第16話 ママ
キラの方を向いて返事をしようと思ったら、キラの向こう側に有った店先のベンチに、予想外の人を発見した。
優雅にお茶を飲んでいる黒髪豊かで大人びた女性アバターに対して、フラフラと歩み寄る。
彼女の頭上には間違いなくNPCであることを示すマークが出ていた。
「ミラ? ちょ、ちょっとどうしたのよ」
「先生もついに過労っすか? 顔ヤバいっすよ。しかも、めっちゃ震えてるし」
キラとハッシュが困惑した表情を見せていたが、困惑しているのはこちらの方だ。
目の前にいる女性は、俺たち三人に気付いてもなお、穏やかな笑みをたたえている。
湯呑を少し離れた場所に置いて、女性が膝をポンポンと叩き、手を広げて微笑んだ。
「ミラ、久しぶりね」
その姿を見た瞬間、自分の中のストッパーが外れて涙が溢れて来た。
広げられた腕の中に吸い寄せられるように近寄り、互いに抱きしめ合った。
仮想のアバターが備えている仮想の温もりの中で、ただひたすら涙ながらに懺悔する。
「ママ……あの時はごめんなさい。……あそこまでやるつもりは無かったのに」
「いいのよ。ミラになら構わないの。さあ、私の膝に……」
誘われるまま膝に頭を載せると、優しく何度も撫でられた。
その優しさに当てられて、《デスゲーム事件》終了後から抱え続けていた心情が思わず口をついて出た。
「ママごめんなさい。俺は、あなたを殺して……」
「いいえ、ミラが私を止めなければ、私はミラを殺してすぐに自殺していたでしょう。私たちが心中していれば世に大罪人が放たれることはなかったかもしれない。昔からそれが正義だと、正しい行いだと思っていました。ですが、私は最近思い直したのです。……この話はまたどこかですることになるはずですので、今は忘れて私の膝で眠りなさい」
俺たちが小声で囁き合う中、少し遠くからキラとハッシュの声も聞こえてきた。
「ママァ? ねぇ、ハッシュ、辛うじてママって単語だけ聞こえなかった? で、でもあのミラが……マ、ママって、嘘でしょ?」
「マ? アレがミラ先生のママ? 確かに、一目見た時から包容力のある体型と表情だと思ったんすけど……マジ? 圧倒的バブみを感じるけど……あっ、自分もNPCにママと呼びかけたらワンチャンありますかね?」
「私の中のミラのイメージが崩れていく……孤独で強くてカッコよかったミラのイメージはどこへ……」
「自分もバブみを感じてオギャリたいっす! 物は試しっすよ! レッツ、チャレンジ! 失敗は成功のママ! ママァ~~~~ッ!! そこのママァ~~~~ッ!!」
「ハッシュ! NPCに対するセクハラ容疑でゲームマスターが来ているわよ! さっさと逃げなさい!」
「何故ダメなんだママああああぁぁっ!」
教育的に良くない光景から我が子を守るかのような暖かい手が耳元に添えられて、慌ただしい喧騒が遠くに聞こえるようになった。
「ママごめんなさい。……でも、また会えて嬉しかった」
「私もよ、ミラ」
懐かしい香りと温もりに包まれながら、いつの間にか眠ってしまった。
あの件の後、キラから、あのNPCを何故ママと呼んでいたのか等について色々聞かれたが、適当な事を言って誤魔化しておいた。
キラもハッシュも会社の方には報告していないのか、スタッフの人からは何も聞かれなかった。
ゲームで寝落ちしたのは初めてだったので小春さんからかなり心配されたが、そこも適当な言葉で誤魔化しておく。
街のNPCの違和感は未だに続いていて、少し《YDD》関係の情報を調べると、とある噂が目に入った。
曰く、
「《YDD》に幽霊が出るようになった」
と。ああ、他の人はそう解釈したのか、と感じた。
幽霊。あまりにもぴったりだ。
何故なら、この噂をより具体的に言い換えれば、
「《WHO》で死亡したプレイヤーのアバターがNPCとして《YDD》の街を歩いている」
と言えるからだ。
これを幽霊と言わずに何と呼ぶ?
