火星のどこかで待ち合わせ(前編)⑦
羽生のMS-T4400に対する懸念は、音声認識以外には根拠がないことも確かだった。徘徊もあの朝以降は認められず、訓練の成果は上々だったので、MSは観測手として羽生と一緒に出動することになった。さらに、次の勤務日にやることが決まった。新しく見つかった火星人集団の偵察と発信機の撃ち込み、および、故障した充電ポストの交換作業だ。
「Eの六番から十八番のポストの反応がない。修理を頼む」ファッジがマニュアルを渡してくる。「あと、中身も確認してきてほしいとさ」
充電ポストの役割は、エネルギーの補給所というだけではない。根元に固定されたコンテナには非常用の物資が詰まっている。万が一、火星の真ん中に放り出されてしまっても、ポストまでたどり着けば、非常食と救急セットが手に入るし、近くの基地に連絡をとることができる。火星の生命線だ。が、火星の荒れた天気で倒れる、ケーブルが露出する、コンテナが砂に埋まる、などのトラブルもよくあるのだ。羽生は一応マニュアルを受け取ったが、火星に来る前の訓練で何度かやったことがあった。
「最近じゃ火星人に荒らされることも多いんだよ。コンテナの中身に汚損があったり、もし使用期限が切れてたりしたら、持ち帰ってきてって」
「だれから?」
「クインス次長。施設の管理責任者なんだわ。いや、おまえは会ってねえよ。地球から遠隔で基地を見てるから。夜から天気が悪くなりそうだから、作業が終わらなくても、日没までには引き上げてこいよ」
どうやらこの用事は、決まった担当者がおらず、兵士が持ち回りで頼まれる雑務のようだ。新人がそういう仕事を押し付けられやすいのは、どこでも変わらない。
偵察の装備に、ポストの修繕部品――二メートルのポール、ケーブル保護剤、接続ソケット、工具一式を積み込むと、バギーの荷台はいっぱいになった。
MS-T4400が荷台の前で佇んでいるところに声をかける。「前に乗れよ」
ゆっくりと助手席に回り込むMSの動きはどこかぎこちない。前回の命令を踏襲していたのかもしれない。そう考えると普通のアンドロイドと変わらないが……。
「今度は独断で行動するなよ」
「すみません。おっしゃることがよくわかりません」
「はいはい」羽生はつぶやき、バギーのエンジンをかけた。――ユーザーインターフェースか。前任者が実戦に連れて行かなかった理由がよくわかる。
数匹の火星人のもも肉あたりへ発信機入りの弾を撃ち込む仕事は早々に片付いた。ポスト交換作業のほうは、慣れてしまえば難しいものではなく、十二本の交換を終えると、羽生はすっかりポスト整備のベテランになっていた。黙々と同じことを繰り返す作業は嫌いではない。ただ、十二本分の作業で日中いっぱいかかった。火星人の巣の見張りをさせていたMSを呼び戻し、早々に助手席に乗せる。観測データの検証はあとで、通信指令様を交えてやればいい。
第一基地の天気予報のとおり、風が強くなってきている。最後のポストの破損したコンテナを積み込むと、修理完了とこれから戻る旨の無線を基地に入れ、帰路に就いた。道は悪路だ。早いところ、基地間を走る固く踏みしめられた大道に戻りたい。
充電ポストの列を左手に見ながらバギーを走らせる。風でぎしぎしと揺れているポールを見て、こりゃ、次の当番日にもここに来なきゃならないんじゃないか、と考えていると、助手席から声がかかった。「軍曹」
「なんだ」
「発言してもよろしいですか?」
今までそんなこと聞いてきたことあったっけ、と思いながら許可を出す。「なんだよ」
「先ほど観察していた火星人の巣のことです。わたしはあの程度の大きさの巣なら、三十分ほどあれば完全に殲滅することができます」
でこぼこした路面でバギーが細かく跳ねる。
「で?」ああ、この返しじゃまた“おっしゃることがよくわかりません”が出る。「なんの提案だ?」
「次回から軍曹は、もう少し時間を有効に使うことができます。最初の三十分でわたしが駆除を終わらせて、ポストの修繕作業に入れれば、二時間は早く基地に帰れます」
「そいつは名案だけどな、巣を観察してこいっていうのが命令だからな」
「駆除作戦のための観察では? わたしで可能な駆除ならば、作戦は不要なはずで、観察は完全に無益な作業です」
「黙ってやりゃあいいんだよ」
「そうですか」
「なあ、おまえは……」
「軍曹!」
ドンッという強い衝撃があった。バギーが何かとぶつかったのだ。バンパーに衝突した塊が運転席まで飛び込んでくる。火星人だ。即死のエイリアンが視界をふさぐ。ブレーキを踏む前に、タイヤが段差に乗り上げる感触があった。
体も、荷物も、アンドロイドも、何もかもが大きくジャンプした。
これが火星初の交通事故なのだろうか、と宙に投げ出されながら羽生は思った。もしそうなら、バギーに屋根とシートベルトとエアバッグを付けてくれって、おれから言ったほうがいい。
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