第107話 マチルダ2

 警備兵のカールはトーリの個室兼研究室に走り、マチルダはセージを製造所に連れていく。

 製造所に入ってすぐ、セージが大型化した蒸留装置を目を輝かせて見ている時、トーリが呼ばれてやってきた。


(トーリさん、はやっ!)


 いつもは呼びに行ってもなかなか来ないのに、まるで走ってきたかのような早さで到着した。


「セージ、久しぶりだな」


「トーリさん、久しぶりですね。と言っても半年くらいですか」


「半年も経ったんだ。ここも変わっただろう?」


「そうですね。本当にびっくりしました。立派な製造所を作りましたね」


 学園に行く前にラングドン家へ寄ったときはまだ大型蒸留器を組み立てている最中だった。セージは時間がなくて、新しい建物が建ったなとしかわかっていなかったが。


「この前は完成前だったな。案内する時間もなさそうだったが」


「あの時は飛行魔導船に乗るため急いでましたからね。ところで、あれは連続蒸留の装置ですか?」


 セージは挨拶もそこそこに機器の話に入る。トーリとしても、セージが機器類を見てどう思うかは重要なことなので異論はない。


「そうだ。まだ試作機の段階で、セージから聞いた物は複雑過ぎるから少し簡略化したがな」


「それでもすごいですよ。あっちは水蒸気蒸留ですね。減圧もできたら面白そうですね。あっ、あれはソックスレー抽出! うわぁー懐かしいなぁ!」


「ちょっと待ってくれセージ。その減圧っていうのは……」


 うろうろと製造所内を歩き回り見て回るセージにトーリはついて説明していく。その中で議論をしたり、アドバイスをもらったりしていた。

 マチルダはトーリの後ろについて聞いており、他の所員も仕事をしながらその様子を遠巻きに窺っていた。

 端から見ると、はしゃぐ子供とその親という形だが、メモを持つトーリの表情は真剣そのものである。


「そういえば皆さん静かですね。大丈夫ですか? 働きすぎはダメですよ」


「わかっている。良い発想は良い睡眠から、だろう? 大型蒸留装置が完成して皆余裕ができているはずだが、今は緊張しているんだろう。研究所長の視察だからな」


 セージとトーリの声以外は作業をする音しかなかった。それは議論を耳をそばだてて聞いていたからだ。セージの実力を半信半疑に思う者もいるが、その内容から信憑性は高まっている。


「視察ってそんなたいしたものじゃありませんよ。トーリさんに任せっきりですしね」


「いや、そんなことはない。今日も新たな着眼点をもらった」


「そうですか? 思い付きで言ってたりするんですが、役立てそうなら嬉しいです。あっ、そうだ。ちょっと見て欲しいものがあるんですよね」


 セージがそういって取り出したのは二つの瓶。


「これは……セン茶のようだが色が違うな」


「僕はホウジ茶って呼んでいますね。これはセンの葉を焙煎、まぁ端的に言うと焼いてから煮出したものです」


「なるほど。しかし、加熱して効果は残るのか? 今までの研究では熱を加えないように考えることが多かったが」


「そうなんですよ。体の疲労回復効果はほとんどないですね。ただ、焙煎時間によって精神的な疲労回復効果が得られることがわかってきたんですよ。焙煎前にドライの魔法は使った方が良いですね。あと、密閉状態での焙煎は試していないんで器具があれば、あっそういえば、圧力釜って作れましたか?」


「圧力釜は試作機が出来たところだ。そこに置いてあるんだがその前に……」


 そこからまた議論が始まる。その周囲にはマチルダだけでなく、他の所員も集まってきていた。

 一人が手を止めて近づいたのを見て全員が動き出したのである。しかし、皆口を挟まずに聞いているだけだ。

 マチルダたちが知らない単語や基礎知識も使うため理解が追い付いていない部分もあったが、静かに聞いていた。


「ということで、熱、容量、圧力の三つは関連するわけです。ところで皆さん仕事は大丈夫ですか?」


「大丈夫だ。話を聞くことも仕事の内だ」


「せっかくならもう少しわかりやすく……あれっ? ヤナさん?」


 製造所に入ってきたのは一級冒険者パーティー『悠久の軌跡』所属でエルフ族のヤナだった。


「セージ、久しぶり」


「お久しぶりです。もうここに来てたんですね」


 ヤナにここを紹介したのはセージだ。精霊師になるには錬金術師をマスターするしかないが、それができるのはここぐらいである。

 錬金術師マスターのかわりに魔法について教えるという形で入ることになった。


「レベッカが挨拶したいらしい。あと、手紙で言っていた魔法原理について、聞きたいことがある」


 あえてヤナが来たのは魔法談義のためだ。そんなヤナにトーリがつっかかる。


「ちょっと待て。今は先に薬師の議論中だ」


「もう十分」


「十分なわけないだろう。まだまだ話は尽きない」


「話より挨拶が先」


 至極当然のことを言われてトーリは言葉につまった。セージは仲良くなったんだなぁと呑気に思いながら答える。


「それじゃあ、とりあえず挨拶に行ってきますね」


「せめてこっちの『千寿の雫』の話だけでもしていってくれないか?」


 トーリはセージが出していたもうひとつの瓶を指して言った。鑑定を使って名前と概要は分かったのだが、いまいち何に効くのか分からなかったのである。


「それ自体は大したことないんですけど、ちょっと面白いことがわかりまして。一級セン茶の作り方ってありますよね」


 セン茶に一級二級などは存在しないが、トーリとセージの中で決めた等級である。


「まさか、さらに上の作り方が?」


「それなら良かったんですが違うんです。この前創造師になったんですが、その状態で一級セン茶を作ると『千寿の雫』になるみたいですね」


(創造師って、あの創造師?)


