月が見ている

荒瀬 悠人

第1話

私は、売られるんだ。と少女は理解していたのかもしれない。

 父親と見知らぬ男の温度の無い事務的な作業がなんなのか、頭では分からなくとも、肌で、感覚で、理解していたのかもしれない。

「それでは、娘をよろしくお願いします」

 そう言うと、父親は男に手を繋がれた娘のエリーゼに背を向け、歩き始めた。

 エリーゼは父親が離れていくにつれ、このまま永遠に会うことが出来ない、という実感を肌でひしひしと感じていた。恐怖に苛まれ、必死で泣き叫び、父親を呼び止めた。

「待って!お父さん!」

 父親はそんな娘の声に振り返る事はなく、左手を上げて、手を振った。立派な後ろ姿だった。いつもと変わらない、優雅で、理路整然とした、私を守ってくれる、大きな大きな背中だった。

 それから父親は、その叫び声を遮るかのように、荒々しく車のドアを閉めた。

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