愚者の末路

芽里 武

第1話 広まる噂

 アルドが港町リンデを歩いていると、桟橋で考え込む若い漁師を見つけた。アルドは躊躇いなく漁師に話しかけた。

「どうした。なにかあったのか」

 渡りに船といった感じで、漁師はアルドに相談を持ちかけた。

「おお! 丁度良い! お節介焼きで道徳が服着て歩いてるってぇーのは、オタクのことだろ? それがよ、聞いてくれよ。漁に出てる間に、変な噂を流されちまってよ。自分だけじゃ誤解を解けそうにねぇんだ。悪いが証人になって誤解を解きに一緒に来ちゃくれねぇか」

「なんだか引っかかるところが前半にあったけど、まあいいや。それで、どんな噂なんだ?」

「それがよ、俺が漁に出たついでに、別の港で女作って遊んでるってんだ。ふざけんなっつうの! こっちは命懸けで海で漁やってんだ! 女を垂らし込む時間なんてねぇんだよ! 噂のせいで家内は、実家に帰っちまった。頼むよ! ユニガンまで一緒に行って、誤解を解いちゃくれねぇか」

 一緒に聞いていたリィカが口を挟んだ。

「ドウシテ奥様は、噂をスグニ信じてシマッタのでショウか?」

 アルドとエイミは、腕組みをしてリィカの疑問に同意した。

「確かに。円満な夫婦なら、たかが噂話と一蹴するはずだよな」

「噂くらいで別居しようなんて思うかしら? 本当に噂が原因なの?」

 三人は漁師をジッと見た。漁師はたじろいだ後、俯き気味に口を開いた。

「家内と結婚する前の話なんだがよ。魔が差して別の港の女と文通をしたことがあったんだ。それを家内に見つかっちまったことがあってよ。そのせいで噂を信じちまったんだろうよ……。でも、それ以来、結婚してからは浮気なんてしてねぇんだよ! 頼むよ! あいつがいなきゃ、漁にも、何をするにも気合が入らねぇんだよ! な? 頼むよ! 一緒に来てくれるだけでもいいからよ!」

 アルド達の後ろからサイラスの声が聞こえてきた。

「ただならぬ気概を感じたでござる。その頼み、聞いてやってもいいのではござらんか?」

 歩いてくるサイラスの右手には、東の大陸産の団子串があった。

 アルドは少し考えた後、独り言のように呟く。

「本当に奥さんのことが大事みたいだし、ついて行くだけならいいか」

 リィカはツインテール状の可動式パーツを回転させながら同意する。

「現状、修羅場にナル確率ハ、限りなく百パーセントに近いデス! 乙女的には絶対ニ見逃せないシチュエーションです、ノデ!」

 エイミは腕を組んだまま何も喋らなかった。

「おお! 助かる! じゃあ、家内の実家の前で待ってるから、後からきてくれ。ユニガンの東門から入って、真っ直ぐ突当たりの家だから」

 そう言って漁師は走り去って行った。


 アルド達がユニガンにある例の家の前に着くと、漁師が緊張した面持ちで待っていた。

「おう、すまねぇな。これから家内と話すからよ。後ろで見ていてくれや。俺一人じゃあ話も聞いてくれねぇからよ」

 アルドは怪訝な顔をして言う。

「本当に後ろに立ってるだけでいいのか?」

「ああ、構わねぇ! 他の誰かがそこにいるってことが重要なんだ」

(どういうことだ?)

 アルドが不思議に思っている間に、漁師は例の家に入ってしまった。アルド達も後に続く。

 家の中には、若い女性が一人、窓辺から外を眺めていた。いつも居るお婆さんの姿はなかった。

 若い女性は、アルド達が家に入ってきて初めて振り向いた。

「あら、魔獣王を退けたアルドさん達じゃない。どうしました?」

 目の前にいる漁師が目に入っていない様子だった。

(なるほど。奥さんは本当に怒ると『その人をいないものとして扱う』のか。それを漁師はわかっていたから、俺たちを呼んで、奥さんがその場に居続ける口実を作ったんだな)

