ガリガリさん
乙乃詢
ガリガリさん
ガリガリさん
五月。高校生活にもだいぶ慣れてきた。
人見知りな私が思ったよりも早くクラスに馴染めたのは、小学校からの幼なじみで一番の親友のサオリもクラスにいたことが大きかった。
「おはよ、アヤ!」
と、後ろから声が降りかかり、同時に背中にバシンと衝撃が走る。
「ちょっとー、それけっこう痛いんだからやめてよー」
アッハッハッと言うサオリの笑い声が教室に響く。
「あ、そういえばさ。こないだ小学校の時の友達と会ってね、こわーい都市伝説を聞いたんだよね」
サオリは噂話とか都市伝説とか、そう言う類のものが大好きで隙あらば話を振ってくる。
正直、怖い系の話はあまり好きじゃないんだけど、サオリの話したがりな性格は私ごときじゃ止められないことは十年近い付き合いでわかりきっていた。
「これ、先週の金曜日に帰り道でたまたま会って聞いたんだけどね…」
それは小学校の時のサオリのクラスメートだった子から聞いた話らしかった。
ある女子高生のスマホに謎のメッセージが届いた。
相手の名前は文字化けしていてわからず、届いたメッセージはただ一行だけ。
『次はお前だ』
彼女は意味がわからなくて、どうせ誰かのイタズラだろうと特に気にしていなかった。
だけどその日の夜、彼女は奇妙な夢を見た。
夢の中でも彼女はベッドに横たわっていて、金縛りにあったみたいに身体が動かなかった。
しばらくじっとしていると、静かな部屋の中で『ガリ…ガリ…』と、何か硬い物をかじるような音が聞こえることに気がついた。
視線だけは動かすことはできて、彼女は部屋の中をグルリと見渡した。
視線を下に向けて足元を見ると、『それ』はいた。
何か小柄な子供のような影が足元でもぞもぞと動いてた。
月明かりに照らされたその身体は、不自然なほどに青白かった。
ガリガリと何かをかじる音は、その青白い子供のような『何か』から聞こえて来ていた。
そうしてそれを眺めていると不意に音が止んで、その『何か』が動きを止めた。
ゆっくりと『何か』が動き出した時、彼女は直感的に「こっちを見る!」と思って慌てて目を瞑った。
気がつくと朝になってた。
さっきまでいた青白い『何か』も、跡方もなく消えていた…。
「…って話なんだよね」
ドヤ顔でサオリが言い切った。
「え?それで終わり?」
中途半端な終わり方にサオリの鼻をつまみ上げる。
「ホントにこれで終わりなんだってー。少なくとも、私が聞いたのはここまでなの」
「だってそれ全然オチがついてない…」
その時、ガンッという音がして私の机が揺れた。
顔を上げると、いつの間にかミチが側に立っていた。
ミチも私達と同じ中学出身だった。当時から素行が悪くて不良っぽいグループにいたから少し近寄り難かった。
カバンを持っているから、きっと教室に入って来たら騒いでいる私たちが目に入ってイラついたんだろう。
「うっせーよ」と私たちを睨みつけて、ミチは自分の席向かっていった。
私たちが顔を見合わせて苦笑いをしてると、教室のドアから担任が入ってくる。
「あ、ホームルーム始まる。とにかく、今の話はこれで終わりっ。かいさーん」
サオリは自分の席に戻っていった。
話の続きが気になったけど、所詮はただの雑談。帰る頃にはこの話のことはすっかり忘れていた。
状況が変わったのは次の日の朝だった。
ホームルームまでの前、いつもの時間に登校して席に座っていると、浮かない顔をしたサオリが教室に入ってきた。
「どうしたの?なんか元気ないじゃん」
サオリは私の方をチラッと見てから目を伏せた。
「来ちゃったの」
「来た?何が?」
「ガリガリさん」
「ガリガリさん?なにそれ」
某有名アイスキャンディーが頭に浮かんだけど、多分違うんだろうなと思った。
「昨日の都市伝説の話だよ…。あれ、ガリガリさんって呼ばれてるの」
「ああ、昨日の話?ガリガリさんが来たって?」
またいつもの怖い話の流れなのかなと軽くあしらおうと思っていたけど、サオリの表情はふざけているようには見えなかった。
「これ…」とサオリが差し出してきたスマホにはメッセージアプリのトーク画面が表示されていた。
そして、そこには一行だけの簡素なメッセージが表示されていた。
『次はお前だ』と。
「昨日の夜に突然届いて、その時は気にしていなかったんだけど…夢に出てきたの。昨日話した、青白い人」
サオリの肩は震えていた。
「私、動くことができなくて、青白い人が、足元でもぞもぞ動いてた…」
「考えすぎだって。昨日変な話をしたから夢に出てきたんじゃないの?サオリ、怖い話好きなのに意外と怖がりなんだからー」
少しからかうようにそう言ってみたけど、サオリの表情は固いままだった。
「あんまり気にしすぎない方がいいよ。たまたまだって。たまたま」
私はあやすようにサオリの頭を抱き寄せてヨシヨシと頭を撫でてあげた。
機嫌が悪い時や落ち込んでいる時でも、こうすることでサオリは大抵落ち着く。
「はあ…落ち着く…いい匂いがするよう…」
サオリが調子に乗って私の胸にぐりぐりと顔を擦り付けて来たので頭をぱしんと叩いた。
担任が入ってきてホームルームが始まったため、サオリは名残惜しそうに私の身体から離れる。
その日は一日中、いつにも増してサオリのひっつき度が高かったように思えた。
