制服を脱いで走り出す、始まるはずのなかった恋の話
秋来一年
日高由希
私の恋は、始まる前から終わっていた。
「ちょっと、また遅刻?! 鷹峯君、いい加減卒業に響くわよ」
私の甲高い声が、お昼休みの喧噪を切り裂くように教室に響いた。周囲のクラスメイトたちの、また始まったか、というあきれ顔。
「うっせーな。委員長には関係ねえだろ」
冷たくそう言い捨てると、彼は自席に座って突っ伏し、あろう事か寝息を立て始めた。
「あなたねえ、お昼休みになってやっと登校してきたと思ったら、いきなり寝始めるなんて」
再度突っかかろうとした私を、友人の真美が「まあまあ」と宥めて引きはがす。
それで私はやっと冷静になって、真美に促されるまま自分の席に座った。
「それにしても、由希ってば本当に鷹峯のこと嫌いだよね。あんな不良ほっときゃいいじゃん」
真美に言われ、ずきり、と胸が痛んだ。
やっぱり、端から見たらそう見えちゃう、よね。
「んー、まあでも、ほら、委員長だし?」
曖昧な笑みでごまかして、自分の心を仕舞い込む。
だって、言ってもしょうがないことだし。伝わらない想いなら、しまっておいた方がいいでしょう?
まさかこの私が、あの鷹峯弘樹を好きだなんて。
◇
鷹峯弘樹は同じクラスになる前から有名人だった。
遅刻の常習犯で、授業中はいつも寝てばかり。
怪我をしていることも珍しくなく、他校生としょっちゅう喧嘩をしている、ともっぱらの噂だった。
対する私は真面目を絵に描いたような人間で。
正反対なのに、いや、正反対だからこそ、だろうか。
気づいたら、目で追うようになっていた。
それだけじゃない。委員長という肩書きを利用して、なんだかんだと鷹峯君に突っかかっている。
本当は、もっと普通にお喋りとか出来れば良いんだけど。でも、駄目なのだ。鷹峯君の顔を見ると、ううん、側に近づくだけで胸が高鳴って、顔が熱くなって、息が詰まって、普通に話せなくなる。
さっきだって、あんな言い方することなかったのに。
以前にも増して遅刻が多い彼と、一緒に卒業できなかったどうしようと思うと胸がぎゅっと痛くて、恐ろしくて、それであんな言い方になってしまった。
せめて、あの日みたいに自然に話せたら良いのに。
数ヶ月前、夜の公園で鷹峯君を見つけた。
塾の帰り、なんとなく家に帰りたくなくて、でも寄り道をするほどの大胆さはなくて、少しだけ遠回りをして帰ったその日、偶然にも彼は公園のベンチに座っていた。
いつもの警戒心バリバリな野良猫のような雰囲気とは違い、なんというか、傷ついてるように見えて、気がつけば話しかけていた。
夜の公園という、少しだけ非日常を感じる場所だからか、彼の弱ったような雰囲気からか、その日は珍しく喧嘩にならずに話せたのだ。
◇
結局、鷹峯君とはろくに会話も出来ぬまま、卒業の日を迎えてしまった。
彼と一緒に卒業できたのは嬉しいことだけど、それを共に喜び合える仲になれなかったのは悲しかった。
けれど、言っても仕方の無いことだ。彼と会う度、私は緊張から喧嘩腰になってしまうし、きっと彼には口うるさいやつだと嫌われているだろうから。
「ねえ、由希は告白しないの?」
卒業式の後、最後のホームルームが始まる前の、先生が来るまでの束の間の喧噪。友達の真美が不意に言った。
「は、ぇ、なに?」
思わず言葉が詰まる。
「だってさ、由希、好きな人いるでしょ? 最近なんか上の空なこと多いし、第一志望受かったって言うのに、ため息ついてばっかだし。てっきりクラスの誰かに片思いしてて、離ればなれになるのが寂しいのかと」
隠していたつもりだったのに。親友、恐るべし。
その感情が顔に出ていたのか、真美がニカッと笑う。
「あのさ、言っても仕方ないって思ってるかもだけど、伝えなくて後から後悔するよりか、言ってすっきりしちゃった方が案外楽かもよ?」
今日はもし断られても、ダメージ少ないしね。そしたらあたしが慰めるし。と、いたずらっぽく付け足す真美。
「でも、」
言いかけたとき、教室の窓側の方から、声が聞こえた。
「そういえばさ、弘樹って結局三年間彼女つくんなかったよね。好きな子とかいないの?」
声の主は鷹峯君の友人で、弘樹っていうのは鷹峯君の下の名前で。思わず声のした方に顔をやる。と、鷹峯君と目が合ってしまった。
慌てて顔を逸らす。逸らしながらも、意識は二人の会話に集中させる。「もーらい。今スマホ見てたっしょ、なに? 実は彼女の写真とか入ってんの?」
「バッ、お前返せ……!」
ガタガタとじゃれあうような音がして、今度は目が合わないよう、慎重に鷹峯君の方に顔を向ける。
鷹峯君のスマホケースから、何かがひらひらと舞い落ちた。
え、うそ。そんな。でも、どうして。
期待するな期待するな。自分に言い聞かせようとするけど、鼓動は私の話なんか、ちっとも聞いてくれやしない。
頭の中が、胸が、かあっと熱くなる。
「ちょっと、由希?! ホームルーム始まっちゃうよ!」
居てもたっても居られなくて、気づけば走り出していた。
思い出すのは、さっきの真美の言葉。
――伝えなくて後から後悔するよりか、言ってすっきりしちゃった方が案外楽かもよ?
伝わらない想いなら、秘めた方がいいと思っていた。言っても困らせると思ったし、何より拒絶されて、傷つくのが恐かった。
けど、最後くらい、わがままになってもいいのかもしれない。
「屋上に来てくれない? 話したいことがあるの」
震える指でメッセージを打ち込み、チャットアプリで鷹峯君に送る。
この恋はきっと実らないだろう。さっきのは何かの見間違えで。あるいは深い意味なんてなくて。
教室に戻ったら、ホームルームをさぼった私はたぶん怒られる。もしかしたら、心配して、先生が親に連絡をするかもしれない。
けど、きっと怒られるのは彼も一緒だ。鷹峯君は、屋上に来てくれるだろうから。
そう思うと何だか爽快で、私は屋上への階段を駆け上がった。
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