ダイダロス・クレーターの階段

大橋 知誉

ダイダロス・クレーターの階段

 目の前にあるものを理解するまでに、彼には数十秒が必要だった。ここは月の裏側、ダイダロス・クレーターの一角である。最後のアポロ計画から90年。ネオアポロ計画が発足してから5年。人類は再び月面に立っていた。


 「ちょっとこっちに来てくれないか?」

 彼は数メートル向こうで掘削機のテストをしているエンジニアを呼んだ。振り返ったエンジニアはぴょんぴょんと軽快なステップでこちらへやって来て、彼が指示した方を覗き込む。


 「これ、何に見える?」

 「階段だな…」

 「だよな…」


 人類未踏の地であったはずのダイダロス・クレーターに、謎の階段はこうして発見された。階段は半分地表の砂に埋まっていたが、人類を誘うように地下へ地下へと伸びていた。

 調査の結果、この建造物は人類が文明を築く遥か以前からそこに存在していたことがわかった。

 この発見により、人類の歴史感は180度変わってしまった。


 それは地球外知的生命体が月にいたことの証明なのか。はたまた人類が記憶していないほど太古の昔に月に行くほどの文明があったのか。

 地球上では大論争が巻き起こった。


 そんな人間たちの不毛な仮説争いを尻名に、AIを搭載したローバーたちは調査を粛々と進め続けた。

 そしてついに月の地下に想像を絶する広さの巨大な空間が存在していることをつきとめたのだった。


・・・・


 「第二のカレンダーまではあと何分だ。」調査班のリーダー・ユーハンがAIローバー、その名もジャッキーに話しかけた。

 「あと15分ほどです。」誰にでも好かれる男性の声でジャッキーが言った。


 ユーハンは酸素の残量を確認しながら、「よし、ちょっときついが休まずに進もう。」とクルー全員に声をかけた。

 月の地下へ潜ってから1時間。そろそろ最初の大空洞が見えてくるころだ。


 地下道にはAIたちが事前にライトをつけてくれているので不自由はない。だが、宇宙服を着けての長時間の歩行は、地球の6分の1の重力とはいえさすがに体力を使う。

 それでもクルー全員が前に進むことに大賛成だった。彼らは、人類で初めて、月の地下へと足を踏み入れ調査を行っているチームなのだ。

 先にAIたちが一通り調査した場所ではあるが、生身の人間がその目でこの場所を見るのは初めてとなる。


 前方の地下道の終点が見えてきた。

 その向こうに広がる景色を早く見たくて、クルーたちの足取りは自然と早まった。今までさんざん画像では見てきたが、ついにこの眼で見る時がきたのだ。


 ユーハンたちはついに、最初の大空洞へとたどり着いた。そこは、人類の想像をはるかに超える巨大な空間。地球の町のひとつくらいはすっぽり入ってしまうかと思えるほど巨大な空間だった。

 一定間隔で照明ドローンが飛ばされ、大空洞の中はまるで昼間のように明るく照らされている。


 その光の下で圧倒的な存在感で姿を現したのは、地球のマヤ遺跡とそっくりな無数のピラミッド群であった。


 調査隊はしばらく、その光景に見入っていた。ほんの数年前ならだれが信じただろうか。月の地下にマヤ遺跡があるだなんて。


 上部の階段同様、このマヤ遺跡もどきは、地球のどの文明より古いことが証明されている。これはいったい何を意味しているのだろうか。人類はまだ答えを見いだせていなかった。


 「さ、他の調査は後回しだ。まずは第二のカレンダーへ向かうぞ。」ユーハンはクルーたちを急がせる。酸素がギリギリなのだ。


 第二のカレンダーとは、このピラミッド群の地下室で発見された、地球の ≪太陽の石「アステカ・カレンダー」≫ と瓜二つの構造物である。

 その特徴から ≪月の石≫ と呼ばれることもある。ユーハン隊一行は、≪月の石≫ を調査しにやって来たのだ。


 まもなく、彼らは第二のカレンダーが発見された部屋の入口へと到着した。この部屋はそれほど広くもないので、全体を特殊なシートで包み宇宙服なしで過ごせるような環境を整えてある。

