第7話 世界大会 直前

 世界大会までの間に、大会運営の人が俺とランマルに対してエキシビションマッチの打ち合わせを行った。《YDD》の中で行えば、ハードである《ヴァーチャル・アーク》に標準搭載されている自動翻訳機能がフル活用されるので、俺が英語を話せなくてもスムーズに話が進む。


「お二人にはエキシビションマッチで戦う相手を決めていただきたいのですが、いかがなさいますか?」

「俺たち二人が一緒に戦うのなら、二対三でも構わないが……」


 ランマルの方を見ると、不敵な笑みを浮かべていた。

 タバコを灰皿に押し付けながら、


「あの武器がロックされているからって、ちょっと弱気過ぎへん? 運営さんの粋な計らいのおかげで、相手はチーム戦専門の連中やなくて、ソロ部門の連中なんやろ? ウチは上位四人まとめて戦ってもええと思っとるよ」


 運営スタッフはギョッとした表情をした。そりゃそうだ。ただのプレイヤー四人組じゃない。

 世界大会出場者の上から四人。相手は必然的に即席のチームを組むことになるため、相手チームがこの人数差を上手く活かせない可能性も無くはないが、それでも普通に考えれば二人で捌くには厳しい相手であることに変わりない。


「ま、最後はミラちゃんが決めてくれたらええで。……もしも《ピアニッシモ》がまだ解散されていないのなら、あの時ミラちゃんがギルドマスターの地位を継承したんやから、ウチはミラちゃんの決定に従う」


 運営スタッフの人は首を傾げていたが、内輪の話なのだから分かるわけがない。

 自分の右手を何度か開いたり閉じたりしてあの時のことを思い出す。


 確かに、理論的には俺があのギルドを継いだことになるのだろうが、ギルドマスターとして何かをすることがなかったので、今まで全然実感がなかった。でも、それをランマルは覚えていてくれた。そもそも忘れてはならないことなのだが。

 細く長く息を吐いて、決断を下す。


「じゃあ、俺たち二人で四人を相手にします。その方向でよろしくお願いします」

「え、良いんですか?」


 俺が軽く頷いている隣で、ランマルがサムズアップした。


「まかせときや。ウチこそが《カラスが鳴かない日は有っても、ランマルが勝たない日は無い》と謳われた《WHO経験者》最強プレイヤー、ランマル様やで!」

「おお、流石の自信ですね。頼もしいです。では私はここで……」


 スタッフがログアウトしようとした時、ランマルがボソッと付け足す。


「どうやってウチらを見つけ出したかは知らんけど、ウチらを生配信で出す代償は覚悟せなアカンで」


 ログアウト作業を中断したスタッフが慌てて書類を見返しながら、


「ええと、出演料の話でしたら既に……」

「ちゃうわ。ま、何も起きないかもしれんから、そないビビらんでもええよ」


 何が何だか分からない、という表情を浮かべながら、スタッフは再びログアウトしようとしたが、三度中断して、


「ランマルさん。その……世界大会の会場内ではタバコを吸わないようにお願いします。それでは、健闘を祈ります」


 とだけ言い残してログアウトしていった。




「未来くん、今日が世界大会なんだっけ?」


 朝食としてやたら大きなコッペパンを食べている時に、小春さんから声を掛けられた。


「あぁ、でも俺は選手じゃないから気楽なものさ。もう少ししてからかな……ネットで中継されているから、小春さんも気になったら見てみてよ」

「私も一応《YDD》をやっているから、少しは気になるなぁ。でも、仕事があるからその合間に見させてもらうね」


 食事を終えた小春さんが仕事の準備を済ませて仕事に向かった。見送った後で、俺も準備を始める。

 俺はいつも通りゲームを起動して、大会運営の人からの招待を待つだけなのだが、ヴォルフのように本戦に出場するプレイヤーたちは実際に海外の会場まで行っているらしい。

 プロの選手たちは会場で高級なベッドなどを使用するらしいが、俺の所属しているチームの偉い人がわざわざ面会に来てまでプロが使っているような設備をこの部屋に運び込もうとしていたことは今思い出してもドン引きする。



 数日前。



「やあやあ、森本未来君、久しぶり! 元気そうでなによりだ。うちの綺羅々(きらら)がお世話になっているようだね」


 恰幅の良いおじさんがガラス越しに声を掛けて来た。この人こそが俺の雇い主、橘成蔵(たちばな せいぞう)さんだ。

 それにしても綺羅々って誰だ?

