ティラミス・インポッシブル②
明かりの落ちたメルバ宇宙生物研究所へ足を踏み入れる。ミントに離れないよう言い聞かせ、ハニーはオフィスへのドアを開けた。
応接スペースとメルバのメインデスク含むビター感知システムは、パーテーションで区切られているだけだ。人がいるかどうかは入り口から一望できる。だれもいなかった。
「き、来たな!」謎の声が部屋に響き、チョコレートミントが驚きで小さく声を上げた。ビター感知システムのスピーカーから音を出しているらしい。
「来てやったぞ」ハニーは返事をした。「で、なにが緊急なんだ?」
「これから起こる」と声。「し、侵入者が来るぞ! 身を隠して、静かに」
「あんた、だれなの?」とミント。「なんでそんなことわかるの?」
「は、は、早くしろ! あと三十秒!」謎の声がわめいた。「指示はこれからQフォンのイヤホンに切り替える――窓に注意して!」
「メルバはどこだ?」ハニーは食い下がった。
「自室で寝てる! 今は」それを最後にスピーカーは沈黙した。
ふたりはひとまずデスクの陰に隠れ、ひそひそと意見を交わした。
「あの声に心当たりある?」
「ない」
「あたしも。敵じゃないよね?」
「見ず知らずのやつがメルバを心配してくれてるって?」
「でもあたしだって知らないんだよ? 研究所に来てもう一年以上経つけど……」ミントはハニーを制した。「シッ! なにか聞こえない?」
ジジジ……という音が窓の方から聞こえてきた。ガラスの上でかすかな光が円を描いていく。だれかがヒートカッターで窓を切っている。円が完結して、光が消え、窓の外で影が揺れた。
「人が浮いてる」とミントが口走った。
実際には上からワイヤーで釣られているようだ。切った窓を足で外から押し、できあがった丸い入口からするりと室内に入ってきた。警報は鳴らない。侵入者は猫のように音を立てず床に降り立った。外の方が明るく、ハニーとミントのいるところからは顔がよく見えないが、シルエットから男だとわかる。腰に付けたワイヤーを切り離した。懐中電灯をつけたので、ハニーとミントはデスクの陰に頭をひっこめた。
ミントが口の形だけで「泥棒?」と言った。ハニーはうなずき、身振りで「ここにいろ」と伝えた。ミントが「しつこい」という表情を浮かべたため、ついパッと「動くな」というハンドサインで念を押してしまった。
「え、なに?」ミントはささやいてきた。「今のどういう意味?」
頭の上を懐中電灯の丸い明かりが横切った。ハニーとミントは互いの口を押えて固まった。侵入者は気のせいだと判断してくれたようだ。ライトの光がビター発見システムのほうへ向かう。パソコンを立ち上げる音がした。
ハニーはミントの手を振り払った。データを盗む気か? よし、ぶちのめしてやる。「ま、待て、まだ動くな」とイヤホンから例の声が流れてきたが、構うもんかよ、と動こうとした。
「動くなって! もうひとりいる!」
窓から別の声が上がったのが同時だった。「ポー! いるぞ! ふたり!」
窓に開いた穴からなにかが投げ込まれた。床の上でカラカラと回りながら白い煙を吹き出し始める。
煙の中、室内を警戒しながら、侵入口からもうひとりの人間が入ってきた。
パソコンの乗った机の下から、ポーと呼ばれた青年がむくりと起き上がった。音も光も影響はなさそうだ。「ひどいじゃないか」
乱暴な返答がある。「ひどくねえよ」
「ね、隣の部屋、実験室なんだ。生体サンプルがあるかも」
後から来た方はチッと舌打ちしたが、ポーの好きなようにさせた。ガムテープを取り出しながら、デスクの後ろへ回る。
そこにはだれもいなかった。
声を上げる前に、背後からさっと腕が伸びてきて、侵入者は引き倒された。一本の腕は首に回り、もう一本は口をふさぐ。
ハニーは侵入者を締め上げていた。暴れまわる足が床に当たるのをガードする。なかなかダウンしない。腕と首のあいだに指を入れて、気道を確保しているのだ。組み合いに慣れている、どころの話ではない。全身にぶわりと汗がにじむ。虎でも組み伏せている気分だ。一瞬でも気を抜いたら反撃されると感じる。格闘技において、自分よりはるかに格上の人間だ。それと、女だった。
ミントはまごまごとハニーの格闘を見たり、実験室の方を見たりした。ポーが入って行ってまだ出てこない。ミントは覚悟を決めた顔でひとりうなずくと、壁際のロッカーに向かった。そっと開けて、中からメルターを取り出し、構えて実験室のドアににじりよる。「だ、大丈夫か?」と謎の声が言う。頼むからもっときつく止めてくれとハニーは思った。
かすかな足音と共に、ビターボトルを持ったポーが入り口に現れた。
「手を上げろ!」
ドスの効いた声でチョコレートミントが吠えた。なかなかの覇気に男がビクッと立ち止まる。ミントの手の中の銃を見て、そろそろと両手を上げた。
パン、という軽い発射音と共に、男が後ろに倒れた。
ハニーの相手は、銃声にひるみ――すぐに持ち直した。が、それが仇となった。ハニーをすごい力で振りほどくと、勢いよく立ち上がろうとして、メルバのデスクに頭を思いっきりぶつけたのだ。ふらついたのちに、床に突っ伏して動かなくなった。
ハニーは落ちていたガムテープで、女の両手首と両足首を巻いてから、ようやく立ち上がり、実験室の入口へ行った。
ポーとやらが床の上で伸びている。長い髪を後ろでまとめた、なかなか見目よい青年だったが、白目を剥き、額には砂糖弾が当たった赤い跡がついているせいで台無しだった。
「警告に従ったのに撃つとは」息を切らしながら、ハニーは感想を述べた。「なかなかの外道ぶり」
「ついやっちゃったあ」ミントは言い訳した。「ほら、普段、ビターに警告なんかしないし」
「今日の場合はいいだろう。で、だれなんだこいつら」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます