第4話 憧れの幻影と未熟な刀

 エアチューブステーションの前に戻ると、空は夕暮れの色に染まっていた。

 藍色とオレンジのグラデーションが広がる空に、薄い雲が流れていく。

 青い髪の女生徒――サナがぼんやりと空を見上げていた。

 アルドが声をかけるよりも先に、ヴァルヲが彼女の元へ駆け出す。最初にサナと出会った時もそうだった。ヴァルヲは彼女の何に惹かれているのだろうか。

「お待たせ。はい、これ」

 アルドは、ポケットの中から例の学生証を取り出し、サナに手渡した。

「これは……!」

 彼女は目を見開き、感嘆の声を上げた。

 やがて唇をきつく結び、アルドに深々と頭を下げる。

「確かに私が落とした学生証です。アルドさん、見つけてくれて本当にありがとう。……紛らわしい頼み方をして、本当にごめんなさい」

 やっぱりそうだったか。アルドは心の中で呟き、一人納得してうなずく。

 あのイスカが、自分の学生証を落とすような失敗をするはずがない。落とし主はきっとサナだ。そんな確信がアルドにはあった。数々の難事件を解決するイスカの推理力には敵わないけれど。

「お目当ての物が見つかってよかったよ」

 サナを助けられたならそれでいい。

 困っている人は放っておけない。お人好しのアルドにとっては、その結果がすべてだった。後ろめたさで唇をかみしめているサナを安心させるように、アルドは微笑んで見せる。

「これって学生証のレプリカだよな。サナはイスカのファンなのか?」

「うん! これはね、アクセサリーショップで限定販売していたIDAスクールバッジのおまけなの」

 学生証に視線を落としたまま、サナは熱を込めて語り続ける。

「宝物なんだ。お店に並んで予約して、必死でIDAクレジットを貯めて、やっと手に入れたの。イスカさんはIDEAの象徴で、私の憧れで……夢だから」

 心の底からイスカに陶酔しているのだろう。サナの瞳が潤んでいる。おそらく、彼女が想像するイスカの姿は、アルドが知っているイスカとはだいぶ乖離している。

 アルドはマユの夢意識を思い出した。そこで出会った幻影のイスカは、マユが理想化した完璧超人だった。IDAシティの空を自由に飛び回り、斬撃で何でも一刀両断するほどに。もっとも、そう思い描くだけの事情がマユにはあったのだが、サナはなぜここまでイスカに入れ込むのだろうか。

 確かにイスカは優秀だ。

 容姿も、人格も、能力も。あらゆる要素が完璧で、人々を魅了する力がある。

 IDEAの活動はその性質上、内密に行われることが多い。噂に尾ひれがついてしまうのも仕方がないかもしれない。けれど、共に旅を続けてきたアルドは思う。イスカとて、一人きりでは進めないのだと。

「サナもIDEAに入りたいのか?」

 アルドに聞かれて、サナは曖昧に笑った。

「悩んでるの。幼い頃から刀の修行をしていて、IDEAの戦力になりたいってずっと思い続けてる。でも、私なんて、全然イスカさんには及ばな……」

 サナの言葉をかき消すように、不快で騒々しい機械音が響いた。

 激しい風を引き連れて、上空から何かが舞い降りて来る。

「伏せろ!」

 アルドが叫ぶと間もなく、ドローンが姿を現した。

「ヘンキャクキカンヲ、スギテ、オリマス。スミヤカニ、シリョウヲオカエシクダサイ!」

 甲高い機械音声がアルドたちの耳をつんざく。

 アルドはイスカの言っていたことを思い出した。

 飛行ユニットによる攻撃の被害者たち。その共通点は、確か……。

「本だ! サナの本を狙ってる!」

 サナは驚いた様子でカバンの中から一冊の本を取り出した。

「これを? 図書館で借りたばかりの普通の本だよ」

「トクソクヲムシトハンダン。コウゲキモードニイコウシマス」

 アルドは剣を構え、サナの前に出た。

「下がっているんだ!」

「私だって……」サナは刀を取り出し、アルドの横に並んだ。「戦えます!」

 その力強い声に反して、彼女の脚は震えていた。

 アルドはサナをかばうように前衛に出る。

 このままじゃ駄目だ。さすがのアルドでも一人で相手を撃破するのは厳しい。

 仲間たちは別行動をしている。IDEAの作戦室も遠い。援軍を期待するのは難しいだろう。アルドは声を張り上げた。

「ここは言ったん逃げるぞ」

 サナは、硬直していた。

 聞こえていないのか?

「私だって……イスカさんみたいに」

 駆け寄るアルドの脇をすり抜けて、彼女は無謀にも刀を振りかざし、前に出ていくではないか。

「サナ、戻れ!」

 銃弾が発射される、衝撃でサナが地面に倒れた。

 アルドは無我夢中でサナを背負い、命からがらその場から逃げ出した。

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