制服を脱いで走り出す、始まるはずのなかった恋の話

秋来一年

日高由希

 私の恋は、始まる前から終わっていた。


「ちょっと、また遅刻?! 鷹峯君、いい加減卒業に響くわよ」

 私の甲高い声が、お昼休みの喧噪を切り裂くように教室に響いた。周囲のクラスメイトたちの、また始まったか、というあきれ顔。


「うっせーな。委員長には関係ねえだろ」

 冷たくそう言い捨てると、彼は自席に座って突っ伏し、あろう事か寝息を立て始めた。

「あなたねえ、お昼休みになってやっと登校してきたと思ったら、いきなり寝始めるなんて」


 再度突っかかろうとした私を、友人の真美が「まあまあ」と宥めて引きはがす。

 それで私はやっと冷静になって、真美に促されるまま自分の席に座った。


「それにしても、由希ってば本当に鷹峯のこと嫌いだよね。あんな不良ほっときゃいいじゃん」

 真美に言われ、ずきり、と胸が痛んだ。

 やっぱり、端から見たらそう見えちゃう、よね。


「んー、まあでも、ほら、委員長だし?」

 曖昧な笑みでごまかして、自分の心を仕舞い込む。

 だって、言ってもしょうがないことだし。伝わらない想いなら、しまっておいた方がいいでしょう?

 まさかこの私が、あの鷹峯弘樹を好きだなんて。



 鷹峯弘樹は同じクラスになる前から有名人だった。

 遅刻の常習犯で、授業中はいつも寝てばかり。

 怪我をしていることも珍しくなく、他校生としょっちゅう喧嘩をしている、ともっぱらの噂だった。


 対する私は真面目を絵に描いたような人間で。

 正反対なのに、いや、正反対だからこそ、だろうか。

 気づいたら、目で追うようになっていた。


 それだけじゃない。委員長という肩書きを利用して、なんだかんだと鷹峯君に突っかかっている。

 本当は、もっと普通にお喋りとか出来れば良いんだけど。でも、駄目なのだ。鷹峯君の顔を見ると、ううん、側に近づくだけで胸が高鳴って、顔が熱くなって、息が詰まって、普通に話せなくなる。


 さっきだって、あんな言い方することなかったのに。

 以前にも増して遅刻が多い彼と、一緒に卒業できなかったどうしようと思うと胸がぎゅっと痛くて、恐ろしくて、それであんな言い方になってしまった。


 せめて、あの日みたいに自然に話せたら良いのに。

 数ヶ月前、夜の公園で鷹峯君を見つけた。

 塾の帰り、なんとなく家に帰りたくなくて、でも寄り道をするほどの大胆さはなくて、少しだけ遠回りをして帰ったその日、偶然にも彼は公園のベンチに座っていた。


 いつもの警戒心バリバリな野良猫のような雰囲気とは違い、なんというか、傷ついてるように見えて、気がつけば話しかけていた。

 夜の公園という、少しだけ非日常を感じる場所だからか、彼の弱ったような雰囲気からか、その日は珍しく喧嘩にならずに話せたのだ。

  


 結局、鷹峯君とはろくに会話も出来ぬまま、卒業の日を迎えてしまった。

 彼と一緒に卒業できたのは嬉しいことだけど、それを共に喜び合える仲になれなかったのは悲しかった。

 けれど、言っても仕方の無いことだ。彼と会う度、私は緊張から喧嘩腰になってしまうし、きっと彼には口うるさいやつだと嫌われているだろうから。


「ねえ、由希は告白しないの?」

 卒業式の後、最後のホームルームが始まる前の、先生が来るまでの束の間の喧噪。友達の真美が不意に言った。


「は、ぇ、なに?」

 思わず言葉が詰まる。


「だってさ、由希、好きな人いるでしょ? 最近なんか上の空なこと多いし、第一志望受かったって言うのに、ため息ついてばっかだし。てっきりクラスの誰かに片思いしてて、離ればなれになるのが寂しいのかと」


 隠していたつもりだったのに。親友、恐るべし。

 その感情が顔に出ていたのか、真美がニカッと笑う。


「あのさ、言っても仕方ないって思ってるかもだけど、伝えなくて後から後悔するよりか、言ってすっきりしちゃった方が案外楽かもよ?」

 今日はもし断られても、ダメージ少ないしね。そしたらあたしが慰めるし。と、いたずらっぽく付け足す真美。


「でも、」

 言いかけたとき、教室の窓側の方から、声が聞こえた。


「そういえばさ、弘樹って結局三年間彼女つくんなかったよね。好きな子とかいないの?」

 声の主は鷹峯君の友人で、弘樹っていうのは鷹峯君の下の名前で。思わず声のした方に顔をやる。と、鷹峯君と目が合ってしまった。


 慌てて顔を逸らす。逸らしながらも、意識は二人の会話に集中させる。「もーらい。今スマホ見てたっしょ、なに? 実は彼女の写真とか入ってんの?」

「バッ、お前返せ……!」


 ガタガタとじゃれあうような音がして、今度は目が合わないよう、慎重に鷹峯君の方に顔を向ける。


 鷹峯君のスマホケースから、何かがひらひらと舞い落ちた。

 え、うそ。そんな。でも、どうして。

 期待するな期待するな。自分に言い聞かせようとするけど、鼓動は私の話なんか、ちっとも聞いてくれやしない。

 頭の中が、胸が、かあっと熱くなる。


「ちょっと、由希?! ホームルーム始まっちゃうよ!」

 居てもたっても居られなくて、気づけば走り出していた。

 思い出すのは、さっきの真美の言葉。


――伝えなくて後から後悔するよりか、言ってすっきりしちゃった方が案外楽かもよ?


 伝わらない想いなら、秘めた方がいいと思っていた。言っても困らせると思ったし、何より拒絶されて、傷つくのが恐かった。

 けど、最後くらい、わがままになってもいいのかもしれない。

 

「屋上に来てくれない? 話したいことがあるの」


 震える指でメッセージを打ち込み、チャットアプリで鷹峯君に送る。

 この恋はきっと実らないだろう。さっきのは何かの見間違えで。あるいは深い意味なんてなくて。


 教室に戻ったら、ホームルームをさぼった私はたぶん怒られる。もしかしたら、心配して、先生が親に連絡をするかもしれない。


 けど、きっと怒られるのは彼も一緒だ。鷹峯君は、屋上に来てくれるだろうから。

 そう思うと何だか爽快で、私は屋上への階段を駆け上がった。

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