この件を受けて、一部の人が《YDD》運営スタッフに苦情を入れたらしいが、
「システム的な異常は見受けられないが、証拠画像が上がっているのは妙なので鋭意調査する」
という回答が返って来ただけらしい。
運営にもよく分からない事態が起こっているのかもしれない。
それに《WHO》プレイヤーじゃないと、どのNPCが幽霊なのか分からないため、大多数のプレイヤーにとってはどうでもいいことでもあった。
これが致命的なバグならすぐにメンテナンスなどが始まるところだが、NPCが多少増えた程度なのだから、運営の腰は重かった。
四月になると、ついに以前から告知の告知が届いていた例の新イベント《ゴースト・アリーナ》の概要が発表された。
お知らせの内容は以下の通り。
・期間限定イベント:《ゴースト・アリーナ》開幕!
・開催期間:二〇三六年四月十三日十八時〇〇分~二〇三六年四月二十七日十七時五十九分
・イベント概要:
突如《YDD》に着陸した大きな船。その船は世界の各地を回っていたのだが、燃料切れを起こしたようだった。
財宝目当てに忍び込んだコソ泥たちは全員行方不明となり、逆に、周囲の村からは資源が失われていく。
船を不気味に感じた近隣の村人たちから、冒険者ギルドへ調査依頼が申し込まれた。
その船の奥地で冒険者たちが目にする光景とは――。
防衛のために配置された門番たちが船内の闘技場(アリーナ)で待ち構えている。
全プレイヤーで協力して全てのエネミーを倒し、新エリア解放を目指しましょう!
・イベント報酬:新エリア《フローティング・アサイラム》解放(クリア出来なければ解放されない)
・クリア条件:船を守る四六〇二種類のエネミーを全て倒すこと。
・難易度:過去最高
・参加資格:不問。誰でも歓迎。パーティーを組んで参加することも可能。
・特殊ルール:
アリーナ内の戦闘で体力がゼロになった者は、それ以降のイベント期間中におけるアリーナ内での戦闘参加権を失う(会場内に入って観戦することは可能)。
また、アリーナ内では、一切の魔法系スキルは、その効力を失う。
・その他:
《WHO》からデータを引き継いだアバターがアリーナで試合を行う時、特殊演出が発動する。具体的な内容は自身の目で確認して欲しい。
このイベント概要を見たプレイヤーたちは一斉にざわつき始めた。
そりゃそうだ。《WHO》がクリアされて半年、まさかこんなものが投入されるとは誰も思っていなかったはずだ。
クリア報酬の《フローティング・アサイラム》は、《WHO》の舞台となった場所である。
しかも、登場するエネミーが四六〇二種類と書かれているが、その数は、《WHO》参加者一万人のうちの死亡者四六〇二人とピッタリ符合する。
極めつけは特殊ルールの存在だ。
一つ目の参加権云々の話は、体力がゼロになったら現実でも死ぬ《WHO》の仕様を模したものであるし、二つ目の魔法禁止ルールは《WHO》に魔法が無かったことに由来している。
そう、これは明らかに《WHO経験者》向けのイベントなのだ。
わざわざ特殊演出なんてものまでつけてくれているのが何よりの証左である。
少し前からの幽霊騒ぎも完全にこのための布石だったのかもしれない。
しかし、実際にアリーナに行ってみないと、相手がどういうものなのか分からないので、断定は出来ないが。
一部のプレイヤーが「不謹慎だ」と言って運営に苦情を言ったところ、運営から、
「我々スタッフ一同の管理者権限でも何故か削除できない仕様になっていてこちらも困っている。せっかくなので楽しんでいただきたい」
という返信が送られて来たらしい。
さらに、運営スタッフの中で犯人探しが始まったり、一部のスタッフが個人的に「人工知能の叛乱の最初の例だ」と発言したりしていた。
これをどうにかするためにはサービス終了レベルの処置を取らなければならないらしいが、そこまですることを求める人が出て来なかったので、このまま続行することになったとのこと。
俺からすれば、運営の裏事情なんてどうでもよくて、このイベントが開催されることさえ分かればよかった。
舐められてんな。
このイベント概要を見た瞬間に脳裏に浮かんだ感想はそれだけだった。
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