殺し屋ハニーマスタードの機械部品

灰坂

スイーツ・パンク・ニューヨーク

第1話 チョコレートミントは眠らない

チョコレートミントは眠らない①

 どこかに出かけたいようなぽかぽかした陽気のある日、おいしいコーヒーが飲める木陰のカフェで、ハニーは殺し屋にスカウトされた。

「殺し屋」

「向いてると思うんだよ」

 相手はどうでもよさそうな態度でいたが、その実やってほしいのだと長い付き合いのハニーにはわかっていた。気持ちに相反する表情や仕草をするのが上手な男なのだ。彼にまつわるエピソードとして、こんなものがある。いつだか、地球のとある紛争地帯にいたときのこと、彼が敵である反乱軍の一派に捕まり、救出作戦班がアジトに突入したとき、そこには仲良くひとつの鍋を囲む彼らの姿があった。助けられた彼は口をとがらせたという。いわく、裏切りを装って敵に偽の情報を流し、うまく取り入ったところだったと。このまま行けば敵の幹部になるのも夢じゃなかったと。眉唾だと一笑に付す仲間もいたが、さもありなんと思ったのを覚えている。

 その男、アーノルド・ファッジは一足早く戦線を離脱していたが、地球でなにをしているのかと思えば、殺し屋斡旋業などというものだから、本当のところはどうなのかと呼び出しに応じてのこのこ会いに来てやったらこれである。どうしたもんかね、とハニーは腕を組んだ。

「今、無職なんだろ?」学生時代の先輩はずけずけと指摘してくる。「戦場帰りは需要あるよ。度胸があって任務に忠実、狙撃ができるとくればなおさら」

「火星と似たようなことするのもなあ」

 それは本音だった。しばらくは戦争以外のことをしたい。これからなにをするにせよ、先立つものが必要だ。長い入院とリハビリ生活で、退職金は目減りしていく一方だった。

「向いてるものってあるよ。おまえの場合は銃を撃つこと、それだけ」

「言ってくれるじゃねえか」

「その体じゃ仕事見つけるのもひと苦労なんじゃない?」

 ハニーはテーブルの下でそっとひざを引いた。「まあな」

「お、迷ってるね? じゃあとりあえず、職業体験してみようか」 

 ファッジは懐から紙を取り出し、テーブルの上をすべらせてこちらへ寄こした。小さなメモと写真が一枚。

「その女を殺してほしい」

 ハニーはカップを置き、写真の女を観察した。長い髪とくりっとした目を持つ若い女だ。小さなあごにふっくらした唇。おそらく二十代だろうが、やや子供っぽさを感じさせる顔立ちである。

「だれだ? こいつ」

「おっと、そいつはだめだ」

「は?」

「いい殺し屋なら、そういうことは訊かない。標的がわかったら、黙って仕事を遂行するものだ。まあ、兵士と同じだよ。簡単簡単」

 たたんだメモには女の名前と、目撃情報が書いてあった。住所を見て眉根を寄せる。

「今のおれの本拠地だ。おもしろい街だよ」とファッジは席を立った。「期限は四週間。成功報酬ってことで。必要なものは適宜支給してやろう。また連絡する。がんばれよ」



 ニューヨークチーズケーキシティ、合衆国の大都市のひとつ、人口八百七十万人、世界の金融、芸術、ファッション、政治、エンターテイメントの発信地。故郷と呼ぶのは難しいかもしれないが、なじみがないわけでもない。家の都合で、ハニーは各地を転々とする少年期を過ごしていたからだ。NYCCニューヨークチーズケーキシティもそうして通り過ぎていった街のひとつである。住んでいた時間も三年に満たないが、網の目のように張り巡らされた地下鉄、密集して生活する人々、雲をつくような摩天楼は子供心にも興奮したのを覚えている。引っ越した当時、大都会に来るのは初めてだった。まったく新しい生活に期待し、ドキドキした気持ちが記憶から拾い上げられ、それがNYCC市に感じる特別な感覚につながっているのかもしれない。

 実に何年ぶりになるだろうか。午後一時、ハニーはグランドセントラル駅に降り立った。

 駅舎は見覚えがあった。梁の形、柱の位置。十分なつかしさを感じながら駅を出た。そこまでだった。道がまったく思い出せない。バスはバス停からどんどん出ていくが、どれに乗れば行きたいところに行けるのか全然わからない。やれやれ。もっと土地勘が残っているかと思ったが。

 この広大な都市でひとりの女を探すのだ。

 観光案内ドローンに道を訊き、ハニーはエンパイアステートビルが見える方向へ歩き始めた。

 今日も快晴だった。ビル風は春の香りをはらみ、街路樹のマメナシのつぼみもほころび始めている。とにかく拠点を定めようと思った。無機質な軍人基地、病院の白いベッド、宇宙ステーションのせまい宿泊エリア、安くて汚い西海岸のホステル。もうずいぶんとそんな寝床でしか寝ていない。うまく殺し屋になれそうだったら、とりあえず部屋を借りよう。火星の赤茶けた景色は見飽きた。どこか緑の多い地区に住みたい、毎朝散歩を楽しめるような……。なんにせよ、これから銀行に寄らなければならない。新しく口座を作れ(これから殺し屋として生きていくなら)、というファッジの指示だった。

