第22話 クライ・クライ
「おいしい?」
夕霧さんの口に着いたクリームを見て、自然とそうたずねていた。
彼女は甘そうな抹茶パフェを口に運びながら、幸せそうな笑みを浮かべて言った。
「はい!」
一方の僕は、ミルクをふんだんに入れたコーヒーに口をつけて、ほっと一息つく。
その味はもはやカフェラテ。
はぁ、落ち着く。
「タケルさんも食べますか?」
「え?」
口元に緑のアイスが乗ったスプーンが近づいてきた。
「いやいや!」
慌てて手でそれを制止する。それは色々とまずいだろう。
拒否された夕霧さんはなんだか残念そうだった。
「おいしいのに……」
スプーンを口に咥えたまま不貞腐れる夕霧さん。それも一瞬で、すぐに食べることを再開する。
ほっぺが落ちそう! などと。と心の中で叫んでいるような笑顔になる。
一方の僕は、あまりの動揺に心臓の音が鬱陶しいくらいに聞こえてくる。
しかもタケルさんって――
ちょっといきなり馴れ馴れしすぎやしないか?
最近の子はどこもこんな感じなのだろうか。
とにかく、落ち着けぇ僕……。
「……えと、夕霧さんは、学生さんだよね?」
「ええそうです。地元の公立高校に通ってます」
「そっかぁ、若いなぁ」
頭を掻きながら、まるで漫画みたいな笑い方をしてしまう。不気味な顔になってやしないかと不安だ。
しかし、そんな楽しい雰囲気はつかの間のことだった。
ふと目の前に座る夕霧さんを見ると、笑った顔のまま、眉間に影を落として、なんだかホラー映画のワンシーンみたいな顔になっていた。
「……」
恐ろしくなって、頭にのせていた手をひざ元に落とす。
なんだろう。怒らせるようなことしたかな……。
すると夕霧さんはそんな空気を一瞬で殺して、シュンとうつむいて見せる。
上目で僕を見つめながら、寂しそうな笑みを浮かべていた。
「あ、あの……タケルさんって、優しいですよね。あのときはまわりが見てるだけだったのに、助けてくれて」
「へ? いやぁ」
褒められて、声が裏返った。
でもその点については寸前まで手を差し伸べるか迷っていたぐらいだ。そこまで感謝されるものでもないと思っている。
「偶然そばにいたってだけだと思うよ、うん……」
「ちなみに、タケルさんって今お付き合いしている人とかいるんですか……?」
「え?」
突然の質問に、考えていたことがこぼれ落ちた。
そのときなぜか水戸瀬秋沙のことが頭に浮かんだのだが、そんな思考をすぐさま散らして夕霧さんに微笑み返す。
「いやぁいないよ。こんな年で恥ずかしいんだけどね」
「そうなんです? いくつでしたっけ?」
「えと……二九だよ」
自分の年を言うのは、切ない。
30とはまだ言わずに済むことにほっとしているおっさんだよ。
やっぱり切ない……。
「ふうん」
夕霧さんの顔が、ますます強張った気がする。
年相応の彼女の愛らしい顔立ちが、幾らか冷やかな輪郭の線の中に柔らかい肉感をとじこめているというような、いわゆる近づき難い雰囲気に変貌した気がする。
なんだか終始、強い感情を僕に向けていないか?
