十二

 希羅の家から物音が聞こえないほどに距離を空けた竹林が生い茂る場所で、岸哲と修磨は向かい合っていた。

 風で、さらさらと竹の葉の擦れあう音が耳に心地好く入って来る。


「困りますわね。希羅ちゃんにはまだ何も告げていないのですから」

「俺も同じで、まだ希羅には告げられないんだよ」

「希羅ちゃんは櫁の大切な友人。何かあったら、問答無用で、あなたを殺します」


 岸哲はにこやかな表情を消し、剣に手を携え真正面から修磨に向かって殺気を放った。


「それはないと断言しておくから、あのやかましい娘にそう伝えておけ。要らん憶測もするなと。それと俺も一つだけ訊きたいことがある」

「何でしょうか?」


 一切臆することなく自身の瞳を見据えた修磨に、岸哲はすぐに刀から手を離し、先程の表情は見間違いかと思うほど、穏やかな笑みを向けたが。


「希羅の父親を殺した犯人を、今の希羅の現状を知っているか?」


 瞬間、顔を強張らせた岸哲に、随分素直に動揺を表してくれたなと修磨は思った。


 が。




「いえ」


 見間違いと思われるほどに穏やかな表情に戻った岸哲が出した答えはこれで。



「そうか」


 先程とは反対に、今度は修磨が岸哲に対し殺気を放ち、岸哲は恐怖のあまり身じろぎできず、また一気に身体中から汗が滝のように流れ落ちるのを感じたが笑みだけが崩さなかった。


 岸哲が瞼を閉じ開いたほんの一瞬間経った時には、にっと口の端を上げた修磨の笑みが瞳に映り。


「ならいい」


 修磨がそう告げて家に戻って行ったのを見届けた後、岸哲は詰めていた息をはっと吐き、頬に滴り落ちる汗を胸元から手拭を出しそれでゆっくりと拭った。


 努めて冷静に。朗らかに。上品に。


 櫁の姉に相応しい態度を見せられるまでに気を落ち着かせて後、岸哲も家へ歩を進めた。







「だから、一人での暮らしなんて反対したのよ。あんなわけの分からない男まで侵入して」

「あのね。ちゃんと私が同意したの。大丈夫だって。洸縁さんだってそう言ったのよ」

「そう、なの」


 口を尖らせ不満を溢していた櫁は、洸縁が同意したと知って少しだけ胸を撫で下ろしたが、それでも不安が消え去るわけではなかった。


「ねぇ。希羅にとって、この家が大事なのも、おば様からこの家を守るように遺言を授かったのも知っている。けど、やっぱり女の一人暮らしは危険よ。ましてやこんな場所だし」


 櫁はこれで何百回目とは知れない提案を希羅にした。この気持ちに嘘偽りはない。だが。

 希羅は自身の手を強く握る櫁の瞳を直視し、ゆっくりと首を振った。何時ものように。


「心配してくれて、ありがとう。けど、ごめんね」


 櫁の気持ちは申し訳ないほどに嬉しい。だが。

 この家を守り抜くことが、自分が生きている理由。

 それこそが生きていられる、たった一つの支え。

 他には。


「話は終わったぞ」

「そう。なら「あいつもこの家に俺が居ることに賛成だとよ」

「本当なの?」


 櫁は修磨の後から遅れて家の中に入って来た岸哲に怪訝な視線を送った。此処から出て行かせることを了承させたと思っていたからだ。


「大丈夫だって、分かったから」


 櫁は岸哲が自分の気持ちを譲らない時に見せるその眼を見て、口を一文字に結んだ。


「あんた」

「何だ?」


 櫁はすくっと立ち上がり修磨を睨み付けたのだが、修磨は自身の思い通りに行かなかったことに立腹している彼女が何を言うのかと面白げに見つめていた。

 櫁が口を開くまでは。


「希羅。こいつが持って来た食料の在り処知っているでしょう?全部持って行くわ」

「な!?」

「うん、いいよ」

「おい!」


 いきなり自身から希羅の方に身体を向けたかと思うと、こんな爆弾発言をかました(と思っているのは修磨だけだが)櫁の発言に、修磨は思わず立ち上がり、さらに追い打ちをかけるような(と思っているのも修磨だけ)希羅の発言に声を荒げた。


 不意にその視線に気付き、希羅から櫁へ視線を向けると、修磨の目に映ったのは勝ち誇ったような彼女の満面の笑みであった。黒くせせら笑うような、ではあったが。


 修磨に一矢報いられてご満悦な櫁なのであった。


「ちょっと待て。俺がどれだけ苦労「盗んだものですよね、修磨さん」「そう、だが。けどこいつらがどんだけ溜め込んで「汗水流して溜め込めるまでになったんです。それを盗むなんて、最低です」


 『最低』と希羅に言われた途端、修磨は衝撃のあまりその場で固まってしまった。叩くとゴツンと音がしそうである。

 希羅には弱いらしいその修磨の様子を見た櫁は、一先ずは安心だろうと思った。








 

「申し訳ありません、櫁様」


 がらりと口調を変えた岸哲は、希羅の家から店までの道中でいきなり立ち止まり、深々と頭を下げた。


「いいわよ、もう。大丈夫だろうって、確信も得られたしね。それよりも、岸哲。頼んでいたことはまだなの?」

「申し訳ありません。もう少々、時間がかかるかと」


 頭を下げたままの岸哲に、櫁は何時もの元気な声音を威圧感あるものへと一変させた。

 それは、彼女の本来の身分に相応しく。


「急ぎなさい。……でないと―――」


 二人の横を遮った馬の地面を蹴る駆け足とその馬に乗る人物の掛け声により、櫁のその弱弱しい発言が岸哲の耳に届くことはなかった。








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