 アルドが納得し、口を開こうとした瞬間、漁師が叫んだ。

「帰ってきてくれーーーーー!」

 家が震えそうな程の漁師の叫び声にアルド達は驚いた。

 若い女性は、何も聞こえなかったかのようにアルド達に話しかける。

「何かお飲みになります? 紅茶と東の大陸から取り寄せた緑茶がありますけど」

 サイラスが嬉しそうに「緑茶があるでござるか? では、拙者はそれを」と答え、ごく自然にテーブルについた。

 若い女性は、サイラスに軽く会釈をすると炊事場へと湯を沸かしに行った。

 完全に無視をされている漁師は震えながら、話し始めた。

「四年前だったな。あの時もお前は、俺を完全に無視したな。十日間、何をしても、何を言っても答えてくれなかったな。お前に完全に無視され続けて、俺は気づいたって言ったよな。お前がいない人生は、お前と話ができない人生は、つまんないって。お前がいない人生は考えられないって。それは今でも変わらないぞ」

「……嘘つき」

 炊事場でお湯を見張りながらか細い声で返事をした。

「嘘じゃない! いや、噂は嘘なんだ! 一緒に漁に出てた奴ら、全員に聞いてまわってもいい! それでもまだ不安なら漁師を辞めたって構わない! もうお前を一人にしないよ。ずっと側にいる。一緒に店でも開こう」

「……馬鹿ね。漁師しか能のない男のくせに。そんなに器用じゃないでしょ。いいわ。今回だけは、特別に許したあげる」

「おお! よかった! さっそく帰ろう! リンデに!」

「ええ!」

 そう言って二人は家から手を繋いで颯爽と出て行った。アルド達を残して。

 椅子に座っていたサイラスは残念そうに口を開いた。

「拙者の茶は、もちろん無しでござるか……」

 リィカは可動式ツインテールを回転しながら言う。

「求めてイタ修羅場ではナカッタですガ、ナカナカの台詞が聞けたので満足デス」

 アルドは一人考え事をしていた。

(先に漁師が家に入った時に、奥さんが振り向かなかったのは、旦那さんが既に来ている事を知っていたからなのか? もしかして、俺たちは要らなかったのでは?)

 そんな彼らにエイミは腰に手を当て言う。

「そんなことより、追いかけるわよ。あの二人がちゃんと町に着いたか確認しましょう」

 アルド達は家を後にした。


 アルド達がリンデに戻ると、漁師とその家内が灯台の前でイチャイチャと寄り添っていた。

 アルドは二人に話しかけた。

「もう大丈夫なのか」

 二人はアルド達に礼を言った。

「ええ! ありがとうございました! お互いの気持ちを再確認できて前よりラブラブになれました。まるで新婚の頃みたいです」

「そういえば、噂って誰から聞いたんだ?」

「えっと、酒場で友達と飲んでる時に、吟遊詩人みたいな若者から聞きました。私の旦那の話以外にも色んな噂を流してたみたいですけど、私はそれどころじゃなくなっちゃって。話し方も上手だったんですけど、根拠みたいな事を言うもんだから信じちゃうんですよね……」

 そう言いながらイチャつく漁師夫婦を尻目に、アルドは腕組みをして考えた。

(なんのために噂を流しているんだ? 有る事無い事言いふらすなんてたちが悪いな。他にも噂に困っている人がリンデにいるかもしれないな。訊いて周ってみよう)


