ふたのないスクエア

人生

口封じの方法といえば僕は真っ先にそれをイメージするのだけど、あまり現実的ではないよね。




 僕には二人の幼馴染みがいる。


 一人は少年、もう一人は少女。

 ありがちな話だけど――男女の友情とは幻想なのか、僕らのあいだにもひっそりと、それは横たわっている。


 少女は少年のことが好きなのだ。

 そして、少年には他に想い人がいる――夏野かやちゃんの気持ちには、当然気付かない。


 いわゆる、三角関係というやつなのだ。


 しかし、想像してみてほしいのだが――


 男Aが女Bのことを好きだとしよう。これでA→Bになる。

 そして、女Bは男Cのことが好きだ。B→C。

 この矢印の向きが三角になるというのなら、C→Aと繋がる必要があるのではないだろうか。


 つまり、男Cは男Aのことが好きである、と。


 ……いや、これはあくまでたとえ話で、別に僕が幼馴染みの秋良あきらくんのことを気になっているとかそういうことではないのだが。


 三角関係という言葉を聞くたび、想像するたび、僕はついそのイメージの欠陥に想いを馳せるのである。


 文字であらわすとするなら――どちらかというとアルファベットの「U」が近いのではないか。

 Uの下の丸みを気にするなら――いったいどう読むのか分からないが、「凶」という字をつくるこの「箱みたいなやつ」、「口という字の、上の横棒が無いやつ」……この部首らしきものが一番それに見合うのではないか。フタのない、箱のようなものだ。


 僕らの関係には、フタがない。

 おっと……今のはあくまでたとえ話で、僕らには関係ないんだけどね。


 あぁそうだ……最後に一つ。


 第三者の存在を忘れていた。まあ今回の件に関していえば僕の方が第三者になるのかもしれないけれど――第三者として、紹介すべき第四の人物、僕の幼馴染みが思いを寄せる女の子、冬実とうみさん。

 もしも彼女がうちの夏野ちゃんのことを憎からず思っているとすれば、三角は完成するのだろう。


 その場合、僕は三角の外に追いやられてしまうのだけど。

 ほんとうに、どこの誰が、三角関係なんて言葉を考えたのか。


 恋心はたいていの場合、一方通行の矢印だ。どこかには通じるのかもしれないが、繋がりたい誰かに伝わるとは限らない、片思い。

 もしもその恋が叶うなら、二つの矢印は繋がって線になって、点になって、そして――残された矢印の行方は。

 どうなるんだろうな。分からないや。


 ……考えたくないというのが、本音だけど。


 あぁもう、みんな消えてしまえばいいのにな。

 リア充爆発しろ、というやつ。そうしたら僕も悩まずに済む。


 ビックバン。

 そして宇宙が誕生する。


 そうか、それが愛か。なるほどね。




                  ■




「何がなるほど、なの? ほんとに私の話聞いてた?」


「うん、なるほどね」


「いや――とりあえず『なるほどね』って言っておけばなんでもやり過ごせるって思ってるその考え方、なおした方がいいよ絶対。イラっとするから。実際いまイラっとしてるから私」


「なるほど……」


「…………」


 夏野ちゃんがじとっと僕を睨んでくるけど、これはもう僕の口癖というか、僕が身に着けた処世術なので許してほしい。


 人にはみんな意見があって、そうした自分の考えを述べるとたいていの場合、対立や衝突が起こる。だから僕はなるほどねって頷いて、相手の考えを受け入れる。なるほどね、の後は続けない。それこそ衝突しかねないから。

 なるほどね、とりあえずそう言っておけばそれらしく聞こえるし、相手もこちらが納得したものと思って満足してくれる。トラブルなくその場を乗り越えることが出来るのだ。


 ただ、まあ、意見と意見の板挟みになった時には、その怒りの矛先なんかが僕に向けられたりするのだけど。

 でも一対一なら、たいていのことはやり過ごせる便利な言葉だ。


 たとえばそう、好きな女の子に告白したい、どうしたらいいだろうという相談も、実はもうどうすればいいのか相手の中では決まっていて、ただ背中を押してほしいだけという時――相手の話を聞いて、「うんなるほどね」と頷いておけば、相手はこちらが話を了解したと、自分に同意してくれているのだと勝手に納得して話が進む。