ちょっと鬱陶しいなと思ったけど、今日くらいは良いかとされるがままでいることにした。
翌朝、サオリは学校に来なかった。
いつもなら私よりも少し後に登校しているのにいつまで経っても姿を見せず、そのままホームルームを迎えてしまった。
担任は「体調が悪いため欠席だ」としか言わなかった。
心配になって休み時間にメッセージを送ってみたけど、既読すらつかなかった。
流石に何かがおかしいと思って学校帰りにサオリの家に行ってみたけど、いくらインターフォンを押しても誰も出てくることはなかった。
そして次の日、サオリは死んだ。
ホームルームで担任からそう告げられた時、耳を疑った。何を言っているのか、理解ができなかった。
ホームルームが終わった後、私は教室を出た担任を追いかけて問い詰めたけど、詳しいことは何もわからなかった。
まさか、本当にガリガリさんが現れたのだろうか。なぜサオリの元にガリガリさんが…。
たまたま友達からガリガリさんの話を聞いたサオリの元にガリガリさんがやってきた。
偶然にしては出来すぎている。
そこまで考えた時、一つの嫌な可能性が頭をよぎった。
もしかすると、ガリガリさんは伝染する…?
サオリは先週の金曜日に友達から聞いたと言っていた。
サオリがあのメールを受け取ったのは三日前。
サオリが友達から話を聞いたのはさらにその三日前。
もしこの予想が正しければ、今夜私の元にメッセージが届くことになる。
次は、私。
その日一日は授業が全く頭に入らず、家に帰っても上の空だった。
そのまま夜が耽け、色々あって疲れた私はいつもよりも早く寝ようと思った。
時計を見ると、夜の十時を回ろうとしていた。
机の上に置いておいたスマートフォンが点灯していることに気がついた。
スマートフォンを確認して、凍りつく。
スマートフォンのロック画面にはメッセージの通知が表示されていた。
『次はお前だ』と。
思わずスマートフォンを机の上に投げ出す。
まさか。本当にやってきた。
「大丈夫…大丈夫。どうせ誰かのイタズラだよ」
自分に言い聞かせるように声に出して、ベッドに潜り込んだ。部屋の電気はつけたままにしておいた。
気がつくと私は仰向けになって寝ていた。
身体が動かない。
つけたままにしていたはずの部屋の明かりは消えていた。
窓からは月明かりが差し込んで、部屋の中をぼんやりと照らしていた。
あの話の通りだ。
そう気づくと、無意識のうちにしんと静まり返る部屋の中に耳を澄ませていた。
初めは、何かを引っ掻くような音なのかと思った。
カリッ、カリッと、爪を噛むときの音にも似ているような気がした。
目線を下に向ける。
都市伝説の通り、寝転がる私の足元で青白い何かが蠢いていた。目一杯視線を下に向けてなんとか見える位置だったため、『何か』がいる、ということしかわからなかった。
そして、何かを引っ掻くような音がその『何か』から聞こえてきているのも確かだった。
恐怖心もあったけど、いざ目にすると得体の知れないものは何なのかと言うことが気になってしょうがなかった。
不意に、音が止んだ。その『何か』が顔を上げようとしている。
私は『何か』から目を離すことができなかった。
あともう少しで『何か』の顔が見える、と言うタイミングで、目が覚めた。
窓からは朝日が差し込んでいた。天井の蛍光灯は煌々と部屋の中を照らしていた。
その日は何も手につかなかった。
ガリガリさんのことが頭の中でグルグル回り、気づけば放課後になって、いつの間にか家に帰ってきていた。
母親には体調が悪いと言っておいて、部屋にこもった。
ただの夢なのか、現実なのか。頭の中はぐちゃぐちゃだった。
そして、その晩もガリガリさんはやってきた。
部屋に響くガリガリという音。
昨晩よりも鮮明に聞こえる音に目を開けて下を見ると、青白い『何か』が手元にいるのが見えた。
その『何か』は不自然に頭が大きくイビツな形をしていて、髪の毛が一本も生えていなかった。
驚いて声をあげようとしたが、金縛りにあっていて声が出ない。
必死に身体をよじろうとしたが、無駄な努力だった。
そして私は、部屋に響くこの音の正体を知ることになった。
その『何か』は、私の手にかじりついていたのだ。
すでに私の手首はその『何か』の口の中に完全に収まっており、ガリガリという音と共に水音混じりの咀嚼音が耳まで届いて来た。
戦慄した。闇雲に身体を振り乱そうとしてもびくとも動かない。
動かないだけではなく、その身体は感覚すらなかった。かじられているはずの腕も全く痛くなかった。
私はされるがままに、段々と短くなっていく自分の腕を眺めていることしかできなかった。
自分の身体を咀嚼され続けるその光景に頭がおかしくなりそうになった時、肘の辺りまでを口に含んでいた『何か』が動きを止めた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
目が合う、と思った時に、私は飛び起きた。
朝だった。
慌ててさっきまでかじられていた右手を見ると傷一つなく、しっかりと手の先まで残っていた。
全身汗でびっしょりだったこと以外は、身体のどこにも異常はなかった。
私は学校を休んで、布団を被って震えていた。
一昨日は脚をかじられていた。
昨日は腕をかじられていた。
それでは今日は?
