掛けた。

 エイリーンはセージのことは変わった人だと思っていたが、良い人であるとは感じていたため素直に応じる。


「眠れない?」


「……うん」


「そっか。はい、これ。エリィへの贈り物」


 そう言ってセージから手渡された物は木のコップだった。


「これって、さっき作ってた物?」


「あぁそれは今作ってるこれ。そのコップは前から作ってて今日完成したものだよ。ちょうど良かったから記念にあげる」


「……ありがと」


「あとは変な味がしないか確認するだけだったんだけど、ちょうど良いから使ってみて。たぶん大丈夫だから。お茶入れるね。このお茶はエリィの元気が出るようにまじないをかけて作ったんだ」


 何やら楽しそうなセージにエイリーンは訝しげな顔を向ける。


「もともと作ってあったみたいだけど」


「いいからいいから。飲んでみて」


 セージは良くわからない笑顔でコップにお茶を注ぐ。

 エイリーンはその温かいお茶を一口のみ、一息つく。すると、無意識に気を張り、緊張していた心から、少し力が抜けたような気がした。

 もう一口飲み、本当にまじないがかかっているのかとコップのお茶を見つめて呟く。


「……美味しい」


「良かった。寝る前にはちょうど良いお茶だよね。今燻製をしてて、あっ燻製って知ってる?」


 ゆっくりとお茶を飲みながらエイリーンは頷いた。


「結構燻製が好きで作ってるんだ。これは保存用じゃなくて明日には食べきる分。塩がたくさんあれば保存食がつくれるんだけどね。さてと、そろそろできあがりだけど、味見してみる?」


 エイリーンは出来たばかりの燻製を差し出すセージを見て、父親を思い出す。蓋をして押し込めていた記憶だ。

 魔物を解体する時、父親はその場で燻製にするため燻製器を持ち込んでいた。エイリーンも燻製が好きで、先に削いでおいた肉を燻製器に入れて解体が終わった後に食べるのを楽しみにしていた。


 思い出を誤魔化そうと差し出されたものを受け取り、パクリと食べる。

 しかし、その気持ちとは裏腹に、エイリーンは溢れ出る止めどない感情の奔流に飲まれた。

 保存食として売っているような完全に乾燥したものとは違う、少し柔らかい食感。

 塩分が少なく、しっかりと感じられる肉の旨み。

 そして、口の中に広がる薫り。

 父親と共に食べた日が鮮明に浮かび、同時に様々なことを思い出す。

 エイリーンは涙が溢れて止められなかった。


「結構美味しく出来てるでしょ? やっぱり出来立て……」


 セージはそこまで言ってエイリーンが泣いていることに気づく。

 ハッとしたセージは何か言おうとして目をさまよわせ、結局黙ったまま肩を撫でてやるのであった。

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