 聞いたことがあるような、ないような……と考えていると、とある名前を思い出した。

 社長令嬢とも聞いていたし、間違いないだろう。


「あぁ、キラのことですか。それほど世話をした覚えなんてないんですけど」

「そうなのか? 娘が未来君の話題を何度も聞かせてくるものだから、てっきり……」


 長々と世間話を続けそうな雰囲気だったので、見張りの人が咳払いをした。


「おぉ、スマンスマン。今日面会に来たのは、差し入れの話だ。ワシがスポンサーをしているというのに、拘置所の貧相なベッドからログインして世界大会に臨むというのもいかがなものかと思ったので、ベッドだけでも他の選手並みのものを使ってもらいたいと考えてだな……」


 見張りの人たちが驚いて制止に入る。


「ちょっと橘さん、流石にそれは差し入れの範疇を超えているので……」

「そうは言っても、未来君は他の犯罪者と違って、ただ保護されているだけの一般人で、住んでいる場所も他の囚人とは別の場所だと聞いていたものですから、これぐらい大丈夫だと思ったのですがね」


 実際、成蔵さんが知っている情報通りなのだが、拘置所の人に迷惑を掛けるわけにもいかないし、俺自身今の環境で充分だと感じているため、丁寧に辞退させてもらう。


「大丈夫ですよ。昔だって病院の安い部屋の薄いベッドからログインしていたぐらいですから、病院の環境も今の部屋の環境も大した違いはありません。それに、VR空間にダイブしてしまえば現実の身体のことなんてほとんど影響ないですからね。ベッドやらカプセルやらの話は、電力会社によって電子製品の音質が変わるとかいう迷信と似たり寄ったりですよ」


 昔《WHO》内で、


「俺が家の傍にわざわざ建てたマイ電柱から離されて、どこの馬の骨とも知らん病院の電気を使わされるとは一生の不覚! 《クオンタム・センチネル》のスペックを完全に生かし切れなさそうで許せん!」


 と喚いていた人がいたことまで思い出してしまった。


 かなり昔に見かけたあの人、元気かな。廃プレイヤーではなかったはずなので今どうなっているのか分からないけど、俺たちとは別の方向性で廃人っぽさを感じさせる人だった。

 成蔵さんは、そういうオカルティズムには傾倒していないタイプの人だったようで、何度か頷いていた。


「うーむ、オーディオオタクの愚かな幻想と一緒くたにされてしまうとは……。確かにダイブ環境とゲーム成績に関する科学的エビデンスなんて聞いたこともなかったな。ワシも無理を言って済まなかった」


 少しゲームの話などをしていると、規定の時間が近付いて来た。


「それじゃあ、ワシもそろそろ帰るとしますか。未来君、世界大会は君の晴れ舞台であり、デビュー戦でもあるから頑張りたまえ」


 立ち上がって、ドアの方に歩いて行く背中に小さく声を掛ける。


「あの、俺《WHO経験者》から割と評判悪いんで、チームに迷惑を掛けるかもしれないですよ?」


 その声が届いたのか、成蔵さんは立ち止まって笑い始めた。その笑い声は、今までの陽気なものではなく、ビジネスマン的な冷淡さを感じさせるものだった。


「会社の心配はしなくても良い。君を解雇するのは難しくないからな」


 あまりにも簡単に言ってくれるな……。しかし、ある疑問が生じた。


「じゃあ何で俺を雇ったんだ? 俺なんて、リスクまみれの物件だろ?」

「簡単なことだよ。君、良くも悪くも話題性があるだろう? もしネットで炎上してワシらの手に負えなくなっても、最悪解雇してしまえばいい。軽い炎上なら、うちのプロチームの存在を大衆に認知してもらえれば広告としては成功。ほとんど炎上しなければ、実力のあるプレイヤーを長く使っていける。どちらにしても、ワシら経営陣から見ればローリスク・ハイリターンな存在だということさ。リスクを負っているのは君だけだよ」


 リスクを負っているのは俺だけ、か。確かにそうなのかもしれない。そう言われても仕方のないことをやってきたという自覚は一応持っている。


 それにしても、俺と初めて面会した時は、成蔵さん自ら数多くの《WHO経験者》と会って強い人材を探していた、ということを何度も自慢そうに語っていただけだったので、単純な能力面だけでなく、経営面のことまで考えて俺を雇っていた事は意外だった。


 黙ったまま成蔵さんを見送る。

 扉を開けて一度面会室を出た後、首だけ部屋に突っ込んで、


「ただまあ、その辺のリスクに対して、ワシらがただ手をこまねいているわけではない、ということだけは知っておいてもらいたい。だから、まずは一勝してきたまえ」


 と元の陽気な声音で別れの挨拶をしてくれた。




「ま、ネットで何言われても関係ないか……」


 成蔵さんとのやり取りを思い出し、決意を新たにして自室の《ヴァーチャル・アーク》に手を掛けた。


 冷たい白銀のヘッドギアに、薄っすらと人影が映し出される。その顔は、これから熱狂の舞台に上がる者の表情とは思えないほど醒めているように見え、思わず自嘲的に笑ってしまった。

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