疑いの報酬⑪

 殺し屋ラムレーズンことゾーイ・ラムレイは細い道を走っていた。計画が完遂できなかったのに、思いのほかネガティブな感情にならない自分に驚いた。運はいい方だから、ここ一番でミスしたことはなかったのに。負けても大したことないものだな。根本的にお気楽な性質なのだ。今だって、まだ警察が追ってきているはずだが、逃げ切れるという確信がある。小道の先に川があり、そこにボートを隠している。乗りさえすれば、振り切れるだろう。

 ちょっと欲をかきすぎたな、とゾーイは一応反省した。自分の欲望と懐を両方同時に満たそうとしたのは、うん、ちょっと浅はかだった。己の目的に合った殺し屋を一生懸命調べて連絡してきたマイヤちゃんにはキュンときたけど、やれ相手を殺すなとか、あんたはただこっちの筋書きに従ってもらえばいいとか、いろいろと口うるさいのには閉口してしまった。お姫様のわがままにここまで付き合った自分に、ちょっとしたご褒美があってもいいじゃないか? そう思ったのが運の尽きだった。やれやれ。久々にいじめがいのある子に出会えたのに、労力の割に得たものがなかった。ほとぼりが冷めたらもう一度、こちらから会いに行ってもいいかも。お金持ちだし。

 路地裏を抜ける。ボートが見えた。小さな橋をわたる。あーあ、本日は不完全燃焼! 帰って、昔撮った動画を見ながら、アイスでも食べよう。たもとからボートに飛び降りる。

 ゾーイ・ラムレイは、そこで頭を撃たれて死んだ。



 ボートの中に広がっていく血だまりを見て、ハニーは通信をオンにした。「終わりました」

「早かったわね」Qグラスからポピーの声がした。「料金って、どうすればいいの? やっぱり現金手渡しがいい? それともスイス銀行とか……」

「給料の口座に振り込みでいいです」

「そう? じゃあ、そうしますね」ポピーがついた深いため息は、やっと肩の荷が下りたのだと察せるものだった。「……ありがとう、羽生さん。ああ、わたし、本当に……あんな人がいるなんて……パーシー坊ちゃんがもし、また……本当に、耐えられないと思ってしまって」

「お役に立てて光栄です」ハニーは淡々と答えた。「このままボスを迎えに行きます」

「ええ。車を手配しておくわ。お願いね」

 ――お願いね、か。

 彼女は理解しただろうか。たしかにこれは個人間の取引だ。メルバは関係ない。契約に従い、ハニーマスタードはこの仕事について一生口を閉ざしている。ポピーシードもたぶん、そうだ。それだけのこと。普段の研究所の仕事とは無関係のことだ。だが今ポピーシードは、ハニーがメルバをひとりで迎えに行くことを許した。自分は一歩駒を進めたのだと、確信が持てる仕事だった。



 メルバが警察から解放されたのはアジト突入から三時間後、病院での検査で異常なしと結論づけられてからだった。ケガなし、メンタルの簡易チェック済み、聞き取り調査済み(後日続きあり)、カウンセリング予約済み、今日は帰ってよく休むこと。

 日が昇っていた。病院の入り口でメルバと落ち合った。メルバはだれかに貸してもらったらしい、ぶかぶかのジャンパーを羽織って立っていた。

「ご無事で」

「手間をかけたね」その時のメルバはいつもより朗らかにすら見えた。「ポピーは?」

「研究所でお待ちです」

「行こうか。さすがに疲れた」

 ボスが後部座席に収まると、ハニーは運転席に乗り込んでベルトを締め、三十四丁目へ向かって車を走らせ始めた。

 五分ほど走ったところで、メルバがぽつりと言った。「で、きみはなにをしているんだ?」

「なに、とは」

「仕事はどうしたんだよ。ミントは?」

「彼女はここ十時間自宅から出ていませんし、おれを作戦に参加させたのはポピーさんですよ」

「ぼくを誘拐した男が死んだらしいね」

「みたいですね」ハニーは答えた。

 ポピーのために仕事をした、なにもやましいことはない。おまえが殺したんだろうとでも言うつもりだろうか。だが違った。

「助けてくれたのはありがとう、ほんとにそう思うよ」メルバは少し上ずった声で言った。「でも、最初からずっと……研究所に来てからずっと、きみがなにか考えていることはわかってるんだよ」

 車が赤信号で止まった。

「信用できないのは、わかります」ハニーは前を向いたまま口を開いた。「そのうえで……おれのことは好きに使い捨ててもらって結構です。どんな命令でも聞く。必ず、お役に立ちます。それでもし、おれの働きが特別な報酬に値すると思ったならば、そのときは……話を聞いてもらいたい」

「話を聞く? それだけか?」

「その先はまた別の話ということで構わない」

 考える間があった。「いいだろう」メルバが言った。

 信号が変わった。

 しばらくはふたりとも無言だった。エンパイアステートビルが近くなるにつれ、車の窓から見えなくなる。ハニーは駐車場へ向かう道を曲がろうとウィンカーを出した。

「止めてくれ」急にメルバが言った。

「ああ?」

「車を止めて」

 車を道端に止めた。エンパイアステートビルの目の前だ。

「今の道を戻って」メルバはからっとした口調で言った。「四ブロック北に行くと、サターンコーヒーがある。そこでエスプレッソを買ってきてくれ」

「はい?」

「ポピーの好きなやつだ。心配かけたし、きっとぼくを見たら取り乱す。このあとのことを考えるとあったほうがいい。ついでに、ぼくの分のカフェモカもほしいな」

「……ボスをひとりにするわけには」

「さすがに道の渡り方くらいわかるよ。ん? なんでも聞くんじゃなかったのか?」

 メルバが車を降り、道を横断してエンパイアステートビルに入っていくのを見届けてから、ハニーは車を動かした。

 言われたところより手前に別の支店があることに気づいたハニーがカップをふたつ持って戻り、研究所のドアを開けたとき、メルバと、床に膝をついたポピーシードは肩を抱き合い、声を震わせて泣いていた。ハニーはふたりに気づかれないままにその場を離れることができた。今来たルートを戻りながら、これはおれのミスだ、と考えた。指定の店舗を間違えた。道すがら熱いカップをゴミ箱に放り込む。少しばかり余計に時間がかかっても、ボスはとがめないだろう。今度は間違えないように気をつけて、ゆっくり四ブロック北の店まで行こう。


(第12話 終わり)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る