 あるいはそう、好きな男の子が他の女の子に告白しようとしている時、それを止める手段として突飛な友情破壊作戦を提案してきた幼馴染みに、「うんなるほどね」と頷いておけば、とりあえず作戦について僕が呑み込んだことが彼女に伝わる。どうにかしなければという彼女の激しい動揺を、今にも爆発しそうな恋心を、いったん落ち着けることが出来るのだ。


 実際いま、夏野ちゃんは溜息を一つ。さっきまでよりだいぶ冷静になったようだ。


 僕はふだん「なるほどね」と頷いたあと、「それでどうするの?」とはたずねない。なるほどね、そう言えば話は完結する。よけいなことさえ言わなければ、世のなか平穏無事に過ごせるのである。


 だけど、まあ、彼女の言い分にも頷ける。とうとうやってきた秋良くんの「冬実さんに告白したい」という相談に、僕はうっかり「なるほどね、いいんじゃない」と適当に返してしまった。

 その結果、秋良くんはその日、クラスメイトの冬実さんへの告白を決意してしまったのである。

 僕に責任の一端があるのは否めない。

 今日の僕は何かしら、行動すべきなのだろう。ただ頷くばかりではなく。


 たとえばそう、


「いい? アキが冬実さんに『好きだー』とか言った直後に、冬実さんが返事する前に、あたしたちが飛び出すの。『どっきりでしたー』ってね。そうすればなかったことに出来るから。それで万事解決。おっけー?」


 ……そんなことをすれば夏野ちゃんは秋良くんに一生恨まれるだろうし、場合によってはクラスでの冬実さんとの関係にも支障をきたすだろう。秋良くんはもちろん、冬実さんとそれなりに親しい夏野ちゃんの方も。


 止めなければならない。


「これはアキのためなんだよ。だってあの冬実さんだよ? みんな大好きクラスの美少女。うちのアキと釣り合うとお思いで? フラれるに決まってるって」


 んー……僕としては「なるほどね」と頷くしかない。僕は男なので、冬実さんの気持ちは分からない。秋良くんいわく、「いつも俺のこと見てる!」らしいので脈なしとも言い切れないが、男子特有の妄想かもしれない。

 同じ女子である夏野ちゃんだからこそ分かることもあるだろう。しかし夏野ちゃんのその見解には彼女の個人的感情が多分に含まれているように思うから、全幅の信頼はおけない。


「うん、大丈夫……最後はかならず私が勝つんだから」


 自分に言い聞かせるように、彼女は小さくつぶやく。


 うん、まあ、僕もそうなるんじゃないかなぁとは薄々感じている。秋良くんには悪いけど、冬実さんと釣り合うかと聞かれれば「うーん」と首を捻らざるを得ない。冬実さんはいわば高嶺の花、そんな彼女からすれば、さすがの秋良くんも見劣りするのではないか。

 住む世界が違うというか、なんというか――まあ僕らはみんなクラスメイトなんだけど。ともあれ、そんな高嶺の花に手を伸ばすより、もっと身近で、しかも昔から親しくしている夏野ちゃんの方こそ相応しいというか、自然な成り行きのように感じる。

 別に、夏野ちゃんの方に魅力がないとは言わないけど――より魅力的だから、そちらに目が行くのだろう。身近に居すぎるから恋心が生まれないというのは、夏野ちゃんを見ていれば否定できるし。


 とりあえず今はっきりしていることは、現状だと秋良くんの気持ちは冬実さんに向いていて、夏野ちゃんは見向きもされていないということ。

 夏野ちゃんは告白が失敗すると考えつつも、万が一の可能性が恐くって現在あまり冷静でないということ。本人は落ち着いているつもりかもしれないが、正直何をやらかすか分からない危うい状態だ。



「と、冬実さん……っ」



 待ち合わせ場所の校舎裏――ひとりそわそわしていた秋良くんの前に、ついに冬実さんが姿を現す。

 こんな状況で――秋良くんにも内緒で木陰に隠れてその様子を窺っているこの状況で、彼に想いを寄せる夏野ちゃんがまともでいられるかといえば、僕の主観を抜きにしても、甚だ疑問である。


