第8話

裏門から庭へ入ると普段は共に働いている者達が笑顔で迎えてくれた。

「ユキさんは玄関先ですよ」と口々に誘導してくれた。

兵助は内心「まいったな」と思っている。


「兵助さん」


ユキの笑顔が安堵の表情を浮かべている。


「ユキ」


走り寄るなり兵助は思いきり抱しめた。

ユキの小さな体が暖かい。そして、いつでもユキは甘い香りがする。

柔らかな髪を撫でながらユキの耳元へ顔を寄せた。 


「無事で良かった」

「お帰りなさい」


ユキは兵助の背中に両手を回し力を込めたが、今度は両腕を胸に置き兵助の体を押し返した。


「それはユキの台詞せりふです。無事でよかった。」


泣きそうに言った顔が可愛くて仕方ないと兵助は思った。

その時ユキが背中に荷物を背負っている事に気がついた。


「ユキ、何を大切に背負っているんだ?」


「あ、これは」恥ずかしそうに荷を広げた。


それは振袖だった。

ユキの父、信兵衛しんべいが最後の旅でユキの為に選んだ花嫁衣裳だった。ユキは来春に兵助との祝言で、この衣装を着る事を何よりも楽しみにしていた。


「この着物だけは、何があってもと思って」

「そうか、よく守ってくれたな。」


ユキは微笑んみながら、兵助に父の形見ともいえる振袖を手渡した。

その時だった。

その振袖の柔らかな手触りと共に、兵助の記憶がよみがえった。



「そうだ、、、あの時だ。」



ユキの父は京へ仕入に行ったまま火事に遭遇し帰らぬ人になった。

共に仕入れに出向いたトシが、この着物と信兵衛の小さな骨を拾って戻った。

あの時、着物を持ち帰ってくれたトシの部屋へ礼を言いに行った事があった。

突然押しかけた事もありトシの部屋は少々、雑然としていた。

トシの方も「まだ戻ったばかりで」と恐縮しながら、兵助を上座へ座らせた。

その雑然とした部屋の片隅に、あの番号札があった。


「ユキ、トシさんは?」

「え?」

「トシさんだよ。」

「トシさんは、私が声を掛けに行った時には部屋に居なかったの」

「やはりそうか」

「え? やはりって?」

「ユキ、トシさんのことは俺にまかせろ。どこに居るか見当がついている。」


兵助はユキの手を取って屋根に上がった。

そして最初に道場の方角を確認した。どうやら火は消えている。

あの恐ろしく強く、美しい着物の男達が消したに違いない。

続いて風上の方角を見た。今も大尺町と中尺町の境辺りで燃えている。


「ユキ、壁や屋根をしっかりと濡らして交代で見張りをするんだ」


「はい」


「もしも中尺町の大通りを超えれば一気に燃え広がる。その時は道場の方向へ逃げろ。お前と振袖が残ればそれていい」


「はい」


兵助は、もう一度ユキを抱きしめた。

二人で屋根から降りると家中の者が待っていた。


「あれ、もう降りて来たんですか?」


番頭の茂一もいちが面白そうに笑った。

兵助の父と母も、二人を眺めていた。


「父さん、母さん、ユキをお願いします。俺は中尺町へ


「怪我などするなよ。花婿が火傷でもしたら、みっともないぞ」


「はい。後の支持はユキに伝えました。では。」


兵助は走り出した。





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