 アルド達は、噂話によって困っている人が他にいないか訊いて周ることにした。

 アルド達は、リンデの酒場で話を訊くことにした。

 アルドが酒場のドアに手をかけると、ドアが勝手に開き、中からフードを被った人物が急いで出てきた。アルド達と危うくぶつかりそうになる。

 フードを被った人物はアルド達に軽く会釈をしてそそくさと立ち去った。

 酒場に入ると大きな笑い声が聞こえた。奥の席では、漁師が数人、昼間から酒を呑んで盛り上がっていた。大きな話し声がここまで聞こえてくる。

「噂のアイツ、浮気がバレて家内に逃げられたらしいぜ!」

「ハッハッハ! 馬鹿だよな!」

 アルドは我慢できずに口を挟んだ。

「なあ、酒の席でもあまりそういうのは関心しないぞ」

 突然の部外者に、漁師達は一瞬静まり返った。漁師達の中で一際大きな人物が腰を上げ、アルドの目の前に立ち塞がった。

「おい、あんた……。良いやつなんだな!」

 ガハハハと漁師達は笑い、再び酒を呑み始めた。

 見上げる程大きな漁師は、アルドの背中をバシバシと叩きながら話し始めた。

「アイツの噂がデタラメなんてことは分かって言ってんだよ。俺らとアイツはいつも同じ船に乗ってんだ。アイツにゃ他に女を囲おうなんて甲斐性はねぇし、女房放っておいてそんなことをするクソ野郎でもねぇ! 俺らにゃそんな金も暇もねぇんだけどよ!」

「船長、そりゃねぇよ! 間違っちゃいねぇけど! 女に構うよりか、暇がありゃ酒呑んで騒いでた方がマシよ!」

 ひとしきり漁師達が笑った後、その中でも利発そうな漁師が口を開いた。

「噂と言えばよ、店主よー!」

 カウンターでグラスを磨いていた店主は、グラスを置いて漁師達のテーブルまで来た。

「どうした。今までのツケでも払う気になったのか?」

「いや、それはちょっとまだ待ってくだせぇ」

「じゃあ、なんだよ」

 店主は腕を腰に当てがった。

 酒を片手に利発そうな漁師は話し始めた。

「ついさっき、東の大陸の商人と話す機会があってよ。その商人がな、『この町の酒場は、酒を水で薄めてぼったくってるって噂は本当か』だってよ」

「もちろん否定したんだろうな? 場合によっちゃツケを倍額請求するからな」

 漁師は席を立って、店主の前まで移動した。船長と他の漁師たちはすでに別の話題で大いに盛り上がっている。

「否定したって! 酒は安くてベロベロに酔っ払っても構わねぇってこの店は、俺たちも一等気に入ってるんだから」

「よしよし、良い子だ。ツケを今すぐ払えば頭を撫でてやってもかまわねぇぞ」

「茶化すんなら、この話を聞いた後にしなって。肝要なのは、この話が船乗りの間で広まりつつあるってことなんでぇ」

 そう言った後、手に持っていた酒をぐいっと飲み干した。

「どこぞの船乗りが、ウチをなんて思おうと知ったこっちゃねぇだろう」

「それがそうでもねぇのさ。船乗りにゃ色んな人間がいる。俺たちみてぇな漁師もいりゃ、何売ってるかわかんねぇ怪しい商人なんかもいるし、海賊みてぇな輩もたくさんいる。ここ最近、王国の体制に不満を持った奴らが集まってるなんて噂もあった。そんな危ねぇ奴らがこの噂を聞いてこの店に来てみなよ。有る事無い事言って代金踏み倒そうとするぜ?」

 店主は腕組みをして唸った。

「ふーん、漁師なのに頭がまわんだな。俺は今それに関心してる」

「心配して言ってやってんだぜ。まぁ俺らは否定して周ってるけど、焼け石に水だろうな。人の噂も七十五日なんて言うけれど、一応用心しときな。それから、酒を追加で頼む! もちろん、ツケで」

 利発そうな漁師はグイとグラスを店主に押し付けた。

「ああ、わかった。酒の方は先月のツケを払った後でだ」そう言って店主はグラスを受け取らず、カウンターへ戻った。

「そんなー。船長ー?」

 利発そうな漁師は、悲しそうな声をあげて船長の背中へ覆い被さった。船長は「なんでぇ! 気持ち悪ぃ声あげて触んじゃねぇよ!」と振り払い、ひと盛り上がりした。

 そんな酔っ払い達のやりとりを眺めていたアルドは、気を取り直して噂について店主に訊ねた。

「少し前に吟遊詩人風の男が、客達に色んな噂を話してたって聞いたんだけど、何か覚えてないか」

「吟遊詩人風の男なー……。たしか数日前、客を集めてベラベラと熱心に話してる奴がいたなー。遠目からしか見てなかったが、ありゃ男だったのか? 随分華奢な体型だったぜ? それに羽振りがよかったなあ。あの日はその場にいた客の飲み代を、一括でドンッと払っていきやがったな」