 一団が部屋の手前に設置された与圧室へ入ると、その中はたちまち地球の大気とほぼ同じ成分で満たさた。クルーたちは次々にヘルメットを外すと、宇宙服を脱ぎラフな格好へと着替えた。


 部屋の正面には、バァーンと第二のカレンダー ≪月の石≫ が鎮座している。空気による腐食を防ぐために、ガラスの板で隔たれており触ることはできないが、近寄って見れるだけでも充分な迫力である。


 ≪月の石≫ は地球の ≪太陽の石≫ の1.5倍ほどの大きさで、直径が約5.5メートルある円形の石板だ。

 石板の中心には舌を出した顔、その周りをぐるっと囲むようにマヤ文字が彫られている。そう、地球にある ≪太陽の石≫ はアステカ暦だが、こちらはマヤ暦になっているのだ。


 この部屋にあるのはそれだけではない。他に3つの石板があり、それぞれマヤ文字が彫られている。その中には地球にはない文字も含まれており、解読が急がれている。


 「ジャッキー。もう一度、ここの未解読の文字の部分の画像検索をかけてくれないか。」ユーハンがAIローバーに指示をすると、考古学者の山下が近寄って来た。


 「この部分ですけど、地球のマヤ文字の ≪家≫ ≪砂≫ を現す文字に似ているんですよね。彼らがここに来る前、つまり彼らの故郷にかかわる記述なのではないかと思っているんですが…。」


 「山下教授が言うとおり、この二つは ≪家≫ ≪砂≫ に似ています。そして、こちらは ≪船≫ でしょうか。」ジャッキーが答えた。


 「そうだな、これは ≪船≫ かもしれないな。」山下も同意する。「しかし、サンプルが足りないな。もう少しこれらの文字を使った文章が出てくるといいのだが。」


 発掘チームがこの部屋にやって来た理由はそこだった。新たな石板の発掘。この部屋の壁は崩れやすく、ローバーだけの発掘作業には限界が来ていた。デリケートな作業は未だ人間の方が得意なのだ。


 「ユーハン、ヤマさん、こっちへ。出ました!出ましたよ!」

 先ほどから部屋の片隅で調査を行っていたクリスが興奮した声を出した。全員がクリスの元へと向かう。


 クリスが指さす先には、第四の石板と言えるような明らかに人工的な板状の石が半分顔を出していた。この石板は他と違い、壁にめり込んでいる。少し見える表面にはマヤ文字が彫られているようだ。


 「やったぞっ!これは大発見になる!よし、慎重に掘り出すんだ。」


 クリス達は慎重に石板を取り出す作業に取りかかった。


・・・・


 それと時を同じくして、7000万キロメートルかなたの火星で奇妙なことが起こっていた。


 ここ数十年のうちに、地球ではサバクトビバッタの大量発生による被害で、アフリカ大陸の大半と、ヨーロッパの一部、そしてアジア大陸のおよそ63%が砂漠化してしまっていた。


 深刻な土地不足と食糧難を回避するために、ここ火星では、人類の数パーセントを移住させるべく、着々とコロニー建設の準備が進められているのだ。(実はネオアポロ計画も、当初はそのための資源調達のプロジェクトだったのだが…。)


 そんな新たな人類の居住予定地で、測量班があり得ないものを発見したのだった。


 「ちょっとこっちに来てくれないか?」

 彼は数メートル向こうで掘削機のテストをしているエンジニアを呼んだ。振り返ったエンジニアは重たい宇宙服をまといながら、テクテクとこちらへやって来て、彼が指示した方を覗き込む。


 「これ、何に見える?」

 「階段だな…」

 「だよな…」


 それは、月のダイダロス・クレーターで発見された階段とそっくりな、地中へと伸びる階段だった。


 「これはまさか…火星にもマヤ遺跡があったりして??」


 測量班の冗談は現実のものとなった。火星に発見された地下道の先にも巨大な空間があり、そこにもマヤのピラミッドがあったのだ。

 そして、≪火星の石≫ つまり、第三のカレンダーも発見された。こちらは、マヤ暦とアステカ暦が融合したようなカレンダーだった。


 調査の結果、火星の遺跡は、月のものよりも古いものであることがわかった。さらに驚くべきことに、こちらの遺跡には墓があり、おびただしい数の火星人の遺骨が出土したのだった。