 僕の方はといえば、割と冷静だ。告白を覗いている後ろめたさはあるものの、秋良くんみたいにがちがちではないし、夏野ちゃんみたいにいらいらもしていない。いらいらしているのは僕の方に原因がありそうだが……。


 ところで、やってきた冬実さんの方はどうだろう。落ち着いているように見える。クールな彼女はいつだって動じない。男子に呼び出された、この状況が意味するものにも察しがつくはずだけど、やはり彼女ほどの美人にとっては慣れっこなのだろうか。

 うーん……ここまで冬実さんがふだん通りだと、夏野ちゃんの言う通りきれいさっぱりフラれてしまうような気もする。あるいは呼び出された理由に見当もついていない線もあるが。

 なんにしても、呼び出されてわざわざやってくるということは、少なからず秋良くんに対して気があるという可能性も捨てきれないのではないか。


 どうなるだろう。結果は読めない。まあどうなっても、「なるほどね」と僕は思うのだろうが――僕の気持ちを言わせてもらえば――


 秋良くんがフラれるのを見るのは、多少なりとも胸が痛む。

 だって彼が冬実さんのことをどれくらい好きか、近くにいてよく知っているから。いろいろ熱弁されてきたしね。

 それに、僕の個人的な感情としては、勇気をもって気持ちを行動に移した彼には相応の成果を得てほしいと思うのだ。それは、僕にはとてもじゃないが真似できないことで、彼のその行動力は素直に尊敬する部分だ。


 一方で、秋良くんの恋がかなうのを見届けてしまうと、僕は隣の夏野ちゃんの心情を想像していたたまれなくなる。

 彼が冬実さんを思うのと同じくらい――いや、それ以上に長いあいだ、夏野ちゃんは片想いを続けてきたのだから。



「えっと……私に、何か用?」



「と、ととと冬実さん――」



 思わず笑っちゃいそうなほど、秋良くんの声は震えていた。あぁ本当に、勇気を振り絞って今この場にいるのだなと思う。


 今にも爆発寸前な夏野ちゃんは、秋良くんが告白するより前に飛び出してしまいそう。そうなったらどうしよう。どっきりにもならない。気まずい沈黙が容易に想像できる。いや、もしかすると飛び出すより先に夏野ちゃんは叫ぶかもしれない。告白を遮ろうと、場違いにも喋り続ける彼女の姿は想像に難くない。


 そして――呼び出された、冬実さんは。


 ……そうだ、これは僕らのあいだの問題とばかり思っていたけれど――


 冬実さんはどうしたいのか、というか――今この場で大事なのは、巻き込まれている第三者の気持ちではないだろうか。告白の結果を左右するのは彼女で、本質的には告白をするしないは関係ない。

 まあ秋良くんの告白がなければ、何も始まらないのだが。

 ずっとこのままになってしまうのだけど――僕はそれでもいいと思っているし、夏野ちゃんも本心ではそうなのだろうけど。


 彼の告白が実るなら、それはそれでいいのだろう。だって好きあっている二人が、くっつくのだから。夏野ちゃんにはご愁傷様だけど――ただ、うまくいくとは限らない。告白するだけでこんなに緊張する彼が、今度もちゃんと付き合えるのかは先が思いやられるところだ。……だからこそ、夏野ちゃんも最後はかならず、なんて思うわけで。

 そう思うなら――それ以前に、そもそも秋良くんがフラれると考えているのなら、別に告白の邪魔なんてしなくてもいいだろうに。自信がないのか、それとも、分かり切っていることだとしても彼の口から冬実さんへの想いを聞きたくないのだろうか。複雑な乙女心ということなのかもしれない。なるほどね。


 もしも秋良くんがフラれてしまったなら、あるいは夏野ちゃんの気持ちに気付くこともあるかもしれない。それならそれで、彼女にとっては結果オーライ。


 なんにしても――状況は動き出してしまった。

 全ては冬実さんの返事しだい。それを聞くには、つまり――なるほどね、そうするしかないわけだ。



 秋良くんが口を開く。



 夏野ちゃんも口を開こうとする。



 ――声を発する前に、僕はその口を塞いだ。



「きみのことが、好きです。――付き合ってください!」



 告白の声が、どこか遠く聞こえた。



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