 創造師は変わり者のドワーフ、アンゼルムが全ての生産職をマスターしてなったと伝わる職業のことだ。

 昔のこと、それにドワーフのことにも関わらずアンゼルムが有名なのは、創造師ということもあるが、飛行魔導船を造ったからである。

 アンゼルムは船が空を飛べば面白いと考えて実際に作り、そして船造りにハマった。その後のドワーフ生全てを造船についやしたとされる。

 現在グレンガルム王国が所有する全ての飛行魔導船はアンゼルム製である。


 マチルダたちはさりげなく創造師であることを明かされて絶句したが、トーリはセージならいつか創造師になるだろうと思っていたので特別には驚かなかった。

 トーリとしてはその効果が気になっていた。病に効きそうな文言を鑑定で読んでいたからである。

 この世界にも病に効くと謳われる薬はあるが、効くか効かないかわからないような代物が多い。


「それで『千寿の雫』って聞いたことがないんだが病に効く薬なのか?」


「それはまだ正確にわかっていません。古い話ですが体調が悪かったドワーフが飲んで元気になった例はありますね」


 その話は全員が知っている話で、通称『神の飲み薬』と言われるものである。『エルフの秘薬』を作ったときも驚いたが、これは教会の本部に保管されており、もともと存在することはわかっていた。

 しかし、『神の飲み薬』は伝説にしかなく、存在を確認した者のいない未知の領域である。

 皆が驚愕する中でヤナが興味を持って聞いた。


「それって勇者の剣を打ったドワーフの話?」


「あっ、知ってるんですね。その話に出てきた薬です」


(やっぱりそれって伝説の……?)


「まだその薬使ってないの?」


「使ってはみたんですが、どこまで効果があるかは分かりませんでしたね。呪いと重なっていましたし、元々の体力が無かったので。それに、元気にはなっても根治はしていない感じで、一級セン茶と変わらない気もします。先天性だからですかね。アル中は治るはずですけど、菌やウイルスに効くかどうかが……今体調が悪い人っています?」


 セージの問いかけに皆首を振って答えた。


「じゃあ、腹痛とか頭痛とかないですか? えーっと、なんなら肩こりでも良いですよ」


 その問い掛けに所員たちは目をそらす。肩こりくらいならあったが、その程度で伝説にある薬を試そうとは思わない。

 マチルダは皆が黙ってしまった状態を打破するために手を上げた。


「おっ、マチルダさん。飲んでみますか?」


「いえ、ルイザ様にお使いください。今、体調を崩しておられます」


 ルイザとはノーマンの妻のことである。マチルダは館の侍女と仲が良く、色々な話を聞いているのだ。


「えっそうなんですか? さっきノーマン様に挨拶した時全く言ってなかったんですけど。じゃあ渡しに行きますか」


 セージがそう言うと、考え込んでいたトーリが立ち上がった。


「よし、私も行こう。創造師になるため旅に出ると伝える」


「えっ! ちょっと待って下さい! 私たちはどうなるんですか!」


「マチルダが副所長代理だ。頼んだぞ」


「それは荷が重いですっ! 創造師になるって何年いなくなるつもりですか!」


「私は何十年かかろうともやりとげるつもりだ」


「戻って来る気がないじゃないですかっ!」


「お金さえあれば一、二年でなれますよ」


 セージの発言に全員が向き、トーリが食いつくように言った。


「本当か!?」


「ええ。専門家の協力が必要ですし、生活の全てをランク上げに使えばですけど、おそらく」


「専門家が必要なのか」


「そうですね。でもトーリさんにはお世話になってますし僕から頼んでみます」


「……何と言えばいいかわからないくらいだが、感謝する。全身全霊をもってランク上げをしよう」


「でも、一年間の生活費と原料代、道具代となるとかなり……そうだ。とりあえず『千寿の雫』を十本くらい作ってノーマン様に売れば……」


「セージ、挨拶は?」


 不穏なことを言うセージを気にすることなくヤナが聞いた。挨拶とはレベッカへの挨拶である。

 レベッカはセージがなかなか来ないと思いつつ、ヤナに頼んでおいて自分から行くわけにも行かず、やきもきしながら待っていた。


「あっそうでしたね。じゃあサクッと挨拶してきます。その後ノーマン様に、あっマルコムさんたちに遅くなることを伝えないと」


 マルコムたちを勝手にラングドン家の敷地内に入れるわけにはいかなかったため、先に宿に行ってもらっていたのだ。

 製造所から慌ただしく去るセージをマチルダたちはこれから研究所はどうなるのだろうかと思いながら見送った。


 ちなみに、ノーマンは『千寿の雫』によって妻が快復して喜ぶと共に、そんな効果を持つ物を十本ほど供給されて、また頭を悩ませることになるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る