疑いの報酬⑧

【2033年11月】

「発表しない?」

「そうだ」

「おかしいな」メルバは茶化さないといられなかった。教授のあきらめきったような、それが日常茶飯事であるような雰囲気が少し恐ろしかった。「じゃあ、ぼく、ここ数週間、まったく無駄な作業をしていたってことですか?」

「無駄ということはない、科学は積み重ねだ」こう入力すれば、こう出力すると、決まっている応答プログラムのように、どこかずれた返答をするウィークエンドを、メルバは心配して見つめた。

「要は――」教授はいすに座った。「国の許可が下りない。ビターの弱点を世間にさらすことに」

「どうしてですか? ビターを駆除してほしくない人間なんかいますか?」

「考えてみなさい」教授の瞳に生気が少し戻る。「そちらの立場から。ビターを駆除されると困る、なぜなら?」

「なぜなら……えっと、ビターに街を破壊してほしい?」

「なぜ?」

「破滅主義者だから……」言いながら、これはないなと思う。

「ふむ。他には?」

「もっと研究したいから。自然なままの、あいつらの生態を調べたい?」

「んん。他には?」

「倫理とか。動物の保護活動みたいに、ビターも保護して、共生の道を探したい」

「ほう。他に?」

「他に、他には……利用したい。独占して、いや……飼いならして……兵器にする?」

 ウィークエンドは片頬をゆがませた。

「え、でも、そんなの変です」メルバは声を上げた。「自分たちにも扱いをわかっていないものを利用しようとするなんて、危険すぎます」

「まあ、そうだな」白衣のすそをつまみあげてもてあそびながら、ウィークエンドはせせら笑った。「我々は睡眠の仕組みがわからなくても眠るし、数学の公式を証明できなくても使う生き物だ。まあ、そういうわけで、やつらの弱点を大々的に報じるわけにはいかんのだ」

「抗議しないんですか?」

「しないな。そもそもまだ発案の段階だ。軍のどこかのえらいやつがなんとなく思いついた、程度だろう。武器には向かないとわかれば、すぐ発表できるようになる。それまでは、関係者を限定してビター対応に当たろう。それしかない」

「でも、みんなが対処法を知っていれば、ビターに対しての不安も和らぐでしょうに」

 ウィークエンドはメルバを不可解そうに見やった。「きみはときどき、びっくりするくらい純真だな。すごく……普通だ。――おい、なぜ笑う? 別に褒めていないぞ」 

 この問答の一週間後、例の動画が出回ることになる。


  ◇


「例の動画?」ゾーイが訊いた。

「見たことあると思うよ。告発動画さ。ビターに砂糖水をかけて、へにょへにょになるところを撮って、化け物の弱点はこれだ、これを発表しない政府は悪だってやってる動画」

「知らないなあ」

 スマートフォンを取り出して調べようとしたゾーイに、メルバは忠告した。「元動画はもう削除されてるよ。ああ、せっかくだし、ふたつ目の動画を見たら?」

「ふたつ目?」

「ひとつ目の検証動画と銘打ってある。砂糖をかけたビターが、しばらくすると元通りによみがえる」

「え? どっちが正しいの?」

「どっちも。ビターは砂糖に弱いけど、死ぬわけじゃない。ふたつの動画は真実をただ切り取っただけの嘘だ」

「ぼくが言うのもなんだけどさ」ゾーイは気のない様子で、二本の指をとことこと動かし、アリスの座る椅子の背もたれの上を走らせた。「この話、聞いちゃっていいわけ? 軍事機密なんじゃないの?」

「兵器開発の話は流れたみたい。研究所を視察に来た偉い人が、考えを変えたらしいよ。それに、機密とするには知られすぎてしまったし。動画のせいでね。最初の動画は、背景や、入手困難だった本物のビターの一部を使っていたことで、研究班のだれかが撮ったものだってすぐわかった。犯人は捜さないことになったけど、代表的な立場だったウィークエンド教授は、国からも世間からもひどく非難されて……そういうときに次の動画が出た。これで最初の動画はフェイクだと思われて、非難は徐々に下火になったけど、正しい情報も伝わらなくなってしまった。同じような形式のでたらめな映像があとから次々に現れて、手に負えなくなった」

「政府は情報コントロールに失敗したわけだ」ゾーイは手のひらにあごを乗せた。「記者会見を開いたりはしなかったの?」

「開こうとした。会見の一日前になって、教授と連絡が取れなくなった」

「彼はどうしたの?」

 メルバは口を開いた。これを言うことで自分と彼女の身に危険が及ぶのではないかと危惧しながら。「それはぼくにもわからない。彼はNYCCから姿を消した」



 身代金要求は、メルバ宇宙生物研究所のメールボックスに届いたテキストメッセージだった。“パーシバル・メルバの無事と引き換えに、百万ドルおよび、シトロン・ウィークエンド教授の死の真相の公表を要求する”

 文章を読み上げた部下が訊いた。「シトロン・ウィークエンド教授って、だれです?」

「所長の担当教授だった人よ」ポピーは手のひらを握りしめた。「初期のビター研究者のひとり」

「見えてきたな」ホワイトが言った。「テイラーのほうも手掛かりをつかんだようだ。我々も決断しましょう」



「シトロン・ウィークエンドはマンハッタン工科大学で教鞭をとっていた人物だ。宇宙生物学ゼミの教授で、パーシー様の恩師だった」

「『だった』?」

「七か月前から行方不明だ」

 車はマンハッタンの北へ向かっていた。夜景を後にし、河と海の間にかかる橋を渡る。

「シトロンならCだよな。Mってだれだ?」

「教授には妻と娘がいる」テイラーはハンドルを切り、有料道路を降りた。

 ウィークエンド家は整然とした住宅街の中の一軒だった。玄関のベルを鳴らして少し待つと、鍵を外す音がして、肩のあたりで髪を切りそろえた女性がおずおずと顔を出した。

「夜分にすみません。先ほどお電話しましたグレイヴィーズ保険のテイラーです。娘さんはご在宅ですか?」

 女性の顔に不安と警戒心が宿る。「マイヤがなにか?」

 マイヤ――M・ウィークエンド。

「今はいませんが……」

「出かけているんですか?」テイラーが母親の発言にかぶせて言った。「連絡が取れますか?」

 彼女の目が泳いだ。「あの、今少し取り込んでいて……」

「お母さん。マイヤさんは誘拐されたんですか?」

 グリーンの言葉に、母親ははじかれたように顔をあげた。

「……失礼しますよ」

 テイラーが家に上がり込むのに、ハニーも続いた。

 マイヤ・ウィークエンドの部屋は二階にあった。パステルカラーの壁紙、白い薄布を天井から吊るして作った天蓋、棚に並んだぬいぐるみ、そういう年頃の少女らしさを示す調度品は、壁に貼られた大きな地図で台無しになっていた。誰かの生活圏を示す付箋、監視カメラの場所と思しきシール、ペンで幾通りも引かれた走行ルートが、部屋の主の執念を表していた。

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