 アルドは腕組みをして唸った。

「吟遊詩人風でも男でもなかったのか」

「いやーどうだろうか。一見の客なんてほとんで覚えてねぇからなー。オタクがなんか飲んでくれりゃ思い出すかもしれねぇなぁ」

 店主は、拭いていたグラスをこれ見よがしにキュッキュッと鳴らした。

 サイラスがゲコと喉を鳴らした。

「では、拙者が一杯頂戴いたそう。アルド殿もエイミ殿も酒を嗜むには若過ぎるでござろうからな」

 リィカも立候補する。

「ワタシの味覚システムは、KMS社が特許を持つ、最高級料理からB級グルメ、庶民の味に至るまで幅広く網羅したデータを生かした完璧で正確な評価を下せます、ノデ!」

 アルドは堪らずツッコむ。

「いや、リィカ。今は別に酒の品評てわけじゃないんだが」

 そうこう言ってる内に、店主が酒を二杯カウンターに並べてきた。

「カエルの兄ちゃんにはなんとなくブランデーをロックで。なんか物理的に固そうな嬢ちゃんには、とある職人がネジ回しを使ってステアしたって逸話があるカクテルを」

 リィカがグラスの縁に付いている白い粉を触りながら言う。隣では、サイラスがグイッと漢らしくブランデーをあおっている。

「同じリキュールを使ってはいますが、これはソルティドッグというのデハ?」

 店主はギクリと動揺し、アルドに捲し立てるように話し始めた。

「ああ! 吟遊詩人風の男を見てねぇかってぇ話だったな! ああ、今思い出したぞ! そいつぁ、フラリと来て、隅っこでチビチビと呑んでやがったな。それから毎夜毎夜と呑みに来ててな。毎度きっちり代金を置いていくんでしっかり覚えてら。一見のくせにツケようなんてハラの飲んだくれは珍しくねぇからな。しばらくして、昔からの常連の爺さん、ほら、今もあそこのテーブルにいんだろ」

 店主は漁師達から離れたテーブルに陣取る白髪のおじいさんを顎で指した。

「あの爺さんと話しててな。その後、毎夜毎夜、店に来てる町民を見つけちゃちまちまと話をしてたな。それからしばらくしてだ、突然の大立ち回り。漁師の浮気がどうだの、パルチザンがどうだの、極悪面した人拐いの商船がどうだの、輸入品が伝染病を広めるだの、隣国の殿様の悪行がどうだの、くっちゃべり出したわけだ。皆真剣にゃ取り合っちゃいなかったが、なかなか話がよく出来てて面白えってんでな。皆よく聴いてたぜ。中にはあの漁師の嫁さんみたいに真に受けた人もいたみてぇだな。そういや、その大立ち回り以降ウチには来てねぇな。たしか最後に話したとき、次はユニガンに行くって言ってたな」

 アルドは店主に質問した。

「そうか。見た目は結局どんな感じだったんだ?」

「吟遊詩人の姿で間違いねぇ。まあ一目で普通じゃないってのがわかるから、心配しなくてもすぐに見つかると思うぞ。ああそれから、同じような話をフードを被った嬢ちゃんに聞かれたな。兄ちゃん達がどういう了見かわかんねぇが、先越されちまうかもな」

「そうだな。ありがとう」

 アルドは店主に礼を言って、酒場の外へ出た。サイラスは顔を赤らめて少し上機嫌のようだ。

「アルド、人の噂を意図的に流すなど卑怯者のすることでござる! 拙者の刀の錆にしてくれるでござるよ!」

 サイラスは刀を抜き、素振りを始めた。

 エイミがそれを注意する。

「サイラス! 危ないから街中で振り回さないでよ!」

 リィカは隣で体全体を震わせていた。味覚システムがエラーを出して、ブブブブとバイブレイションが止まらなくなっている。

「ソソソソレレレデハ、ユユユニガンへ、向かいまショショショショウ」

(なんだこの状況)

 困惑しながらもアルド達は、噂を流す男を探すためにユニガンへ向かった。


 ユニガンへ向かう道すがら、セレナ街道でフードを被った人物が、複数の強面で屈強な男達に囲まれていた。


〈二話へ続く〉

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