心当たりがないのであせる。
「そうなんですね。意外だなぁ」
「そ、そうかな?」
社交辞令なら良く言われるセリフ。
「ちなみにタケルさんの付き合う相手の年齢って、どこまでが許容範囲ですか?」
「えーと……?」
ああこれは、俗にいうコイバナ。
彼女くらいの年齢だと興味の惹かれる話題なのだろう。
こんなアラサー男の好みなんて聞いても役に立つとは思えないが。
「まあ、同じ年くらいかな? 性格とかが合えばあんまり関係ないとは思うけど」
「性格が合えば関係ないんですねっ?」
テーブルに身を乗り出して、食い気味に詰め寄られた。
「じゃあ、私とか、どうですかね……?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
言葉の意味に気づいても、なぜ成り行きで手を差し伸べた女の子に、そんなことを言われたのか、全く理解できなかった。
結局なにも理解できなかった……。
「えっと、どういう意味?」
「私みたいな子、タケルさんみたいな人には好きになってもらえるのかなぁなんて……」
「ああ、年上の人が好みってことか? なるほどね」
びっくりした。
一瞬、面と向かって告白されたのかと思った。
きっと僕ったら、水戸瀬に最近告白されたものだから自意識過剰になってるなぁ? あはは。
「いえ、タケルさん以外の人になんて興味ないです」
すんっと、至極まじめな顔で言われる。
とりあえず僕は、笑っておく。
笑顔は大事だ。笑顔はみんなを幸せにする。
「大人をからかうもんじゃないぞ」
「からかってなんかないです」
決定的な一言をありがとう。
なるほど、彼女の口にしたそれは、実質告白のようなものではないか?
こんなかわいい子が? 自分に?
驚きであると同時に、鬼の形相で僕を睨む水戸瀬の顔が浮かんだ。
「キミ学生だよね? こっちはもう今年で三〇になるんだけど? さすがにそれは、嘘だってわかるよ……」
「嘘じゃないです」
まっすぐに僕を見つめながら言った。
迷いのない目だった。そんな真剣な瞳を向けられてしまったら、おかしな考えを抱いてしまうじゃないか。
受け入れる? 否――こんな年下の女性とそんな簡単にお付き合いできるはずがない。ヘタをすれば警察沙汰だ。露呈すれば世間からはおろか、家族、引いては年の近いヒナあたりには軽蔑の目すら向けられるかもしれない。
スキャンダルの世界へようこそ。
ネットの海に成人男性・六条タケルの名前がとどろき、
会社はクビ……親からは見放され……路頭に迷う。
生きた心地がしない……。
熱くも無いのに、額には汗が染み出していた。
「ダメですか……?」
夕霧さんが、甘ったるい声で尋ねた。
その時の頭の中には、警察に捕まり、両手に手錠をかけられた状態で留置所に連れて行かれる自分の姿が映し出されていた。
対して彼女の瞳は、飢えた獣のような深い輝きを放っていたけど、同時に不安げに揺れていた。
どうした六条タケル。
お前はそんな、短期間に複数の女性に言い寄られるような徳を積んできたのか。
わからない。僕にはわからない。
「ご、ごめん……」
気づいたらそう口にしていた。
「い、今その……そういう相手を作る気にはなれなくて……」
そんな、思いつきの適当な理由しか、口にすることはできなかった。
少女は目を見開き、硬直した。
ショックを受けているように見えた。
あったばかりで、そんなわけないのに、僕にはそう見えたんだ。
でも――次の瞬間、彼女の瞳が潤み、大粒の涙がこぼれ落ちたのが見えた。
しばしその光景をどこか遠くのことのように眺めていたが、
「……んうぅ……っ」
直後に、彼女は、声を殺して啜り泣きはじめた。
ガチだ。ガチ泣きじゃないか。
泣かした、あーなーかしたー、なんてすぐ後ろの席にいた小学生くらいの子が僕を指さした。
喫茶店内に響き、周囲の人の目が僕らに集中した気がする。
ヒソヒソと、僕らを見た誰かの小声が耳に入った。
それでも夕霧さんは泣き止まない。
本当に悲しそうに、切ない声で泣いている。
「お、おい」
彼女を宥めようと手を伸ばすが、逆効果だった。
すすり泣く声は子供の泣き声のように増長し、顔を手で覆い隠してしまう。
「あの、お客様、まわりのご迷惑になりますので……」
通りがかった店員に言われ、もう僕は頭を抱えるしかなかった。
なにが起きてるんだいったい。
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