 銀行に一歩足を踏み入れた途端、ビーッと警告音が鳴り響いた。銀行員たちが何事かとわらわら飛び出してくるので、ハニーは早々に両手を上げた。目の端でポスターが貼ってあるのをとらえる。「最近の連続銀行強盗事件を受けまして、ドア上に銃器・刃物検出装置を設置しております。お客様のご理解をどうぞよろしくお願いいたします」だって? 目立ちたくないのに。

「お客様、失礼ですが」浅黒い肌をした中年の銀行員が、柔らかな物腰でたずねてくる。「ハサミなどをお持ちではございませんか? お取引が終わるまで、荷物をこちらでお預かりしたいのですが」

「持ってないけど」と言いつつも、ハニーは手持ちのボストンバッグを渡した。本当だ。銃器類はあとで届けてもらう手はずになっている。バッグには着替えしか入っていない。

 警音は鳴りやまず、大切なお客様を警戒せざるを得なくなった銀行員の態度に緊張が走った。ポケットをひっくり返し、うっかり出てきたツールナイフも渡したが、このころにはセンサーがなにに反応しているのかわかっていた。やまないブザーにその場の空気がどんどん張りつめていく。ひどく目立っている、これは殺し屋として非常によくないのではないか、とハニーは心配になったが、今さらきびすを返すのもどうだろう。「本当に持ってないんだ」と言い訳するが、これで口座が作れるかどうかは確信が持てない。

「お客様、規則ですので、ボディチェックをさせていただきます」目を光らせた若い行員が進み出た。いいと言わないうちにジャケットを軽くたたき始める。

「お互い気まずくなるだけでは」

「かもしれませんね」と冷たく応じた若い行員の調査の手は、脚部に差し掛かった。ももに触れておや、と眉根を寄せ、ひざのあたりで体をこわばらせる。

「いいよ、続けな」と言ってやると、ばつの悪そうな顔でゆっくりとズボンのすそをめくり上げた。上司もかがみ込み、ハニーのむき出しの足を――白い機械のすねを目の当たりにした。

「左足は見なくていいのか?」

 嫌味を言ったつもりはなかった。しかし結果的に、滞りなく、むしろ快速で殺し屋用口座は作られた。



 なぜ死んでないのかわからないと医者に言わしめた身体がここにある。

 両足を吹っ飛ばされたハニーは病院でも注目を浴びたが、周りはみんなリハビリに励んでいる連中ばかりだったし、義肢の人間も少なくなかった。だから、銀行員の申し訳なさそうな反応はむしろ新鮮に感じる。

 ――リハビリ病棟のやつら、キックボクシング大会に誘ってきやがったしな……。

 この足はとても気に入っている。大切な人からもらったのだ。なにはなくとも――火星には友人がいた。

 カウンターに座って、書類を奥に持って行った銀行員を待つあいだ、ハニーは最後の戦場を思い出していた。クリュセ平原。爆弾が炸裂した時も、彼方にオリンポス山の荘厳な姿が見えていた。窓口に置いてある卓上カレンダーの山の写真をながめ、大違いだ、と思う。行ってみたい。このブルーグリーンはなんの色なのだろう。水か、森の色か。それとも加工や印刷のたまものか。

 同じ爆発に巻き込まれた友人とは、常々地球上の行ってみたい場所の話をしていた。マチュピチュ、白神山地、グレートバリアリーフ、ウユニ湖。

「任期が終わったら、一緒に行こうぜ」

「それはいい考えです」

「でも、その前にもしおれが死んだら」とハニーは言ったのだ。「おれの分まで見て回ってくれよ」

「ハニー、縁起でもありませんよ」と相手は憤慨したが、「ではわたしからもお願いします」とすぐに言った。「もしわたしが――」

 お待たせしました、という銀行員の声で我に返った。

 できたての通帳をしまいこんで早々に席を立つ。次は宿探しだ。殺し屋一日目はなかなか順調じゃないか、と思った矢先、自動ドアに差し掛かったところでまたブザーが鳴り響いた。さすがにいらだつ。おいおい、なんだこの銀行は、人権団体をけしかけられたいのか? 振り向くと、ハニーと入れ違いになるように入ってきた男二人組が、ちょうど銃を取り出して天井に向けたところだった。

 一発かました後で、「全員そのまま!」と怒鳴り、「両手をあげろ」と言い放ち、「ここに集合」とロビーに客を追い立てる男たちは、明らかに手慣れていた。

「そこのあんたも戻れ」

 銃口で指図されるのは嫌いだが、ハニーはそれに従った。なるほど。最初からブザーなんか気にする必要なかったのだ。

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