 ついに、これらの遺跡を作った地球外知的生命体の発見か!?と世間は色めき立ったが、誰が何度検査しても、その遺骨は人類のものであるとの結論が出た。


 こんな話はでたらめだ。まるで昔のSF小説そのものではないか!きっと誰かのいたずらに違いない。国家が連携して人類を騙すための陰謀だ!

 この現実を受け止めきれない者たちが、そうやってにわかに騒ぎ始めた。


 しかし、こんな大掛かりなウソを作るなんて不可能だ。仮にウソだとしても何のために?


 最終的に人々は、月と火星にピラミッドを作ったのは、地球に文明が発生する遥か以前の我々人類であったと認めることとなった。


 これはいったい何を示しているのだろうか。金星や木星にも階段があったりするのだろうか??

 真実を知るその日まで、人類はとことん調査をすることに決めた。調べて調べて調べつくすのだ。たとえバッタにその存在を脅かされようとも。


・・・・


 ユーハン率いる調査隊はその後も石板の解析を進めていた。クリスが第四の石板を発見してから、第五の石板も出土していた。


 第四の石板には、美しいレリーフの形で、彼らが火星からやってきたことが記されていた。太陽系と思われる図の第四惑星部分に、例の ≪家≫ ≪砂≫ に似ているマヤ文字が記されており、やはり、山下の推測が正しかったのではないかとの見解になっている。


 第五の石板には、船に関する情報が記されていた。地球のマヤ文字の ≪船≫ と月のものが若干異なっていたのは、こちらが宇宙船を現しているかららしかった。

 それを読み解くと、どうやら、火星の人々は、故郷が砂で覆われてしまったので、巨大な円形の宇宙船、つまり月を使って地球までやってきたというのだ。


 確かにこれだけの空間があれば、全人類(当時何人いたかは不明だが)を搭乗させ運ぶことが可能かもしれない。

 月の遺跡がもぬけの空なのは、ここに乗っていた者たちが全員地球に移住したからなのだろうか。


 この説を裏付けるために、月の別の地点での掘削調査が行われた。すると、どの地点でも、ある程度地面を掘り進めると、謎の金属のような物質の層に行き当たることがわかった。


 この物質は、月と火星のピラミッドなどを形成している物質と同じものだ。最初、これらは石でできていると思われていたが、実は石とそっくりな加工物なのだった。


 人類が長い年月、地球の衛星だと思って眺めていた月は、実は火星からやってきた宇宙船だった。

 かつて愛の告白にも使われたロマンチックな月が、人類滅亡を救ったまん丸の宇宙船……まさにノアの箱舟だったのだ。


 「火星から月に乗ってやってきた人たちがマヤ文明を築いたとして、そしたら彼らはどこに行ってしまったんでしょうね?」

 クリスが石板の表面の3Dデータを取りながら山下に聞いた。


 「いや、奴らはどこにも行ってないよ。ほら、ここに居るじゃないか。そこら中にどこにでも。」


・・・・


 火星に遺跡が発見されてから、20年後。人類の火星への移住が始まった。


 月の調査も引き続き行われていたが、月の宇宙船としての機能はとっくの昔に失われてしまっているようだった。今のとなってはその動力が何だったのかもわからない。


 いつか、いよいよ地球人が全員火星に移住せねばならない時が来た際には、再びこの月を動かすことができるようになっていたりするのだろうか?


 もしかしたら、かつての火星人たちも、このように既存の宇宙船を流用したのかもしれない。


 そうなってくると、この宇宙船はどこから来たのか、人類はどこから来たのかという話になってくるが、それはもう我々にはわからない。


 とにかく生き延びて、このことを後世に伝えるのみだ。


(おわり)

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