サオリは夢を見始めて三日目の朝に亡くなった。つまり、そう言うことなのだろう。
何か助かる方法はないかと、部屋にこもってずっと考えていた。だけど良い方法は何も思い浮かばなかった。
気が狂いそうだった。布団の中でうずくまって、胎児のように身体を丸めて震えていた。
不意に目が覚めた。部屋の中は真っ暗だった。
いつの間にか夜になっていて、眠ってしまっていたらしい。
私は、嫌な音が部屋の中に響いている事に気がついた。クチャクチャという、ガムを噛んでいるような音だった。
音は私の下の方から聞こえてきている。
目線をゆっくりと下ろした。
始めはそれがなんなのかわからなかった。薄暗い部屋の中に、漆黒の二つの黒いものが浮かんで見えた。
よく見ようと目を凝らして気がついた。
大きな瞳だった。
ピンポン玉ほどの大きさの二つの瞳は、黒一色に塗りつぶされていた。
驚きに叫び声を出すと、『それ』は顔を上げた。口元は血に塗られていた。
すでに私は鳩尾のあたりから下が無くなっている事に気づいた。
昨日かじられていた右腕も、肘から下が見当たらない。
私は自分でもよくわからないことを叫びながら、左手をブンブンと振り回した。そこでようやく、私は左手だけは動くことに気がついた。
這うようにしてベッドから転がり落ちて、『それ』と距離をとる。
身体の大部分を失った自分の身体はひどく軽く、動くのは片腕だけでも容易だった。
『それ』も這うようにして私を追ってきた。昨日見た時よりも、『それ』は大きくなっているように見えた。
『それ』に追われて後ろ向きに逃げ回っているうちに、いつの間にか部屋の隅に追いやられていた。
『それ』はもう足元まで迫ってきている。
もうダメだ。そう思った時、床を転がっていたスマートフォンが目に入った。
思えば、全てはスマートフォンのメッセージが始まりだった。話を聞いた人の元の現れるだけなら、わざわざメッセージを送る意味がない。
私は、一か八かの賭けに出た。
唯一残っている左手でスマートフォンを拾い上げると、メッセージアプリを起動した。左手での慣れない操作に苦戦しながらも、あのメッセージを開く。
『次はお前だ』
そのメッセージに私は返信した。
『次は私じゃない 次はミチ』
咄嗟に、机を蹴って悪態をついてきたミチの事が頭に浮かんで、そう書いてしまった。
なりふり構っていられない。ミチに対して罪悪感を覚えつつも、送信ボタンを押した。
『それ』はすでに、私の眼前にいた。
メッセージに既読がつく。と、同時に『それ』も動きを止めた。
「助かった…?」
安堵に息をつこうとした時、動きを止めていた『それ』が顔を上げて、ニタっと笑った。
「もうおそい」
その言葉と共に『それ』の顔が迫ってきて、視界が暗闇に包まれた。
卵の殻を握りつぶしたような音が、私の耳に届いた最後の音だった。
「うわっ、警部、なんですかこの部屋」
「何者かと争ったような形跡はあるが、誰かが侵入した形跡はないんだ。おかしいだろう。部屋の扉や窓には鍵がかけられていて、呼んでも返事がない母親が無理矢理こじ開けたらこの有様だったそうだ」
「突然死って聞きましたけど、どういうことなんですか?」
「仏さんを見てみろ」
「えっ…なんですか…これ」
「異常だろう。昨日までは普通に生活していたんだ。それが、今朝はこんな状態になっていた。まるで栄養失調で死んだような、ガリガリに痩せ細った姿に…」
ガリガリさん 乙乃詢 @otono_jun
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます