第6話 スイートガンナー

スイートガンナー①

「そういえばここ」ハニーは突如浮かんだ疑問をそのまま口にした。「福利厚生はどうなってんだ?」

 その問いに答えるものは、午前十時四十三分のオフィスにはいなかった。

 引越しのごたごたは徐々に片づきつつあった。間接照明と観葉植物が新たに運び込まれ、ボスのデスクチェアはようやく納得のいくものが届き、飾り棚には白い土の入った平べったいアクリルケースが設置された。ケースの中ではメルバが大事に飼っているアリが巣をつくっており、だれでもその形が観察できるようになっている。ハニーが最近知ったところでは、メルバが気鋭の少年科学者として注目されたきっかけがアリだったそうだ。新種を発見し、その生態研究がマンハッタン工科大学生物学部のだれぞやの目にとまったらしい。

 ソファでくつろいでファッション雑誌をめくっていたチョコレートミントは、一瞬目を上げたものの、また誌面に視線をすっと下ろした。

「なあ、ミント」

「え?」

 水を向けられたチョコレートミントはまさか自分が話しかけられているとは、と言わんばかりの驚きようだった。

「そういう難しいことはわかんない」

「保険とか……労災とかはどうなってるんだ」

「ボスに聞いてよ」ミントはまた旬のネイルデザイン特集に戻ってしまった。

 そのボス、弱冠十四歳にしてメルバ宇宙生物研究所所長、パーシー・メルバは会話を聞いているに違いなかったが、話しかけられない限り無視を決め込むつもりのようだった。実際、ミントから情報を引き出すのをあきらめたハニーがそろそろとデスクの前に行き、あの、と声をかけるまで、メルバは無言と無表情を貫いた。

「まずひとつ」パソコンの画面から目を離さずにメルバが言った。「六週間前まで無職だった人間がマンハッタンに住めるのはどうしてか考えてみるといい」

「というと」

「つまり、きみのお望みのものはほぼ住宅手当のかたちで支給されていると思ってくれ」

「なるほど」

「ふたつ、保険については、きみはまだそういうことを要求できる立場にない」

「は……」

「きみは試用期間中だ!」ホログラムのエンターキーを、メルバの小指が不要な力を伴って突き抜ける。「そういうことは正規雇用されてから訊きに来い」

 なんということだ。前代未聞の怪物を四匹も捕獲し、若い女を付け狙う危険な刺客をふたり追い払ったが、それらはしがない非正規雇用の身でやっていたことだったのか。

「考える機会はないかもしれないな」

 さらりと付け足された嫌味に、ハニーはメルバではなくファッジに憤りを募らせた。この理不尽な状況はやつの仕業に違いない。どうも自分のいないところで、命をすり減らして働くという契約が勝手に交わされているようだ(あるいは、殺し屋にしても用心棒にしても、この業界ではみんながそういう扱いを受けているのかもしれないが)。メルバに対する自分の印象が最悪らしいのもファッジのせいだろう。あいつがコウモリのように殺し屋業界をひらひらと暗躍していなければ、それとあんなに秘密主義気取りの性格でなければ、もう少しボスの態度は違ったものだったに違いない。

「回答は以上だ。これ以上雇用の関係でなにか文句があればポピーを通してくれ。ああ、そういえば、きみから要望のあった拳銃型の武器の支給だけど」メルバは足元から銀色のアタッシュケースを持ち上げた。「手配した。携帯を許可する。ミントのと同じC&Wだ」

 ゴトンとデスクの上にケースが置かれた。留め金を外して開けると、中にはミントの持つ対ビター銃と同じ形のものがおさまっていた。ただし違うカラーリングを施されている。ミントのは白地にパステルピンクだが、こちらは黒地にネオングリーンで、スナイパーライフル型のものと同じ配色になっていた。

「試し撃ちしてみるか?」メルバが思いついたように言った。

「……ここで?」

 メルバは部屋の隅に置かれた大きなサボテンの鉢植えを指さした。

「本当にいいんですか?」

「早くやれ」

 メルバの眉間のしわがさらに深まる前に、ハニーは装填しサボテン目がけて引き金を引いた。弾丸はサボテンに当たって砕け散った。散らばった砂糖のかけらに自動掃除機が突進していく。

「おみごとです」と急にチョコレートミントが入ってきた。なにかごっこ遊びが始まったらしい。「ハニー選手にポイントが入ります。使用されたのは特別な弾のようですね。解説のメルバさん?」

「はい」真顔のまま、メルバは彼女の振りを受けた。「ごらんのとおり、銃弾自体は非常にもろいです。人に当たっても、痛いし気絶くらいはするだろうけど、たいしたけがにはならないので、覚えておくように」

「なるほどぉ。メルバ研究所からチョコレートミントがお送りしました」

 ふたりから視線を向けられたので、ハニーはあわててひと言発した。「勉強になりました」

 銃を観察する。プラスチック製のリボルバー、五発装填、銃身には「MELTER」と刻印がある。

「C&W?」

「シュー・アンド・ホイップな」

 ようするにS&Wの模造銃だった。このネーミングもボスのセンスなのだろうかと考えていると、もう一度メルバがかがみこんだ。

「こっちもメンテナンスが終わったので、戻す」

 狙撃銃のほうもケースごと返された。持ち歩く用の対ビター武器が欲しいという要望が簡単にかなえられたことにハニーは拍子抜けした。“メルター”というのがビター用の銃の総称のようだ。狙撃銃の刻印は「MELTER Dragenov」だった。

 ――ドラジェ砂糖菓子ノフね……。

「あたしにはそっちくれないの?」ミントがメルバに訊いた。「ずるい。あたしも二個ほしい」

「ドラジェノフは一丁しかない」メルバは苦手なものを食べているかのような顔つきになった。「……より……使いこなせるほうが……持つべきだ」

 どうやら射撃の腕は認められたようだ。だが、スーツに付く糸くずのように嫌われている現状から、ボスと個人レベルの頼みごとができるまでの仲になるビジョンがまったく浮かばない。ファッジは上司と仲良くなるのが上手だったな、と思い出したが、今回ばかりはやつにアドバイスを求めるのは逆効果だろう。

 しかし、ボスは若いながらも成果主義のふしがある。このまま仕事に励むのは、決して間違いではない。

 ハニーは銃を抱えて引き下がった。やることはふたつ。シンプルだ。ミントを死なせない。ビターを捕まえる。

 あまりにチョコレートミントがうるさくまとわりつくので、メルバは隣室に逃げてしまった。紅茶のおかわりを持ってきたポピーシードがあらあらとつぶやきながらおぼんをデスクに置く。重ねて持っていた紙ばさみをするっと抜き出すと、ハニーにちょいちょいと手まねきをした。

 誘導されて応接セットについたハニーに、ポピーシードは紙ばさみを見せペンを握らせた。「はい、これ、ざっと見て、質問票に記入してね」

 労働災害や医療保険のパンフレットと申込書の束に、ハニーは驚きの顔を向けた。

「さっきこういうことは気にするなとボスが」

「いいのいいの、ひまなときにやったほうがいいでしょ」

「あの……まだどうなるか」

「所長は、クビにしたいときは一日もたたずにそうするわ」

「本当に?」

「自分が手配するつもりだったのに、ミントちゃんが自力で用心棒を連れてきちゃったから、すねてるだけなのよ。自信持って」

 ハニーはどう言えばいいのかわからずに、ペンを指のあいだで回した。「どうしておれに……その、よくしてくれるんですか?」

 意味がわからなかったというふうにポピーは小首をかしげた。

「つまり……まだおれに信用がないのに」

「どこかのスパイかもしれないのに、ってこと?」書きやすいように書類を並べながら、ポピーシードがおだやかに言った。「まあ、そうね……わたしなら、もっと人当たりのいい柔和な感じの人をスパイにするわね。さてと、なにか病歴はあるかしら?」

 おそるおそる、足がこれで、とハニーが片足のズボンのすそをまくって見せると、ポピーは目を丸くした。

「まあ! 全然気がつかなかったわ。そうとう訓練を積んだのね」

「義足がいいだけですよ」ハニーはつぶやくとそっとすそを戻した。

「足だけ? 内臓は? サイボーグ保険が適用になるかしら……」

 内臓が全部自前のものなので、医療保障の付くものが適用になる可能性は低かったが、とにかく義体化率を算出するのが先で、それからどの保険のどのコースにするか検討する、ということで話はまとまった。ポピーがパンフレットをめくりながらいろいろと説明をしてくれた。義足の修理費が保険でおりるような契約ができるかもしれない。ハニーの頭に残ったのはそのことと、「ほ、け、ん、の、み~なおし~、いーまがチャンス!」というミントが横で口ずさむ変な歌だった。

「なんだその歌」

「保険のコマーシャルソングだよ。知らない? 最近話題の仮面歌手が歌ってるやつ。なんかくせになるよね」ミントは突然話題を変えた。「ねえ、メモリアルデーはなにするの?」

「なにって?」

「予定はあるの?」

「ないけど」ハニーは白い目でミントを見た。「また遊びに行くつもりか。ボスまだこの前のこと怒ってるだろ」

「そういうのじゃないもん! ただ、その日は海開きとかあるから」

「海開き」

 NYCCのビーチは毎年、戦没将兵追悼記念日メモリアルデーに海開きをする。砂浜で開かれるオープニングフェスタの中には、海軍や海兵隊のイベントもあるらしい。

「興味あるかなと思ったんだけど。友達とか出ないの?」

「おれがいたのは陸軍」

「そうだっけ。まあとにかく、せっかくニューヨークに来たんだし」

 むかし少しだけNYCCに住んでいたことを言い出しにくくなってしまった。ちゃんと家族でパレードを見に行ったこともあるのだが、「せっかくだから案内してあげるわよ」と上から目線のチョコレートミントが善意から提案しているのがわかったからだ。ハニーはもはや彼女を、単なるボスへの橋渡し役として見てはいなかった。メルバもチョコレートミントの扱いには気を使っているようだし、彼女は研究所のムードメーカーだ。

 それに、なにより、メルバのビター研究における重要性である。

 まず、誘拐と殺害目的の襲撃者の存在がそれを裏付ける。研究者ではないただの助手だと自称していたが、彼女の狙われかたは明らかに「ただの助手」程度がさらされる脅威ではない。それに、結婚式に出る出ないでもめていたとき、一瞬、メルバよりもチョコレートミントのほうが優位に立っているように見えた。

 チョコレートミントはビター研究において、そして来るべきメルバとの交渉において、かなり重要な存在なのだ。そんなやつのさそいを無下にするのは悪手のように思えた。

「わかった。案内してくれ」

「やったー!」とたんにミントはぴょこんと立ち上がった。「これで思いっきり遊べるー!メルターも置いてっていいかなあ? 海楽しみだなあ! 海っぽい格好で来てね! じゃ月曜日よろしくね!」

「おまえ反省してないだろ」

 ポピーシードがくすくすと笑って、また書類をまとめはじめた。

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